二学期。学校では十月第一週の体育祭に向けて準備が始まった。
一年生は実行役員以外に大きな役割はなく、Tシャツやキャップ、スローガンを入れた旗といった、クラス単位の準備を進めていく。
翼と三澤はキャップ班になったものの女子が主導権を握っていたので、数度頷くだけで役割を終えた。
困ったのは競技の割り当てのときだ。
「じゃあまずは挙手制で決めるけど……大塚は参加できるのか?」
担任が管理しない、生徒だけでの話し合いだった。クラスの体育祭実行委員に確認をされた。
三澤がレッドレオニーを演じていることが夏休み中にクラスのグループトークを経て広まったのをきっかけに、三澤も、いつも彼の隣りにいる翼もクラスに打ち解けはじめていた。
だが翼の病気のことは、教師たちしか知らないことだ。
この件で翼が体育を毎回欠席している理由を生徒たちが憶測するのは当然だった。
「大塚って、どこか悪いのか?」
「ずっと学校休んでたんだからそうなんじゃないの」
「じゃあ体育祭も不参加?」
生徒たちがヒソヒソと話し出す。
ああ、また繰り返しだ。
──翼君は病気だから。
──大塚はすぐに体調を崩すから無理だろ。
中学生のときは皆が翼の病気を知っていた。同情の視線も反感の視線も同じだけ受け、そのどちらもが辛かった。それに今よりも休学が多かった翼は結局行事を休むことになり、卒業まで皆と同じようにすることも、輪の中に入ることもできずじまいだった。
淋しくて情けなくて、中学の三年間はいい思い出がない。
「僕は」
「大塚は」
翼が発言しようとすると、隣の席の三澤の声が重なり、彼に視線を移した。そのときだ。
「本人が言ってないことを他人が詮索しなくていーじゃん。聞かなきゃなんないのは、やれるかやれないかだろ。大塚、どう?」
夏休みにレオニーランドのカフェで声をかけてきた、リーダー的存在の男子生徒、天宮だった。面倒そうではなく、あっさりと問いかけてくる様子に少し拍子抜けする。
どうしよう。今ここで、自分の思いを言ってもいいのだろうか。
迷いの答えを求めるように三澤に視線を戻すと、こくりと頷いてくれた。
翼も頷き、左手首をバンドごとぎゅっと握る。
「僕は……みんなの言うように身体が丈夫じゃない。でも復学後は調子がよくて毎日学校に来れるようになったから、体育祭の日は出席したいと思ってる。だから……競技は無理だけど、クラスのテントでみんなの応援がしたい」
大勢の人に向けて発言するのは苦手だ。最後のほうは声が震えていた。それでも最後まで言い切れたのは、左手首のお守りと翼を見守ってくれる三澤の瞳があったからだ。
「オッケー。じゃあ大塚はクラスの応援団長ってことでいーんじゃん?」
「えっ?」
天宮の早いレスポンスに、翼だけでなく三澤も、クラスの半数も目を丸くした。
「いいじゃん、レッドとセットでやれば」
レッドとは、天宮が三澤に付けたニックネームだ。
「え? 俺?」
突然名前が浮上した三澤はさらに驚いた。
「あー、いいね。レッド、頼んだ。なら大塚も安心だろ」
「意義ある人、いないよね?」
遊園地で一緒にショーを見た他の生徒も天宮に賛同する。
クラスの中心にいる生徒たちに言われれば、戸惑いはするものの反対意見を唱える生徒はいない。
「はい、じゃあ決まり。レッドと大塚、応援団長っと」
教壇に立っていた実行委員が、ホワイトボードに「クラス応援団長。三澤・大塚」と書き加えた。
翼と三澤は唖然としてホワイトボードを眺めているだけだったが、競技の割り当てへと議題は移っていく。
最終的に翼はクラス応援団長に、三澤は応援団長に加え、リレーと綱引きに当たった。
「応援団長っていっても、生徒全部でやる組分け対抗応援合戦の団員とは別で、単にクラスのやつらが競技に出るときの応援の盛り上げだったり、あとあれだ。開会と閉会の入退場のときに旗を持って先頭歩くだけだから」
昼休みに初めて三澤以外の生徒と教室で机を寄せ合い、昼食を摂っている。
応援団長について説明してくれているのはクラスの体育祭実行委員で、その他には天宮を始め、クラスの中心の生徒たちが一緒だ。
