雲ひとつない、澄み渡る青空が清々しい晴天の金曜日、とうとう体育祭当日となった。
今はクラス旗のポールを握っているが、翼は朝からラバーバンドを着けた左手首を握り、うまくいきますようにと祈りどおしだった。
翼の高校では予行演習はないので、実際にクラス旗を持って歩くのは今日が初めてだ。もちろん教室では旗を持ったし、皆で並んで記念撮影もした。けれどいざ今からこれを持って運動場に移動するのだと思うと、手が震える。
「大丈夫だって」
そこに、背中からポールを一緒に支えてくれる優しい声の人が現れた。
「三澤君」
前を向いたまま顎を上げると、窓から見える朝日の半円を、肩の上から覗かせた三澤がいる。翼にとっては太陽よりももっと太陽らしい三澤の笑顔にホッとした。
この笑顔はいつでも翼の気持ちを強くしてくれる。
「後ろからちゃんと見てるからさ」
「うん」
……でも、本当は一緒に持って歩きたかった。
三澤とダブル団長になったとはいえ旗を持って歩くのはひとりなので、競技には出ない翼がその任務に当たることになった。
決定した日はいつまでも不安に駆られていた翼だが、日が経つにつれ、ダブル団長なのに「ふたりで」やれることは掛け声かけぐらいなのだと気づいた。今は緊張の中に残念な気持ちがマーブル模様を描いている。
それに、体育祭準備が始まってから三澤と翼だけで過ごす時間が減っていた。昼食もいつも天宮を含む八人で食べて、その後も五時間目の予鈴が鳴るまで皆でお喋りをしている。非常階段五階にもひと月行っていない。
その毎日を物足りないと思うなんて贅沢だと思う。ふたりがクラスに溶け込めているのは喜ばしいことだし、中学までの寂しさを思えば、人柄の良いクラスメイトが近しい友人になってくれたのは本当にありがたい。
けれど家の用事が重なって、ショーにもレオニーランドにも二週間行けていなかった。三澤家にも長くお邪魔できていないし、凜音たちにも会いたい。
「三澤君と一緒にいたいなぁ……」
無意識に心の声が漏れた。
もたれ心地のいい胸に頭頂部をくっつけ、三澤の瞳をまっすぐ見つめたままの姿勢だった。
翼が気づいた途端、三澤はどこか痛めたようにぎゅっと目をつむり、翼の頭の上に額を埋めてくる。
「み、三澤君? どうしたの?」
三澤はまだ一緒に旗のポールを握っていたため、翼の体は三澤のそれにすっぽりと収まる形になって、胸がドキドキした。最近三澤のことでドキドキすることが増えたが、そうなるとしばらく収まらないので焦ってしまう。動悸が続くと体に負担だ。
「み、三澤君? どうしたの?」
「いや……あのさ、大塚。今日」
三澤が翼の頭に額を置いたままでボソボソと話し出した。温かい息がくすぐったい。
「バイトがないから一緒に帰んねぇ?」
やった! 翼もそう思っていた。やっとふたりになれる。返事はもちろんイエスだ。
「う」
「いつまでじゃれてんだよ、お前らはっ」
けれど返事をしようとしたそのときだった。三澤の声を遮りながら天宮たちが寄ってきて、彼は三澤のお尻をかるく膝頭で小突いた。
「大塚はさ、どうせ、僕できるかな、とか言ってたんだろ?」
「わ、天宮君、やめてよ」
クセがないからすぐに整うが、翼の細い髪を掻き混ぜるようにワシャワシャと撫でてくる。
天宮は人との距離が近い。誰の肩でも腕を回したり、背中に体重を預けたりするタイプで、細くてチビな翼のことは犬かネコにするような構い方をする。
「大塚はできるって。めちゃくちゃ頑張り屋なの、みんなもうわかってるしな」
女子たちに人気のアイドル容貌で励まされて、これはこれで翼を勇気づけてくれる。けれど翼が今欲しいのは三澤の笑顔で、翼が頑張りを人に認めてもらえるまでになったのは、三澤がそばでその笑顔を向けていてくれるからだ。
「……うん。ありがとう」
「大塚は素直でかわいいよな。癒やし~」
