父が定年退職して、家にいるようになって、ますます息苦しくなった。
そうこうするうちに、父も母も勝手に離婚を決めて、居なくなってしまった。
寂しいと思う反面、息苦しいと思っていたのにと、過去の自分自身を思い出してしまう。
そんな家から逃げ出したくて、誰かに会いたくて、会いたくなくて……
気づけばここにいた。
私は、一人なのに、どこまで行っても家族のしがらみに囚われているのかも。
ドンドンドンっと扉を叩く音に、びくりと肩が揺れた。
「高木さまー!」
ペンションのオーナーは、私とそう歳の変わらない女の子だった。
黒髪を低い位置でお団子にくるりとまとめて、ラフな格好。
こういうところは、老夫婦というのは勝手な想像だけど……まさかこんなに若い女の子が一人でやってるとは思いもしなかった。
部屋の外から呼ばれる理由はわからない。
それでも、どんどんと叩く音が止む気配がないので諦めて、扉を開ける。
開くとは思っていなかったのか、後ろに転がりそうになったオーナーの手を掴む。
「うわっ、ごめんなさい開くと思わなくて」
「私こそ、返事せずにすみません。どうしました?」
「お酒、大丈夫ですか?」
飲むジェスチャーをして、ニコッと笑う。
人懐っこい人だと思った。
「へ?」
「だから、お酒! これから買い出しに行くんですけど、飲めるかなぁ、って」
お酒は、得意ではない。
すぐに真っ赤になるし、おいしいとも思えない。
ふるふると横に首を振れば、オーナーは一瞬考え込む。
「お酒もダメか……ココアとか!」
「真夏に?」
「あー、じゃあ、炭酸とか!」
まぁ、炭酸なら飲めなくはない。
好きでも、嫌いでもないけど。
「お菓子と一緒に用意するので、下にどうぞ!」
掴んでいた手をぐいっと引っ張られて、部屋から引きずり出された。
それで満足したのか、オーナーはスリッパをパタパタと音を立てながら階段を降りていく。
強引な人だなと思いながらも、仕方なく、リビングへと向かった。
テレビに、大きなダイニングテーブル。
ソファも端の方に何個か置かれていて、団欒という表現にふさわしい。
テレビでは地元のテレビ局だろうか。
この地域のお菓子屋さんが特集されていた。
テーブルの端の方に座ってぼぉーっとしていれば、目の前に透き通ったオレンジ色のコップが置かれた。
中には透明な炭酸が、入っている。
一口、飲み込めば喉の奥でしゅわしゅわと弾けて、痛みに目を細めてしまった。
「お菓子は、チャンククッキーです、お好きですか?」
クッキーならココアと答えた方が良かったかもしれない。
そんなことを思いながら、曖昧に首を動かす。
好きでも、嫌いでもない。
でも、出されたものに手をつけないわけにはいかず、一口かじればさくふにゃとした食感。
チョコレートがとろとろと溶けていて、おいしい。
勝手にほころんだ頬を抑えれば、オーナーは嬉しそうな声を出した。
「おいしいですか? おいしい? おいしい?」
何度も訪ねられて、面倒だなという気持ちの方が強くなる。
うんうんと適当にうなずけば、テーブルに頬杖をついてニコニコと「そっかそっか」と繰り返された。
「なんですか?」
「どうしてここに来たんですか、高木さんは」
どうして?
どうしてだろう。
たまたまSNSで見かけたから。
星空がキレイに見えるペンション。
宿泊料金も安かったし、山の近くだから人もあまり多くなさそうで。
「ほら、温泉の宿とか、食べ放題つきのホテルとか、いっぱいあるじゃないですか。その中でも、どうしてうちを選んでくれたのかなぁって」
思い浮かぶ言葉を伝えるのは傷つけそうで、なかなかハードルが高い。
だから、一番都合が良さそうな言葉を答える。