「待たせたな! 今から、レオニーヒーローズの闘いが始まるぜ!」

 ヒーローズの声が揃ったアナウンスが流れ、照明がいったん消えた。ショーが始まる。
 観客の「夢と希望」を奪おうとする悪の組織に立ち向かうレオニーヒーローズ。レッドはその中心に立ち、いつでも敵を鮮やかに倒す。レオニーヒーローズ誕生より、子どもたちにもママさんたちにも、レッドは一番人気だ。

 翼もレッドレオニーが大好きだった。画面の向こう側ではなく、目の前で見ることができるレッドの生の勇姿は、闘病の辛さに折れかけた翼の心を奮い立たせた。

 だからラバーバンドを貰って以降も数度はショーに訪れたものの、体調の悪化に伴って繰り返される入院と安静のために、再び遠い場所となった。

 レッドレオニーを忘れたことはない。いくつになっても、子供っぽいとわかっていても、いつかまたショーを観覧したいと思っていた。

 それでも両親に心配をかけると懸念して、翼にはレオニーランドに行きたいとは言えなかったし、ひとりで見に出かけることもできなかった。
 健康な人の「多少無理して」は翼にとっては命取りだったから。

 初代レッド──三澤の父に再会できなかったことは心残りだ。
 けれど翼の昔のヒーローは、翼の今のヒーローに出会わせてくれた。
 左手首に着け続けた赤い輪が、三澤玲王という人との出会いを繋げてくれた。

「レッドー! 頑張れレッドー!」

 クライマックスのシーン。皆がレッドにエールを送る。華麗なアクションにたくさんの拍手と歓声が上がる。

 翼は心の中で自慢した。
 レッド、かっこいいでしょう? レッドはね、三澤君のときでもかっこいいんだよ? 三澤君はね、僕のヒーローで、僕の親友で、僕の、大切な人!

 だから、ずっとそばでエールを送りたいと思う。勇気がなくてレッドに会いに来れなかった過去の翼はもういない。
 三澤に会いたいから、気持ちを確かめたいからやってきた。なにひとつ自分ひとりで決められなかった翼が、自分の意志でここにいる。

 生かされているのではなく、生きている実感を三澤は与えてくれる。
 これからもずっと、三澤と共に生きていきたい。翼も三澤にとってそんな存在になりたい。
 この気持ちをきっと、好きだというのだ。

 僕は、三澤君が好きだ。

「きゃー、レッドがこっち見たー!」

 気持ちを自覚したその瞬間だった。隣の席のママさんが喜びの声を上げた。
 舞台の真ん中にいたレッドのマスクが後部左端の座席を見ている。動きを一瞬止めると、グッと手を握り、高く掲げた。

 翼にはそれが、体育祭で見た「俺が大塚のところに行く」のポーズと重なった。
 翼が見ているとわかったのだろうか。いや、違うかもしれない。けれどそれでもよかった。三澤の努力の証の華麗なアクションが決まるたび、翼の胸はドキドキと踊る。

 見ているだけで、胸だけでなく体も踊り出しそうになる。足の指先まで電気が走ってピクピク跳ねる。腹の奥底が熱くなって力が湧いてくる。

 間違いない。三澤が翼のベストヒーローだ。

「……っつ」

 だがだんだんと息苦しくなって、心拍のリズムが乱れてくるのがわかった。これは恋のドキドキではなく、発作のほうだ。

 頓服薬をデイバッグから出そうとすると手が震えた。それに水がない。

 それでもなんとかカプセルを口に放り込んだ。唾液を溜めて飲み込もうと試みる。が、心拍のリズムがやたらめったらに暴れ狂い、目の前が暗くなる。
 今までで一番ひどい。こんなときなのに。

