「レッド、助けて!」

 ヒロイン役が大きな声を出して、レオニーレッドを呼んだ。
 レッドは舞台セットの高い岩から飛んできて、くるりと一回転。片膝を立てた姿勢で着地する。

 さすがはレオニーヒーローズのリーダー、レッドだ。動きに無駄がなく、勢いがあってかっこいい。

 けれどこの後すぐに、レッドはポーズを決めて参上の決め台詞を言うはずなのだが、観客の中から拐われたヒロイン役を見て、呆けて固まってしまっている。

「え……? 大……塚?」

 マスク装着時は録音した音声を流していると聞いていたが、マスクの下から小さな声が漏れた。
 翼がヒロイン役に選ばれているとは思いもしなかったからだろう。

 あれは退院の目処が付いたときだった。レオニーランドのホームページを見ていた翼は、夏休み特別企画を知ったのだ。

 レオニーヒーローズが救うヒロイン役に応募しよう、という企画で、ヒロインと書いているが老若男女オッケーと書いてあった。翼は志望動機を文字数制限ギリギリまで使って書いて……おそらく三澤の知り合いという看板もあったかもしれないが……二代続けてレッドレオニーを思う熱い気持ちを買われて、ヒロインのひとりに選ばれた。

 しかし、退院の日さえ告げずのサプライズは驚かせ過ぎたのか、レッドは敵役のキックを避けるタイミングを合わせられず、まともに腹に喰らって尻もちを付いた。

「三澤く……レッド!」

 わわわ、大変だ、と翼は焦って手を伸ばす。
 すると、客席から大声援が上がった。

「レッドが危ない! レッド頑張れ!」

「レッド立ち上がれー!」

 レッドのピンチにいち早く子どもたちが声を上げ、大人も続いてる。

「レッドー!」
「立って、レッド!」
「頑張れ頑張れ、レッド!」

 レッドはハッとして立ち上がった。その後はいつものように見事なアクションを披露して立ち回り、翼を悪の組織から救ってくれた。

 再び大きな歓声が上がる。途中のアクシデントはいつもにないシナリオだったのだろうと、観客たちは満足そうに施設を後にしたのだった。


「おかえり。もう、大丈夫なんだな?」

 撮影会も終えた後、観客がいなくなった観客席で話すことを許可してもらえ、ふたりはステージに一番近い席に並んで座った。

「ただいま」

 頷いて言うと、左隣に隣に座る三澤の手が、翼の右手の甲をぎゅっと握る。

 力強く、温かな大きな手だ。
 帰ってきた、生きている、と実感する。

「……うん。僕には強いヒーローが付いていてくれたからね。これからはなんでも力いっぱいできるよ!」

 コスチュームの上半分を脱いだ三澤を見つめ、翼は左手首に着けた二本のラバーバンドを顔の高さにかざした。

 三澤の目尻が優しく下がる。

「大塚の方が強いよ。俺には大塚からの話やネットで調べられることしかわかってやれなかったけど、それでもどれだけ大きな手術だったかはわかる。やり遂げた大塚はすごい。大塚は本当に強い」
「たくさんの人の支えでやれたのはわかってる。ただやっぱりね」

 今度は翼が三澤の手を握り返す。指が細くて手のひらも小さいが、力いっぱい握ってみた。

「手術を自分の意志で決められたのも、辛い日を乗り越えてやる、と思えたのも、三澤君が寄り添っていてくれたからだよ。僕は三澤君と出会えてから、与えられることや決められたことに耐えたり頑張ったりするだけじゃなくて、自分でやりたいことを選んで、進んでやれるようになった!」 
「いてて、いてぇよ、大塚……」

 三澤が大げさに痛がる。手を強く握ってはいるが、三澤にはさほどでもないだろうに、涙まで薄っすらと浮かべていた。

「ここが、いてぇ。」

 けれど三澤が反対の手のひらで示したのは、彼の左胸だった。

「俺は心臓に毛が生えてるくらい丈夫だけど、大塚に会ってからここがホントおかしい」

 三澤の瞳からとうとう涙がひと筋流れた。

「三澤君……」

 拭ってやるべきだろうに、赤いライオンの熱を帯びた瞳はとても美しく、流れる涙はサバンナを潤す恵みの雫にも思えて、翼は三澤に見とれた。

「親父が死んで、ここに風穴が空いたことにも気づけないまま、できもしねぇのに手当たりしだいがむしゃらに突っ走ってた俺を、そんなふうに肩肘張って学校でも浮いてた俺を、怖がらずにそばで応援してくれた」

 三澤は左胸をぎゅっと握った。翼に握られていた手は互いに握れる形にして、繋ぐ。

「俺のここの風穴に大塚は入ってきて、埋めてくれた。それで気づいたんだ。俺、誰かに頼りたかったんだなって。今さらだけど、弁当も、勉強も、家や凛音たちのことも……ホントに救われた。大塚が俺を思ってしてくれるひとつひとつが力をくれたし、気を緩めることもできた。まあ、ドキドキとか、ギュンとか……今も、大塚といると、好きすぎて息できないくらい苦しくて、ヤられる、ってなるんだけど」

 ズズッと鼻を吸い上げると、三澤は涙を拭った。
 それから、眩いほどの笑顔を見せる。

「な? 俺の背中に翼を与えてくれるヒーロー、大塚翼は最強だろ!」

 夜明けを照らす、眩い朝日のような笑顔だ。翼の心を熱くし、君のためなら全力を出したいと思わせる、生命力を湧き立たせてくれる三澤の笑顔だ。

 赤い髪も照明の光を受けてキラキラと輝き、ライオンのたてがみのようでいて、太陽フレアのようだった。

 翼は腕を三澤の背に回し、ぎゅっと引き寄せる。
 三澤も翼に腕を回し、すっぽりと包み込んだ。

 おひさまの匂いがする。
 三澤のなにもかもが、翼に「生命」を感じさせる。

 翼はこの人と共に人生を歩むために生きていくんだと、改めて思った。
 いや、もう走ることもできるんだ、なんてことも思いながら。