ペラ……ペラ……

紙をめくる微かな音だけが室内に響く。窓から差し込んだ光が柔らかく自身を包んでいる。

俺はその眩しさに目を細める。そして区切りのいいところで本を閉じ、窓の外を何気なく眺めた。

4月。それは出会いの季節だ。外には期待と不安を抱えて入学してきた新入生の姿があった。桜の舞う、暖かな春の日。

仲間とともに笑い合って、喜び合っているみんなの姿を見ていると、今1人でいる自分が急に惨めに思えてきた。

暖かな光はこっちにも差し込んでいるのに、ここには誰もいない。まるで自分だけ透明な箱で囲われているかのように、隔てられた壁から抜け出すことができない。

……いや、その箱を被せたのは自分か。俺は自嘲気味に笑った。

別に何か特別なことがあったわけじゃない。クラスメイトと上手くいってないわけじゃない。でも、何だかそこに居場所がないような気がして仕方がない。

昔から本が好きだったし、1人でも退屈は全くしなかった。だからこそ、高校2年生になった今も俺はここにいる。

誰もいない図書室で独り、ここにいる。

「……そろそろ帰ろう。」

ポツリと呟き、扉に手をかけた瞬間だった。

「うぉ⁉︎これ自動ドア⁉︎」

目の前の男は俺が先にドアを開けてしまったことで、思いっきりこけた。

「痛ってぇ〜……。って、あ!あんた!ドア!ドア閉めて!!」

うつ伏せの状態なのに何やら逼迫した顔で頼まれてしまい、思わず俺は扉を閉めた。

そんなゾンビが出てくるサバイバル小説じゃあるまいし。何を焦ることがあるのだろうか。

しかし、次の瞬間。

「あれー?春樹くんこっちに来てたよね?」
「嘘、見失っちゃった?……あ、奥に扉あるよ。きっとあそこだ。」

女子の声が廊下に響き渡っている。ここに俺以外の人がくるなんて珍しいなと思いながら聞いていると、うつ伏せ状態の男にズボンの袖を引かれた。

「……何?」

「お願い!オレ、もう体力っ……限界だからっ……何とか誤魔化してっ……はぁっ……。」

……俺は何となく事態を察した。うつ伏せ男の顔を見ると、今まで出会った中でダントツの、ムカつくぐらいのイケメンだった。

綺麗な金色の髪は、窓から差し込んだ光を浴びて一層キラキラ輝いている。

そして何より目を引くのが、瞳だ。碧眼というやつだろうか。絵に描いたような王子様顔だ。その瞳は吸い込まれそうなほどに綺麗で、俺は思わず見惚れて……って、男相手に何言ってるんだか。

「んー……とりあえず奥の方に転がすか……。」

「うぎゃ!ちょ、もうちょい丁寧にしてよー!」

文句を言うイケメンを扉から死角になるような位置まで転がした後、俺は何食わぬ顔で扉を開けた。

すると、思った通り女子は俺に声をかけてきた。女子はおろか、人とあまり話す機会がない俺にとっては荷が重い。しかも複数人同時だ。

「あのー、そこの部屋って……。」

「あそこは図書室だ。俺が最後だったから、鍵を閉めたんだが……。もしかして、用事が?」

我ながら白々しい、と心の中で苦笑しながら話す。勿論鍵なんてかけていないどころか持っていないが。

「あ、そうなんですね。あ、あの!男の人見ませんでしたか?金髪のー……。」

「金髪?見てないな。そんな目立つ髪色の男ならすぐに分かりそうだし。」

「何だ、やっぱりここに来たの見間違いだったんじゃん!最悪ー!撒かれたんじゃない?」
「えー、残念。少し話してみたかったのにー!」
「まだ近くにいるかも!もう少し……。」