女子も含めて九人が塊となった食事にも落ち着かなければ、翼にとっては初となる大きな役割りに動悸が起きそうだった。
「大塚、大丈夫か」
隣で翼が作ってきたお弁当を食べながら、左隣に座っている三澤がこそっと聞いてくれる。
「大丈夫じゃない。心臓破裂しそう」
「それまずいやつじゃ……保健室行」
すがるような視線で言えば三澤が手を伸ばしかけてくれたが、翼の右隣に座っている天宮が翼の顔を覗き込んだ。
「なにコソコソやってんの。てかさ、なんでふたり、同じ弁当なわけ?」
天宮は翼と三澤の弁当のほうにも交互に視線を移す。
今日のおかずは海苔つくねとカニかまの卵巻き、ブロッコリーの胡麻和えだ。
つくねは豆腐を入れるとふわふわになると母親に習った、本日のメインだ。
「これは、大塚が俺の家を気遣って作ってくれて」
「三澤君がレオニーランドの入場券をくれるからそのお礼に作ってて」
ふたりで声を揃えて言うと、他の六人も腰を浮かせてお弁当箱の中を見てくる。
「そうなの? じゃあさ、あたしも作ってきてあげよっか。あたしも毎週レッドに会いたいなぁ」
「え? いや、それは」
ひとりの女子がお弁当から顔を上げ、三澤の顔を見てニコッと微笑めば、三澤はあからさまに狼狽えた。翼も慣れていないが三澤も女子の接近になれていないのだろう。
女子はその反応が面白いらしく、わざと三澤に上半身を寄せ「照れてる。かーわいい」など言ってからかう。
三澤は「照れてねぇ」と言い返しているも、照れているようにしか翼には見えない。頬と耳を赤く染めているんじゃないか?
ムカムカムカムカ……ふたりの肩が触れ合うのを見ていると、翼は急に食欲がなくなった。なぜかみぞおちあたりが重だるく感じる。つい最近も同じ感覚があったように思うが、思い出せない。
「それちょっと食わせて。俺のと交換」
なんだっけ、いつだっけとみぞおちに蓋をしている不快に眉をひそめていると、天宮の箸が翼のお弁当箱に伸びた。
「駄目だ」
瞬間で三澤の腕が翼の前を通り、天宮の行く手を阻む。
その表情は翼と同じで眉がしかめられており、三澤がやると久しぶりの強面だ。
「は? なんで?」
「なんで……なんでって、その……あ、そ、そうだ。大塚の弁当は体調に合わせた味付けだから、交換が無理だからだ」
「そうなん? じゃぁレッドのほうくれよ」
言い終えないうちに、天宮が翼の向こうの三澤のほうに乗り出す。その際に彼の左手が翼の左肩を抱いて、支柱にされた。
「わ」
反射的に瞼を閉じると、三澤の「あっ」と言う声がして、同時に天宮の気配が前を通る。
次に瞼を開けると、三澤のつくねのひとつが天宮の箸に掴まれていた。
「ゲット~!」
言いながら、天宮はつくねを口の中に入れ、翼の肩から手を引いて元の姿勢で味わう。
「うま! 甘辛味がふわふわに染みてるじゃん。大塚、料理うまいな」
料理番組のレポーターがするようなおいしそうな顔をして褒められた。
単純に嬉しくて、へへ、っと天宮に微笑む。
さすがクラスの中心人物だ。気さくで人との隔たりがない。
一学期は機会がなく関わりがなかったが、レオニーランドで会った以降は、以前からの友人たちと同じように翼と三澤に接してくれる。
おかげでクラスに馴染めていけるのが嬉しい。それになにより、三澤の「不良説」が誤解だったとわかった生徒が増えている。
よかったね、三澤君。と思いながら三澤を見ると、どうしたのか憮然とした表情になってお弁当を見つめていた。
もしかしてつくねを奪われたくなかったのだろうか。そういえば天宮はおかずを交換と言ったのに自分のおかずを三澤に渡していないから。
とはいえそういうことは誰しも言いにくいものだ。それに三澤の隣の女子が「ほら、あたしが作ったポテトベーコン食べてみてよ」と三澤に勧め、三澤が断りながらも女子の方を向いてしまうと、何故かまたみぞおちが重くなる。
他のふたりの女子も「あたしもレッドの餌付けする〜」などキャッキャ言い出し始めるし、翼は翼で天宮と実行委員の生徒から体育祭のことを話しかけられて、いつも三澤とゆったり過ごす昼休みはあっという間に過ぎていった。