「ほんとほんと。そのへんのオラオラ女子よりかわいい」
天宮が翼の肩を抱くと、他の男子も反対から肩を抱いてきた。そしてそのまま運動場へ行こうとする。
三澤はどうしただろう。まだ返事の途中だったのに。
そう思ってふっと顔を動かすと、三澤のほうは女子たちに囲まれていた。体操服だと制服より筋肉の付き方がわかるからか、二の腕や肩甲骨を触られている。
「さすがレッドだよね。玲王の腕かっこい~」
「ねえねえ、腹チラしてよ、腹筋見せて」
「あほか。セクハラすんな」
天宮も人気だが三澤は大人っぽい女子たちに特に好かれている。彼女たちと一緒にいる三澤もクラスで群を抜いて大人っぽいので、そこに独特の空気が漂うように思う。
病気の影響もあってか体が小さく、年齢より幼く見える翼には隔たりを感じてしまう瞬間だ。
ムカ……来た。みぞおちが重いやつだ。
二学期に入ってからの翼は、三澤を見ているとドキドキとモヤモヤが交互にやってくる。
なぜだかどちらも苦しいような切ないような気持ちになって、唇がへの字に曲がってしまうので嫌だなと思うが、勝手にそうなるので仕方がない。
これって嫉妬しているのかなぁ……。
翼は最近そう思う。三澤は翼の親友なのに、女子たちのほうが三澤に簡単に触れたり、レッド呼びを通り越して「玲王」と呼んだりするのがすごく嫌だ。
ねえ、三澤君の腕を触らないでよ。その赤い髪に触れないで。
ねえ、三澤君、女の子たちにその笑顔を見せないで。僕だけにしてよ。
「大塚?」
三澤のほうを見たまま足を止めてしまったので、天宮が顔を覗いてくる。それではっと我にかえって、今頭にどんな言葉を浮かべていたのかと、自分が嫌になった。三澤の良さをみんなにわかってもらいたいと思っていたんだから、これはいいことなのに嫉妬するなんて、親友として失格だ。
「なんでもない。早く行かないと遅れちゃうね」
天宮ともうひとりの男子も同意する。天宮は三澤と女子にも「ほら、出るぞ!」と声をかけ、皆で運動場に向かった。
今はクラス旗のポールを握っているが、翼は朝からラバーバンドを着けた左手首を握り、うまくいきますようにと祈りどおしだった。
翼の高校では予行演習はないので、実際にクラス旗を持って歩くのは今日が初めてだ。もちろん教室では旗を持ったし、皆で並んで記念撮影もした。けれどいざ今からこれを持って運動場に移動するのだと思うと、手が震える。
「大丈夫だって」
そこに、背中からポールを一緒に支えてくれる優しい声の人が現れた。
「三澤君」
前を向いたまま顎を上げると、窓から見える朝日の半円を、肩の上から覗かせた三澤がいる。翼にとっては太陽よりももっと太陽らしい三澤の笑顔にホッとした。
この笑顔はいつでも翼の気持ちを強くしてくれる。
「後ろからちゃんと見てるからさ」
「うん」
……でも、本当は一緒に持って歩きたかった。
三澤とダブル団長になったとはいえ旗を持って歩くのはひとりなので、競技には出ない翼がその任務に当たることになった。
決定した日はいつまでも不安に駆られていた翼だが、日が経つにつれ、ダブル団長なのに「ふたりで」やれることは掛け声かけぐらいなのだと気づいた。今は緊張の中に残念な気持ちがマーブル模様を描いている。
それに、体育祭準備が始まってから三澤と翼だけで過ごす時間が減っていた。昼食もいつも天宮を含む八人で食べて、その後も五時間目の予鈴が鳴るまで皆でお喋りをしている。非常階段五階にもひと月行っていない。
その毎日を物足りないと思うなんて贅沢だと思う。ふたりがクラスに溶け込めているのは喜ばしいことだし、中学までの寂しさを思えば、人柄の良いクラスメイトが近しい友人になってくれたのは本当にありがたい。
けれど家の用事が重なって、ショーにもレオニーランドにも二週間行けていなかった。三澤家にも長くお邪魔できていないし、凜音たちにも会いたい。
「三澤君と一緒にいたいなぁ……」