と、彼女たちはまるで俺が見えていないかのように廊下を歩いて行った。

「……結局何だったんだ?あいつ。」

そう呟きながらも、俺の心臓は何故かバクバクしていた。いや、何故かって……そんなの、久しぶりに女子と話したからだろ。

自分に言い聞かせるように心の中で呟き、俺も図書室を後にしたのだった。





次の日の放課後、俺はまた図書室に行った。廊下はいつも通りの静けさで、少し安心する。

昨日のイケメンが何処のどいつだとかは正直どうでも良かった。絶対話合わなさそうだし。

そう考えながら図書室のドアを開けて中に入ると、思わず立ち止まってしまった。

何故なら、いたのだ。窓が少し開いているのか、金色の髪をなびかせながら彼が座っていた。その手には本が収まっている。

イケメンは何をしてもイケメンを見せつけられているようで、嫉妬心が芽生える。容姿に嫉妬したってどうしようもないのだけれど。

俺は静かに彼に近づき、手元を覗き込んでみるがその本はよく見ると逆さまだ。これ、読んでないだろ。……絶対読んでいないな。

無視しようか迷ったし、実際普段の俺だったら無視していたはずだった。それなのに、俺は声をかけた。

「何読んでんの?」

「うおっ!?」

彼はビクッと肩を揺らし、勢いよくこちらを振り向いた。

「……あ、昨日の!ドア閉めてくれた人!」

「あぁ、うん。」

「いやー、マジで助かったよ!無事撒くことができたわー、じゃなくて、できましたわ?よ?」

彼はニコリと笑った後、突然焦った顔になり、そして自信なさげに俯いた。

そのあまりの表情の変化の素早さに自然と笑みが溢れた。
 
「あ!笑ったなー!いや、笑いましたわねー?」

「ふはっ。何でそんな変な口調なんだよ。お嬢様なのか?」

「うぅー、オレ、見たらわかると思うのですけど、海外の血が入ってて。それに、中学までは海外育ちだったので、慣れてないのです、わ?」

「わは要らないって。それに敬語もおかしいし……。一体何を教材にしたんだか。」

「でも、あんた、じゃなくてお前……でもなくて。君?は先輩ですよ?」

どうやら、敬語が上手く話せないみたいだ。タメ口では昨日普通に喋っていたし。

「あー、敬語で話さなくていいよ。気にすんな。」

「え!本当か⁉︎じゃあそうする!あ、オレ春樹な!あんたは?」

「……俺は上坂真。」

敬語で話さなくてもいいと言った瞬間にフランクになりすぎて面食らう。

「オレのことは春樹でいいよ!」

ニコッと笑い、右手を差し出してくる。……こいつは一体何なんだろうか。そして何故こんなにもフレンドリーなのか。

別に俺と仲良くなっても何もいいことはないだろうに。あまりの眩しさにクラクラしてくる。

躊躇いながらも握手に応じると、彼はまたニコッと笑った。

「にしても真、お前華奢だなー!ちゃんと飯食ってんのか?」

「ははっ。いきなり真呼びかよ。」

「あ!また笑った!ちゃんと食べなきゃダメだぞ!」

そう言って俺の背中をバンバン叩く。……だからこいつは何なんだ。昨日は人から逃げてたくせに、俺に対して警戒心が無さすぎないか?

「……あの、さ。何で俺と話す気になったんだ?昨日人から逃げてただろ?」

「?あれはじゃぱにーずほらーってやつじゃないのか?こう、ガーって幽霊に襲われる!みたいな?」

思っていた回答の斜め上すぎて、何も言えなくなってしまった。そして、その後の沈黙がさらに可笑しくて。

「ふふ……あははははっ。」

気づけば俺は声をあげて笑っていた。

春樹は突然俺が笑い出したことが理解不能だったらしく、少し拗ねたような顔になる。

「オレ、また変なこと言った……?」

「いや、大丈夫だ。お前はそれでいいと思うよ。」

「……そう、だよな!」

俺がそう言うと、彼はあからさまにホッとした表情になった。だけれど、ほんの少し。ほんの少しだけ、彼の瞳が憂を帯びている気がした。

気のせい、だよな?

俺は勝手に気まずくなってしまい、何とか話題を振ろうとする。しかし、春樹の方が先に口を開いた。

「真は何で毎日ここにいるの?何で、オレを助けてくれたの?」

そう、真っ直ぐに聞いてきた。聞かれて、俺はドキリとした。真っ直ぐな、何もかもを見透かされているかのような目で見つめられると、どうしていいか分からなくなってしまって。

何で、俺はここにいるんだ……?何で、こいつを助けたんだ……?