一年生は実行役員以外に大きな役割はなく、Tシャツやキャップ、スローガンを入れた旗といった、クラス単位の準備を進めていく。
翼と三澤はキャップ班になったものの女子が主導権を握っていたので、数度頷くだけで役割を終えた。
困ったのは競技の割り当てのときだ。
「じゃあまずは挙手制で決めるけど……大塚は参加できるのか?」
担任が管理しない、生徒だけでの話し合いだった。クラスの体育祭実行委員に確認をされた。
三澤がレッドレオニーを演じていることが夏休み中にクラスのグループトークを経て広まったのをきっかけに、三澤も、いつも彼の隣りにいる翼もクラスに打ち解けはじめていた。
だが翼の病気のことは、教師たちしか知らないことだ。
この件で翼が体育を毎回欠席している理由を生徒たちが憶測するのは当然だった。
「大塚って、どこか悪いのか?」
「ずっと学校休んでたんだからそうなんじゃないの」
「じゃあ体育祭も不参加?」
生徒たちがヒソヒソと話し出す。
ああ、また繰り返しだ。
──翼君は病気だから。
──大塚はすぐに体調を崩すから無理だろ。
中学生のときは皆が翼の病気を知っていた。同情の視線も反感の視線も同じだけ受け、そのどちらもが辛かった。それに今よりも休学が多かった翼は結局行事を休むことになり、卒業まで皆と同じようにすることも、輪の中に入ることもできずじまいだった。
淋しくて情けなくて、中学の三年間はいい思い出がない。
「僕は」
「大塚は」
翼が発言しようとすると、隣の席の三澤の声が重なり、彼に視線を移した。そのときだ。
「本人が言ってないことを他人が詮索しなくていーじゃん。聞かなきゃなんないのは、やれるかやれないかだろ。大塚、どう?」
夏休みにレオニーランドのカフェで声をかけてきた、リーダー的存在の男子生徒、天宮だった。面倒そうではなく、あっさりと問いかけてくる様子に少し拍子抜けする。
どうしよう。今ここで、自分の思いを言ってもいいのだろうか。
迷いの答えを求めるように三澤に視線を戻すと、こくりと頷いてくれた。
翼も頷き、左手首をバンドごとぎゅっと握る。
「僕は……みんなの言うように身体が丈夫じゃない。でも復学後は調子がよくて毎日学校に来れるようになったから、体育祭の日は出席したいと思ってる。だから……競技は無理だけど、クラスのテントでみんなの応援がしたい」
大勢の人に向けて発言するのは苦手だ。最後のほうは声が震えていた。それでも最後まで言い切れたのは、左手首のお守りと翼を見守ってくれる三澤の瞳があったからだ。
「オッケー。じゃあ大塚はクラスの応援団長ってことでいーんじゃん?」
「えっ?」
天宮の早いレスポンスに、翼だけでなく三澤も、クラスの半数も目を丸くした。
「いいじゃん、レッドとセットでやれば」
レッドとは、天宮が三澤に付けたニックネームだ。
「え? 俺?」
突然名前が浮上した三澤はさらに驚いた。
「あー、いいね。レッド、頼んだ。なら大塚も安心だろ」
「意義ある人、いないよね?」
遊園地で一緒にショーを見た他の生徒も天宮に賛同する。
クラスの中心にいる生徒たちに言われれば、戸惑いはするものの反対意見を唱える生徒はいない。
「はい、じゃあ決まり。レッドと大塚、応援団長っと」
教壇に立っていた実行委員が、ホワイトボードに「クラス応援団長。三澤・大塚」と書き加えた。
翼と三澤は唖然としてホワイトボードを眺めているだけだったが、競技の割り当てへと議題は移っていく。
最終的に翼はクラス応援団長に、三澤は応援団長に加え、リレーと綱引きに当たった。
「応援団長っていっても、生徒全部でやる組分け対抗応援合戦の団員とは別で、単にクラスのやつらが競技に出るときの応援の盛り上げだったり、あとあれだ。開会と閉会の入退場のときに旗を持って先頭歩くだけだから」
昼休みに初めて三澤以外の生徒と教室で机を寄せ合い、昼食を摂っている。
応援団長について説明してくれているのはクラスの体育祭実行委員で、その他には天宮を始め、クラスの中心の生徒たちが一緒だ。
