遊園地を出るともう、十九時過ぎだった。

 翼はハッとしてリュックを探り、スマートフォンを取り出した。校内ではスマートフォンに触ることを禁じられているので、帰路で母親に連絡をするつもりだった。それが校門を出てすぐにレオニーランドに来てしまったため、忘れていたのだ。

「わ、すごい着信量だ」

 翼が心臓病持ちのため、母親が過保護気味になるのは仕方のないことだ。翼はすぐに通話ボタンを押した。

『大丈夫なの!?』

 第一声は想像通り。それから『どうしたの、どこにいるの』がきて、最後にもう一度『体は大丈夫なの?』も。

「うん、大丈夫、ちょっと、その、友達と……友達と寄り道してね」

 照れくさいが言ってみる。母親の声が止まった。少し様子を窺っていると『そう。それなら連絡が必要だし、時間を考えなさい』と、注意しつつも安心したような声で返ってきた。

 うん、と電話を切るとすぐ、通話の間少し後ろにいてくれた三澤の体が並ぶ。

「叱られたか? ごめんな、俺、思い立ったらすぐに行動するから、母親によく小突かれるんだよな」

 感覚を思い出すように頭をさする三澤がかわいく見えた。外見が変わったわけではないのに、もう全然怖く感じない。

「大丈夫、多分友達ができてホッとしてる。でも心配はしてくれたと思うから、急いで帰るよ」
「じゃあまたおんぶで送る」
「えっ! いいよ、もういい」
「遠慮するな。俺のせいで遅くなったし、おんぶで走れば早いだろ。ほら乗れよ」

 三澤がまたしゃがむ。

 そういうことじゃない。広い背中とがっしりした腕は頼りがいがあって心地いいとわかったが、改めて考えれば男子高校生の大小コンビがおんぶで街中を走るなんて、おかしな絵面だ。

「大丈夫だってば、お願いだから立って」

 翼が腕をくいくい引っ張ると、三澤は「遠慮しなくていいのに」と呟きつつ、立ってくれた。制服の膝小僧の部分が白く汚れたことに構わないので翼が払うと、「ありがとな」と照れくさそうに笑う。

 翼もまた、こんな小さなことに照れてしまわれると照れくささがうつり、無言で駅へ向かって電車に乗った。

 すると、翼が降りる駅で三澤も降り、同じ方向へと歩き出す。

「あれ? もしかして家が近い?」
「いや、駅も反対方向だけど、心配だから送り届ける」
「え、ええ? お母さんみたいなこと言わないでよ。今はそこまで体が悪いわけじゃないんだから」

 自分のことを思ってくれる友達が欲しくはあったが、それでは過保護な親のようだ。

「うん? いや、それも心配だけど、大塚って細っこくて生まれたての子犬みたいだからな。もし襲われでもしたら俺の後悔が半端ねぇ。だから家まで送っていくし、親御さんにもケジメつける」
「へっ? えっ?」

 生まれたての子犬とはどういうことか。いったい翼がなにに襲われるというのか。それよりも、親にケジメをつけると三澤は言った。

 不良が出てくる漫画でよく見た単語だが、謝罪のうえ自分で自分に制裁を課す、そんなイメージだ。

「そ、そんな必要ないから、大丈夫だから帰って!」

 両手を振って止めようとするも、翼の家は駅にほど近い分譲マンションだ。すぐに到着してしまい、結局三澤の迫力に押されてふたりで家の前に着いてしまった。

「本日は申しわけありませんでした!」

 玄関扉が開いて母親が出てくるなり、三澤が深く頭を下げる。

 母親は「えっ」と驚き、三澤が頭を上げるとさらに驚いて、目を見開いて口元を手で覆った。

 赤い髪に鋭い目つきの、今では見ない不良風情の大柄な男がドーンと立っているのだ。翼も最初は怯えていたのだから当然だと思うし、こうなると思って遠慮したのだ。

「あの、お母さん、驚かないで。この人は初代レッドレオニーの息子さんなんだ!」
「え?」
「それで、今はレッド役をしているから髪は赤いし迫力があるけど、怖い人じゃないからっ」

 言い方おかしくないかな、と懸念しつつ母親に一生懸命説明をする。

 母親はようやく口から手を下ろして三澤を注視した。

「レッドレオニー……?」

 そうしていると、リビングで待っていたらしい父親も玄関へ向かってくる。

「どうしたんだ。翼が帰ってきているんだろう? 早く中へ……」

 三澤の姿を認めた途端、父親はわかりやすいほど動きを止めた。しかしすぐに素足で框を降りてくる。

「き、君、君は翼のなんなんだ!」

 父親はヤンキードラマが流行した世代の人間だ。翼が不良に絡まれていると思っているのだろう。たじろぎながらも翼を守ろうとする気持ちが見えた。

「だから、三澤君はレッドレオニーの」

誤解を解くため、母親にしたのと同じ説明をしようと翼が試みると、三澤が勢いよく頭を下げた。

「こんばんは! 三澤玲央(みさわれお)って言います。初代レッドレオニーの息子で、今のレッドレオニーで、大塚の……大塚翼君の友達です! 俺のせいで今日遅くなりました。すみませんでした!」

 腰が四十五度に折れたその様子はとても礼儀正しく、父親と母親は顔を見合わせて「レッドレオニー……」と呟くと、「ええ? いろいろどういうことなの」「くわしく聞かせてくれ」と、玄関先で翼に詰め寄った。

 これでは近所迷惑だ。翼が「後で話すから」と言って場を収める。両親は三澤に家に上がってほしそうだったが、三澤は母親が夜勤なので、自分ももう帰らなければいけないと、もう一度深く頭を下げて帰っていった。

 母親の夜勤は元からの仕事なのかもしれないが、父親が亡くなって家が大変であることが想像できる。

 それでも翼に礼がしたいとレオニーランドにおんぶで連れて行ってくれ、家まで送り届けて両親にもケジメを……ではなく挨拶までしてくれた。

 即断的なところを母親に注意される、ときまり悪そうに言っていた高校生らしい表情を思い出して、自然と口角が上がる。
 



「それで翼、なにがあったの?」

 部屋で着替えたのちリビングルームに戻ると、母親がほかほかと湯気の立つおかずとご飯を並べてくれていた。

 翼は席に着いて夕食に感謝してから、まずは三澤の父の急逝について話し、家族全員で死を悼んだ。
 それから食事に手を付けつつ、今日の出来事を興奮気味に話す。

 父親も母親も嬉しそうだった。翼が学校に馴染めそうなことに安心もしただろうし、翼がレッドレオニーのお守りを治療に耐える糧とし、高校生の今でも大事にしていることを知っている。

「本当だわ、改めて見ると似てるものね。もう少ししたらそっくりになるのかしら。それにしてもすごい偶然。レッドのお子さんとクラスメイトで、友達になるなんて!」

 母親がレオニーレッドとのスリーショット写真を引っ張り出してくれば、父親も横から写真を見て、感慨深そうに頷く。

「本当にそうだな、見た目は驚いたが挨拶がしっかりできる好青年だし、いい友達ができたじゃないか、翼」
「友達……うん、すごくうれしい」

 何度聞いても言っても、いい響きだ。登校初日から親も一緒になって興奮するような素敵な友達ができた。

 もっともっと仲良くなれますように。

 翼はその夜、赤毛のライオンの背にまたがって、レオニーランドを駆けていく爽快な夢を見たのだった。