「……好奇心、かな。」

「好奇心?」

俺は、他人にあまり興味を持たないタイプの人間だったはずだ。でも春樹には何故かもっと話してみたいと思った。昨日心の中で言い訳をしたが、あれは本当は言い訳にすぎなくて。

多分、女子と話したから心臓がバクバクしたんじゃなくて、彼と話したからで……。

でも、何で彼と話したことで心臓がバクバクしたのかは分からない。

そう感じた理由を上手く言葉で説明するのは難しいが、きっと『好奇心』が1番正解に近い、はずだ。

自分の知らない人間だったから、自分と違う人間だったから興味を持ったのだ。

俺がそう言うと、彼はまたニカッと笑った。あぁ、眩しすぎるな……思わず目を細めてしまう。

「ははっ!何それ?変なのー!こーきしんかー!こーきしん!こーきしん!」

そんな無邪気な笑顔を見て、俺も思わず笑みが溢れた。あれ、今日俺笑ってばっかりだな……。

この日を境に、俺の日常は少しずつ変わり始めた。





「真ー!帰ろ!」

「……お前って毎日飽きないのな……。」

最初の出会いから、1ヶ月ほど経っただろうか。今では何故かほぼ毎日一緒に帰っている。帰りたくないわけではないのだが、このイケメンと一緒にいると周りの女子の目が怖いのだ。

しかしそんな俺の気持ちなどつゆ知らず、彼はいつも笑顔で駆け寄ってくる。まるで飼い主に駆け寄る大型犬だ。まぁ本人に言ったら拗ねるだろうから言わないけれど。

「飽きる?何でだ?」

「いや、だってお前めっちゃ人気だし。俺といるよりも、もっと色んな人といた方がいい気がして。」

「……真は、真だから。だから、一緒に帰る。気にしないでいいの。」

彼がいつもの明るいテンションではなく、真面目な眼差しを向けてくる。そんな反応されるとは……。

「……気にするに決まってんだろ……。」

俺が呟くと彼は何故か嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、俺はまたドキッとする。本当に心臓に悪いやつだ。

「真、オレといるの恥ずかしいんだ?」

「……何でそうなんだよ。」

「だって、なんか、嫌なのかなって……。オレはね、真といるの楽しいよ。ふふっ。」

ニコニコと笑う目の前の彼に、少しだけ違和感を覚えた。

「なあ、何かあるんだったらちゃんと言ってくれよ。その……友達、なんだろ?」

「……。うん。」

精一杯フォローを入れたつもりだったのに、彼はさらに悲しそうな顔になった。

何が、何のワードがそんな顔させたんだ?俺はもう一度同じセリフを繰り返す。

「春樹。俺たち、友達じゃなかったのか?何かあるんだったら本当に言うんだぞ。」

「うん!オレたち『友達』だもんね!だから、真のこともっと知りたい!今日は帰るだけじゃなくてさ、一緒に遊ぼうよ!」

……やっぱり、気のせいだったのかもしれない。無邪気に笑う彼はいつもの大型犬のような振る舞いだった。

元々表情が面白いぐらいにコロコロと変わるやつだし、中学まで海外だったのなら、まだ日本に慣れてないだけかもしれないな。

「えっとー、まずやっぱりゲーセンとか⁉︎それから買い食い!それからね〜……。」

「ふはっ。お前、はしゃぎすぎな。焦んなくても時間はあるんだから。」

「はーい!」
 



「……なんか、こうやって遊ぶの初めてだな。」

「真は真面目だからなー!今まで友達と遊んだことないの?」

「何だか失礼な言い方だなぁ。俺だって色々あるんだよ。」

その色々が何かと言われたら難しいけれど……。

そんなことを考えていると、突然春樹に顔を覗き込まれた。思わず少し後ずさる。

「な、何だよ。」

「いや、オレ、真と結構一緒にいるのに知らないことばっかりだなーと思って!『友達』なら色んなこと知りたいよね。」

「お前は急にぐいぐいくんなぁ……。いや、いつもか?まぁいいや。ゲーセンがいいんだっけ?とりあえずそこに行こうぜ。」

俺たちは電車で2駅ほど先にある大きめのゲームセンターに向かった。高校生になって初めて入るようなところだ。……それってもしかして俺だけ?

