おんぶと地下鉄で約二十分。到着したのは閉園時間になったばかりの遊園地だった。 
 それでも翼は、正門を見ただけで高揚した。

「レオニーランド! ここ、小さい頃に何度も来たんだ。レオニーヒーローズって知ってる? 土日のショーはまだ続いてるのかな」
「続いている、大人気」
「そうなんだね! そうだ、これ、このバンド!」

 三澤もレオニーヒーローズを知っていることが嬉しくて、左手首に付けた赤いラバーバンドを顔の高さに掲げて見せる。
 このバンドは、レオニーヒーローズのリーダー・レオニーレッドから貰ったものだ。

「レオニーランド」は街中にあるのにそこそこの規模があり、園内に立派な室内ステージを有している。

 そのステージでは、毎週土日にライオンを擬人化したレオニーランドのキャラクター「レオニーヒーローズ」がショーをやっていて、翼は小学校に上がってもショーを見るのを楽しみにしていた。

 ただ、当然年齢が上がるにつれ楽しみはアトラクションへと移り、ショーからは足が遠のいた。入退院を繰り返すようになるとレオニーランド自体も行かなくなる。

 だが十歳のときだ。少しだけ症状が落ち着いたため、なにかしたいことはあるかと問われて、雰囲気だけでもいいから遊園地を楽しみたいと両親に伝えて、久しぶりにレオニーランドを訪れた。

 高学年になっていた翼はショーを見るつもりはなかった。けれど自分よりも体の大きい男の子が、オレンジ色の髪の女性の手を引っ張りながら「かーさん、ショーの整理券、三回分取って! 全部見るんだからな!」と言っているのを聞いて、どうせアトラクションに乗れないのだから、ショーを見てもいいか、とふと思った。

 結果、両親に券を取って貰って観覧したレオニーヒーローズショー、中でもレオニーレッドの百獣の王さながらの躍動感と力強さは、弱っていた翼の心を力づけた。

 幼すぎた頃はわからなかったそれらは、翼の手足をピクピクと反応させた。
 危機が迫る場面では演技だとわかっているのに、手に汗を握らせた。応援する場面では、声を張り上げることはできないが「レッド、頑張って」と自然と口にさせた。

 当時は自覚がなかったが、レオニーレッドの真剣な演技が、翼に「生きているということ」を感じさせ、治療を頑張ろうと思わせたのだ。

 ショーが終わったあと、翼は母親と共にレオニーレッドと写真を撮った。
 その際に病気のことを告げると、レッドはノベルティの赤いラバーバンドの内側に「応援してる!」と書いてくれ、翼の左手首に着けてくれた。

 レオニーヒーローズはマスクを脱いでの演技もあったから、そのときのレッドは素顔だった。

 そうだ、あのときのレッドの笑顔も、太陽のように力強かった。

「子供っぽいってわかってるけど、このバンドは僕のお守りなんだ。いつも左手首ここに付けて、頑張りたいときや不安なときにお祈りする癖がついてる」
「そうか」

 三澤は目を細めて頷いた。

「それ、レオニーレッドのノベルティだな」
「すごい、よくわかるね。もしかして三澤君も、レオニーレッドが好きだったりする?」
「ていうか俺、ここでバイトしててさ。で、実は俺が、今のレオニーレッド」
「えっ」

 思いがけない告白に、目も口もまん丸になる。すると三澤はさらに翼を驚かせた。

「ちなみに、初代のドリームレッドは俺の親父で、そのバンドは俺の親父がレッドのときのノベルティ。大塚が手に着けてるのを見たときそうじゃないかと思って、今日一日ガン見してた」

 そうか。三澤は翼を睨んでいたのではなく、バンドを凝視していたのか。

「こんな偶然があるなんて……お父さんはお元気? 初代ってことは、もう引退されたの?」

 会えるのなら当時のお礼を言いたい。レオニーレッドのおかげで、辛い治療に耐えてくることができたのだ。

「今年の春に死んだ。交通事故」
「えっ……」

 さらに思いがけない言葉に、それ以上声が出なくなった。

「車道に飛び出した子どもを助けてさ。親父は最期までヒーローだった」

 三澤は誇らしげに言うと、窓口に残っていた職員に声をかけ、なにやら交渉をしている。

「十五分くらいならいいって。行くぞ!」

 話がついたらしく、彼はまだ灯りが消えきっていない遊園地の中に翼を誘う。

 営業中の遊園地とは違う雰囲気と、翼にとってはそう遠いものではなかったはずの「死」が現実として在ったことに、地に足がつかないような浮遊感を覚えた。夢うつつの空間に入っていく気持ちで、翼は足を踏み入れる。