女子も含めて九人が塊となった食事にも落ち着かなければ、翼にとっては初となる大きな役割りに動悸が起きそうだった。
「大塚、大丈夫か」
隣で翼が作ってきたお弁当を食べながら、左隣に座っている三澤がこそっと聞いてくれる。
「大丈夫じゃない。心臓破裂しそう」
「それまずいやつじゃ……保健室行」
すがるような視線で言えば三澤が手を伸ばしかけてくれたが、翼の右隣に座っている天宮が翼の顔を覗き込んだ。
「なにコソコソやってんの。てかさ、なんでふたり、同じ弁当なわけ?」
天宮は翼と三澤の弁当のほうにも交互に視線を移す。
今日のおかずは海苔つくねとカニかまの卵巻き、ブロッコリーの胡麻和えだ。
つくねは豆腐を入れるとふわふわになると母親に習った、本日のメインだ。
「これは、大塚が俺の家を気遣って作ってくれて」
「三澤君がレオニーランドの入場券をくれるからそのお礼に作ってて」
ふたりで声を揃えて言うと、他の六人も腰を浮かせてお弁当箱の中を見てくる。
「そうなの? じゃあさ、あたしも作ってきてあげよっか。あたしも毎週レッドに会いたいなぁ」
「え? いや、それは」
ひとりの女子がお弁当から顔を上げ、三澤の顔を見てニコッと微笑めば、三澤はあからさまに狼狽えた。翼も慣れていないが三澤も女子の接近になれていないのだろう。
女子はその反応が面白いらしく、わざと三澤に上半身を寄せ「照れてる。かーわいい」など言ってからかう。
三澤は「照れてねぇ」と言い返しているも、照れているようにしか翼には見えない。頬と耳を赤く染めているんじゃないか?
ムカムカムカムカ……ふたりの肩が触れ合うのを見ていると、翼は急に食欲がなくなった。なぜかみぞおちあたりが重だるく感じる。つい最近も同じ感覚があったように思うが、思い出せない。
「それちょっと食わせて。俺のと交換」
なんだっけ、いつだっけとみぞおちに蓋をしている不快に眉をひそめていると、天宮の箸が翼のお弁当箱に伸びた。
「駄目だ」
瞬間で三澤の腕が翼の前を通り、天宮の行く手を阻む。
その表情は翼と同じで眉がしかめられており、三澤がやると久しぶりの強面だ。
「は? なんで?」
「なんで……なんでって、その……あ、そ、そうだ。大塚の弁当は体調に合わせた味付けだから、交換が無理だからだ」
「そうなん? じゃぁレッドのほうくれよ」
言い終えないうちに、天宮が翼の向こうの三澤のほうに乗り出す。その際に彼の左手が翼の左肩を抱いて、支柱にされた。
「わ」
反射的に瞼を閉じると、三澤の「あっ」と言う声がして、同時に天宮の気配が前を通る。
次に瞼を開けると、三澤のつくねのひとつが天宮の箸に掴まれていた。
「ゲット~!」
言いながら、天宮はつくねを口の中に入れ、翼の肩から手を引いて元の姿勢で味わう。
「うま! 甘辛味がふわふわに染みてるじゃん。大塚、料理うまいな」
料理番組のレポーターがするようなおいしそうな顔をして褒められた。
単純に嬉しくて、へへ、っと天宮に微笑む。
さすがクラスの中心人物だ。気さくで人との隔たりがない。
一学期は機会がなく関わりがなかったが、レオニーランドで会った以降は、以前からの友人たちと同じように翼と三澤に接してくれる。
おかげでクラスに馴染めていけるのが嬉しい。それになにより、三澤の「不良説」が誤解だったとわかった生徒が増えている。
よかったね、三澤君。と思いながら三澤を見ると、どうしたのか憮然とした表情になってお弁当を見つめていた。
もしかしてつくねを奪われたくなかったのだろうか。そういえば天宮はおかずを交換と言ったのに自分のおかずを三澤に渡していないから。
とはいえそういうことは誰しも言いにくいものだ。それに三澤の隣の女子が「ほら、あたしが作ったポテトベーコン食べてみてよ」と三澤に勧め、三澤が断りながらも女子の方を向いてしまうと、何故かまたみぞおちが重くなる。
他のふたりの女子も「あたしもレッドの餌付けする〜」などキャッキャ言い出し始めるし、翼は翼で天宮と実行委員の生徒から体育祭のことを話しかけられて、いつも三澤とゆったり過ごす昼休みはあっという間に過ぎていった。