そんなことを考えながら入店すると、ガヤガヤと賑やかな音が鳴り響く。その雰囲気に圧倒されていると、春樹は突然俺の手を引っ張ってどんどん奥へと進んでいく。

「おい!ちょっと、待てって!」

「えー?あ!これ、見たことある!!」

春樹が指差す方には賑やかな空間があった。……これ、プリクラってやつじゃないか?ゲームセンターにプリクラがあるのは知っていたけれど、入ったのは初めてだ。

すると彼は俺の手をパッと離し、そのままプリクラ機の中へ入って行った。……自由すぎるだろこいつ。一説によると、男性のみのご利用は禁止とかだった気がするが……ここは大丈夫なようだ。

「真、早くこっち来いよー!」

「はいはい。」

「真、もっと笑わなきゃ!」

そんなやりとりを何度か繰り返しながら、プリクラの機械がカウントダウンを始めた。

『3・2……』

「ほら、真!ポーズ!」

『1……!』

カシャッというシャッター音と共に、画面には笑顔の春樹と、微妙な顔をしている俺が映し出されていた。春樹は満足そうにその画面を見つめている。

「あはっ。真変な顔ー!でもこれはこれで面白いな!」

「お前なぁ……。」

俺は思わずため息を吐く。しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。

その後も何枚か撮ったが、ポーズはよく分からないし、眩しくて目を瞑っちゃうしで、正直まともなものは撮れなかった。

「よし!じゃあ次は落書きタイムだー!」

彼が何故こんなにプリクラに詳しいのかは分からないが、一生懸命書いているようだったので、思わずその手元を見つめる。

真剣な表情で描いている姿を見つめていると、まつ毛長いなーとか、目綺麗だなーとか、肌ピカピカだなーとか、そんな女子みたいな感想が湧いてくる。



「……できたっ!」

どうやら、俺がぼーっとしている間に描き終えたみたいだ。ニコニコしながら彼が見せてきたのは、俺の顔にこれでもかというほど加工を施した姿だった。

目はデカすぎるし、唇はツヤ感が人間離れしている。プリクラなんて人生で初めてだから……。

「……ぶっ!」

思わず吹き出してしまった。こんな凄い加工ができるなんて。すると、春樹は何故か嬉しそうに笑う。

「上手いだろー!!」

自信満々に言う彼に少しドキッとしてしまったことは内緒だ。俺はその気持ちを悟られないように慌てて口を開いた。 

「……次は俺が落書きしてやるよ。」

そう言った瞬間、彼の表情が明るくなった気がした。気のせいかもしれないが。

「よっしゃ!次は何描こっかなー!」

そう言って彼は楽しそうに落書きを始める。俺はその間に撮ったプリクラをまじまじと見つめた。

今まで、こんなものとは無縁だったけれど……意外と悪くないなと思ったり。すると、春樹が俺の顔を覗き込んだ。

「真ー?落書きできた?」

「うわっ!びっくりしたぁ……。」

「あははっ!ごめんごめん。」

「あぁ、落書きね……うん。」

俺がそう言うと、彼はさらに顔を近づけてくる。その距離にまた心臓がドキッと高鳴る。

「真?」 

「……いや、なんでもねぇ……。」

「そうか?あ!オレのも見るか!?」

そこには、俺の顔周りに溢れんばかりのハートが散りばめられたような落書きが施されていた。思わず吹き出す俺。

「ぶふっ……おま、これっ……!」

「えー?変かー?」

「やべえよ……ふはっ!」

俺は笑いすぎて涙が出てきた。それを見て彼は何故か満足そうだった。

「真がいっぱい笑ってくれるの、嬉しい。」

そう、小さく呟く春樹。でも、次の瞬間には元に戻っていて。

「あ!でてきたよー。」

そう言って彼は俺の手にプリクラを握らせてきた。それはあまりにもバカらしくて。目が大きすぎて、落書きも意味わからないことがいっぱい描かれてて。

でも、俺は楽しいと思った。春樹が笑ってくれて、俺も笑えて、楽しいと思った。




それから俺たちはゲーセンで遊び倒した。ほとんど春樹が行きたいところに行き、俺がついていくという形だったが、それもまた楽しかった。

「真ー!次あれやろうぜ!」

そう言って彼はクレーンゲームを指さした。中には可愛いぬいぐるみがたくさん入っているようだ。