 翼は頭から座席下に崩れ落ち、隣の席のママさんが叫んだ。ママさんに連れられていた小さな子も「うわぁぁん!」と泣き出す。

「ごめ……なさ……ショーの途中、なのに……」

 声を出すと、口に入れたカプセルがぽろりと落ちた。

 皆が楽しんでいるショーなのに、今からまだ花火や水の演出がある見せ場なのに……三澤が頑張っているのに、翼の病気が台無しにする。

 苦しさと情けなさが相まって涙が出てきた。朦朧とする意識の中で「せめて三澤君の邪魔になりませんように」と、ラバーバンドを握って祈る。

「大塚!」

 三澤君の声がすぐ近くにあった。どうして、と思ったのと同時に、場内がいっそうざわついた。ステージからレッドが飛び出し、翼を横抱きにかかえたのだ。

 三澤はレッドの姿のままショー施設も飛び出して、まっしぐらに翼を救護室へと運んだ。



 酸素カニューレを着けてもらい、改めて頓服薬を飲む。レッドのマスクを外した三澤に手を握ってもらいながら、救急車が来るのを待った。

「三澤君、ごめんね」
「なにがだよ。倒れたことなら気にしなくていいから、目を閉じてろ。辛いだろ」
「それもあるけど、あの日、気持ちを話してくれたのに逃げるようなことをして、謹慎も……」

 三澤はずっとしかめていた眉を緩めて、赤い髪が乱れるほど頭を振った。

「あれは俺が悪い。それと、顔見てケジメつけたかったから、ずっと連絡しないでごめん。なのに今日来てくれて嬉しかった。それより今は喋んなって。酸素、ちゃんと入ってるか」
「大丈夫。薬も効いてきたよ。……でもね、三澤君、これだけ聞いて。僕ね、三澤君のことが好きだよ」

 三澤の動きが止まり、無言になった。
 けれどきっとまだわかっていない。三澤ははっきり口に出さないとわからない人だから。

「この好きはね。三澤君と同じ好きだよ。僕は三澤君のことが」
「俺は大塚が好きだ!」

 翼の告白タイムなのに、急いで同じ言葉をかぶせられた。それも結構な音量の声で、救護室にいた看護師が大塚を振り返る。
 せっかく強制的に酸素吸入をしているのに、翼は息が止まりかけてしまった。

「み、三澤君……」
「あ、わりぃ」

 看護師の視線が外れたのを確認し、声量を落として三澤は続ける。

「ごめん。夢見てんじゃないかと思って、つい自分から言っちまった」
「なに、それ、変。変だよぅ」

 けれど気持ちは伝わったということか。安心した翼はふにゃあと頬を緩める。
 すると、三澤の手の甲がその頬をやさしく撫でた。反対の手は自身の左胸を掴んでいる。

「うん。変だと思う。俺。大塚と一緒にいると、ここんとこ、ぎゅっとして苦しくなって、駆け出して好きだって言い回りたくなるんだからさ」

 なんて眩しい笑顔で言うのだろう。眩しすぎて、愛おしすぎて、翼は目を開けていられなくなる。

「三澤君……ひどいよ」
「なんで!? 俺、キモ過ぎるか? それとも勘違いしてるとか? 大塚の好きは親友の……」

 翼はううん、ううん、と首を振る。

「そうじゃなくて。……嬉しい。でも、でもそんなこと言われたら胸が苦しいんだもん。これが好きってことなんだね。たしかに変になるね」

 ドキドキドキドキする。でも、リズムは狂っていない。これは間違いなく、恋のドキドキ。
 すごくすごく苦しくて、嬉しいのに切ない。切ないのに、興奮して落ち着かない。恋は心も体もおかしくする。

「僕の好きも、三澤くんと同じ好きだ」
「大塚……」

 三澤は顔面全部を赤に染めて、泣きそうに顔を歪めた。かっこいいレッドのこんな表情を見ることができるのは翼だけかもしれない。

 もっと。もっと三澤のいろんな顔が見たい。

 そして翼は迷わず決めた。再入院するとすぐに医師に説明を受けた、大きな心臓手術を受けることを。