無意識に心の声が漏れた。
もたれ心地のいい胸に頭頂部をくっつけ、三澤の瞳をまっすぐ見つめたままの姿勢だった。
翼が気づいた途端、三澤はどこか痛めたようにぎゅっと目をつむり、翼の頭の上に額を埋めてくる。
「み、三澤君? どうしたの?」
三澤はまだ一緒に旗のポールを握っていたため、翼の体は三澤のそれにすっぽりと収まる形になって、胸がドキドキした。最近三澤のことでドキドキすることが増えたが、そうなるとしばらく収まらないので焦ってしまう。動悸が続くと体に負担だ。
「み、三澤君? どうしたの?」
「いや……あのさ、大塚。今日」
三澤が翼の頭に額を置いたままでボソボソと話し出した。温かい息がくすぐったい。
「バイトがないから一緒に帰んねぇ?」
やった! 翼もそう思っていた。やっとふたりになれる。返事はもちろんイエスだ。
「う」
「いつまでじゃれてんだよ、お前らはっ」
けれど返事をしようとしたそのときだった。三澤の声を遮りながら天宮たちが寄ってきて、彼は三澤のお尻をかるく膝頭で小突いた。
「大塚はさ、どうせ、僕できるかな、とか言ってたんだろ?」
「わ、天宮君、やめてよ」
クセがないからすぐに整うが、翼の細い髪を掻き混ぜるようにワシャワシャと撫でてくる。
天宮は人との距離が近い。誰の肩でも腕を回したり、背中に体重を預けたりするタイプで、細くてチビな翼のことは犬かネコにするような構い方をする。
「大塚はできるって。めちゃくちゃ頑張り屋なの、みんなもうわかってるしな」
女子たちに人気のアイドル容貌で励まされて、これはこれで翼を勇気づけてくれる。けれど翼が今欲しいのは三澤の笑顔で、翼が頑張りを人に認めてもらえるまでになったのは、三澤がそばでその笑顔を向けていてくれるからだ。
「……うん。ありがとう」
「大塚は素直でかわいいよな。癒やし~」
「ほんとほんと。そのへんのオラオラ女子よりかわいい」
天宮が翼の肩を抱くと、他の男子も反対から肩を抱いてきた。そしてそのまま運動場へ行こうとする。
三澤はどうしただろう。まだ返事の途中だったのに。
そう思ってふっと顔を動かすと、三澤のほうは女子たちに囲まれていた。体操服だと制服より筋肉の付き方がわかるからか、二の腕や肩甲骨を触られている。
「さすがレッドだよね。玲王の腕かっこい~」
「ねえねえ、腹チラしてよ、腹筋見せて」
「あほか。セクハラすんな」
天宮も人気だが三澤は大人っぽい女子たちに特に好かれている。彼女たちと一緒にいる三澤もクラスで群を抜いて大人っぽいので、そこに独特の空気が漂うように思う。
病気の影響もあってか体が小さく、年齢より幼く見える翼には隔たりを感じてしまう瞬間だ。
ムカ……来た。みぞおちが重いやつだ。
二学期に入ってからの翼は、三澤を見ているとドキドキとモヤモヤが交互にやってくる。
なぜだかどちらも苦しいような切ないような気持ちになって、唇がへの字に曲がってしまうので嫌だなと思うが、勝手にそうなるので仕方がない。
これって嫉妬しているのかなぁ……。
翼は最近そう思う。三澤は翼の親友なのに、女子たちのほうが三澤に簡単に触れたり、レッド呼びを通り越して「玲王」と呼んだりするのがすごく嫌だ。
ねえ、三澤君の腕を触らないでよ。その赤い髪に触れないで。
ねえ、三澤君、女の子たちにその笑顔を見せないで。僕だけにしてよ。
「大塚?」
三澤のほうを見たまま足を止めてしまったので、天宮が顔を覗いてくる。それではっと我にかえって、今頭にどんな言葉を浮かべていたのかと、自分が嫌になった。三澤の良さをみんなにわかってもらいたいと思っていたんだから、これはいいことなのに嫉妬するなんて、親友として失格だ。
「なんでもない。早く行かないと遅れちゃうね」
天宮ともうひとりの男子も同意する。天宮は三澤と女子にも「ほら、出るぞ!」と声をかけ、皆で運動場に向かった。