「いいけど……お前取れるの?」

「任せろって!オレこういうの得意だから!」

そう言いながら小銭を入れ、真剣な顔つきでアームと商品を見つめる。

クレーンは上手くぬいぐるみの頭上に落ちたが……。やはり、というか。何も掴まないままアームは元の位置まで戻ってきた。

「あー!ダメだぁ……。全然動かねーや……。」

そう言ってしょんぼりしている彼を見て思わず笑ってしまった。

「真ひでーよ!」

春樹は少し怒ったように言ったが、すぐに笑顔に戻る。

「……今日、めっちゃ楽しいな。」

そんな春樹の声に、俺は頷く。今日1日を振り返ってみると、やっぱり自然と笑えていて。

でも、きっと誰でもそうなるわけじゃないと思う。多分……春樹と一緒だから。

「そうかもな……。」

そのままストレートに楽しかったとは言えず、少しぶっきらぼうな口調になる。彼は驚いたように目を見開いた。

「真が楽しいなら良かった!」

そう言って彼は俺の肩にもたれかかってくる。……こいつ、距離感近いよな。まぁ、別に嫌じゃないけど。

「あ!そうだ真!これやるよ!」

「ん?」春樹はそう言うとポケットの中から何かを取り出した。

「……キーホルダー?」

「真、本好きなんだろ?さっきガチャガチャしたんだー。だから、これあげる!」

本の形をしたミニチュアキーホルダーが手渡される。

「いつもオレといてくれてありがとーの印!」

「……何だよそれ。俺の方が……。」

「?」

俺の方が、ありがとうって言いたいよとは何だか恥ずかしくて言えなかった。

「あー、何だ、その……。また、遊ぼうな。」

今言うことのできる精一杯の気持ちを伝える。すると、彼は目を細めて笑った。本当に楽しそうに、愛おしそうに笑った。

別れ際、思わず彼を引き留めそうになってしまった。彼は気付いていたのか、いなかったのか分からなかったが、一度だけ振り返って「またね。」と言った。

夕焼けに向かって歩く彼は綺麗だった。物語に出てきそうな、誰にでも優しくて、気さくな王子様。

俺は姫にはなれないけど、できるなら、俺のそばでずっと笑っていてほしいと。そう、思うのだった。





次の日の放課後、俺はいつも通りの時間に校舎をでる。大体、このぐらいに出ると春樹と上手い具合に合流できるのだ。

しかし、今日は彼はいなかった。いつまで経ってもこなかったのだ。

もしかして、先に帰ってしまったのだろうか。何か、用事があったのだろうか。

今まではいつも彼が俺を見つけてくれるからと言って何も考えていなかったことに気がつく。連絡先すらも、交換していないことに気がつく。

あれ……昨日、彼は何と言っていたっけ。……そう。俺のことがもっと知りたいと、言っていた。彼はいつも素直で明るくて、真っ直ぐに言葉を発していた。

でも、俺はどうだろう。俺は、ずっと受け身で彼に甘えっぱなしだったことに気がつく。先輩の癖に、何も考えていなかったことに気がつく。

そして、俺は考える前に体が動いていた。彼がいそうな場所を片っ端から探す。どこに行ったのか、何をしようとしているのかはわからないが……考えるよりも先に足が動いたのだ。



「春樹!」

図書室の扉を乱暴に開けようとすると、先に扉が開いた。俺は勢いのあまりこけてしまう。

……あれ。この展開、何処かで。

「あの時と逆だね。」

俺が顔を上げると、穏やかな顔をした彼が佇んでいた。今までの無邪気な顔とは違って、大人っぽい顔つきに心臓が高鳴る。

「春樹っ……。お前がこないから、びっくりした。」

「ごめん。いつの間にか時間が経ってたみたいでさ。」

「……嘘だ。」

「え?」

「お前は、ここで俺を待っていたんじゃないのか?だから、図書室にいたんじゃないのか?」

これで間違っていたら本当に恥ずかしい限りだが、彼はゆっくりと頷いた。

「そう、だよ。ここでのんびり話したいなーって思って。」

何故か彼は少し寂しそうに笑った。俺は、俺はそんな顔をしてほしいわけじゃないんだ。

いつもの、無邪気な顔が、見たいのに……。

「とりあえず、倒れてないで座ろーぜ。」

そう言われて、俺はふらふらと立ち上がる。これから何を言われるのか、身構える。俺とはもういられないとか?昨日のゲーセンが実は楽しくなかったとか?