「親父、入学式の前日に事故ってさ。それでしばらく俺も学校休んでたんだ」

 三澤は遊園地の奥へと向かいながら、自分のことを話してくれた。
 父親が亡くなって呆然としたが、遺影にする写真を家族で選んでいた際に、レオニーレッドの写真がたくさん出てきたんだと。

「親父は俺の親父だけど、レオニーレッドなんだなーってなんか実感してさ。それで俺、昔からレオニーレッドやりてぇな、って思ってたけど、それ今じゃん、って思って」

 それから母親を説得して、葬儀に来てくれた園長と、父親が所属していたスタントアクション会社の社長に母親と並んで頭を下げて、ふたりが運営会社に承諾を貰ってくれて。

「一か月はかかったけど、スタント会社の社長さんも他のヒーローズさんも、親父の昔からの馴染みだから後押ししてくれてさ。ありがてぇよな。まずは試用期間だけどさ、今は俺がレッドをやらせてもらってる」

 それから、体格は父親と変わらなくなっていたし、いつかレッドになる日を夢見て鍛えてはきたが、派手なアクション練習のために生傷が耐えないこと。
 赤い髪は、変身前の演技の際にウイッグでは動きにくいからというのもあるが、レッドを引き継ぐ決意の表明だということ。

「学校にはバイトも髪も許可を貰ってるけど、成績が悪いと許可が取り下げになるんだ。それに今日はアクション練習の日だったのにサボることになった。それで今日は自分にめちゃくちゃ腹が立ってさ」

 ああ、そうか。彼は反抗していたのではなく、自分に苛立っていたのか。

 居残りを言われたのち教室を出たのも、学校内ではスマートフォン禁止のため担任に許可を得て、職員室からスタント会社に電話連絡を入れさせてもらっていたんだそうだ。

「それに、俺って目つきが悪いだろ?」 
「えっ、いや、そんな」

 ことはある。

 「絡まないでオーラ」を出していたので当然といえば当然だ。三澤は翼が怯えていたことがわかっていたようで、「大塚も俺を避けてたもんな」と苦笑しながら続ける。

「睨んでるつもりはねぇけど、昔からそう見られて避けられるんだよな。で、ただでさえ人付き合いがうまくいかねぇのに遅刻はするわ居眠りはするわ……学校のやつらからは完全に不良だと思われて引かれてるし、他校の生徒から絡まれたりもするから、喧嘩になることもあるけどな」

 三澤はボクシングポーズを取り、冗談めかして笑う。

「そうだったんだね……」

 三澤は不良ではなかった。
 翼も外見で彼をそうだと思いこみ、睨まれたと誤解してしまって悪かったなと思いつつ、曖昧な返事しかできなかった。長年の心の支えのヒーローであり、三澤の父である人の死を上手に受け止められていない。

「ほら、あそこ。大塚が喜ぶかなと思って」

 気の利いた言葉が思いつかないまま、うつむきがちに三澤の後ろを歩いていると、声がかかった。

 ふしのある男っぽい指が示したのは、ヒーローショーのショー施設だ。土日や祝日以外は閉館しているそこに、三澤はポケットから出した鍵を使って入った。

「おととし、昔使われてたヒーロースーツや初期の小道具の展示スペースができたんだ。レオニーヒーローズは、俺たちが生まれる数年前に生まれたんだよな……ほらこれ、親父が最初に着たスーツ」
「わ……」

 ガラスケースの前でふたり、並んでスーツを見た。幼い頃の思い出が蘇り、感激するのと同時に、翼を勇気づけてくれたレッドがこの世にいないことが切なくなる。

 けれど、父親が着ていた赤いスーツを誇らしそうに見る三澤がとても眩しく見えて、レッドを心から愛して後を引き継いだだろう三澤のショーを見てみたいと、翼は思った。