グルグルと嫌なことばかりが脳内を駆け巡る。

「真?」

「……え?」

春樹が不思議そうに俺の顔を覗き込む。そこでようやく、自分がずっと彼を見つめていたことに気がついた。

「どうしたの?なんか変だぞ?」

「いや、別に……。」

俺がそう言うと、彼は少し困ったように笑った。その笑顔がまた胸を締め付ける。……そんな顔をさせたいわけじゃないのに。俺は思わず彼の手を握った。すると、驚いたように目を見開く彼。

「今日は、どうしたのさ。」

「……ごめん。俺、お前といるのが楽しくてさ、つい自分のことばかり考えちゃって。」

「オレも、真といるの楽しいよ。」

「俺……今まで春樹に何も言ってこなかったけど……。多分、出会ったときからお前のこと気になってたんだと思う。」

「……うん?」

「でも、その感情の正体が分からなくてさ。好奇心とか言って誤魔化してたけど。本当は、俺は……。」

そこまで言いかけたところで彼は俺の手をぎゅっと握り返した。そしてそのまま俺の唇に人差し指を当てる。まるで静かにしろと言うように。

「……待って。もしかしたら、オレと言いたい事同じかも。それ、オレに言わせて?お願い。」

「おう……え?」

今、彼は何と言った⁇俺と、言いたい事が同じ?そんな、まさかっ……。

「オレね、真のことが好きみたい。友達としてじゃなくてさ……恋愛的な意味で。」

彼は真っ直ぐな目をして言った。その瞳からは真剣さが伝わってくる。俺も目を逸らさずに彼を見つめた。

そして、俺は思わず吹き出してしまう。なんで笑われるのか分からずに困った顔をしている彼にさらに笑いが込み上げてきた。

「あははっ!」

「ちょっとー!何で笑うの!?」

「いやだってお前……ふはっ!そんな真剣な顔して……っ。」

「だって、オレにとっては一大事なんだよ!?真は違うの!?」

彼は少しムッとしたように頬を膨らませる。俺は涙を拭いながら口を開く。この涙は、笑ったから出たものなんだと言い訳しそうになってやめる。もういい加減、素直にならないと。

「俺も、春樹のことが好きだよ。友達としてじゃなくてさ……。なかなか素直に言えなくて、ごめん。」

俺がそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。そしてそのまま俺に抱きついてきた。その勢いに負けそうになりながらも何とか踏みとどまり、彼の背中に腕を回した。

「お前さ、たまに無理してただろ。あれ、何だったんだ。……その時に言ってあげられなくてごめん。」

「真、ごめんばっかりだめだよ。……あのさ、オレ、本当は気づいてるんだ。オレはよく、見た目だけで判断されて。特に日本に来てからはさらに視線を感じるようになった。」

「うん……。」

「あの時の女の子だって、オレが珍しかったから追いかけてきたんじゃん?」

「うん……。」

「何だか、『春樹』ってキャラを強制されてる感じがして、息苦しくて……。真には言ってないけど、実は教室ではいつも1人なんだ。」

「え……?」

知らなかった。気づかなかった。気づいてあげられなかった。俺は、やっぱり彼のことをまだ何も知らない。

「ごめんな、気づいてやれなくて。しんどかったよな、俺が笑顔を強制したから……。」

「もう、ごめんはダメって言ったでしょ?それにね、真の前で笑顔なのは本当に楽しいからだよ!!」

「でも……。」

「でもじゃない!オレ、真といて楽しいの。その……『友達』って言われちゃったのが、ちょっと嫌で拗ねちゃったんだ。」

俺はあの時のことを思い出す。


『なあ、何かあるんだったらちゃんと言ってくれよ。その……友達、なんだろ?』

『……。うん。』


彼の悲しさは、友達というワードにあったみたいだ。

「素直になれなくてごめんとか、真は言ってたけど。オレの方が酷かったよ。だって、勝手に期待通りの自分でいなきゃって空回って……変なところで拗ねちゃって……。」

俺を抱きしめる彼の力が少し強くなった。

なんだ……。みんな、同じなんじゃないか。みんな、弱かったんだ。壁を隔てて、自分の居場所はないんじゃないか、自分は必要ないんじゃないかって思ってたけど。

違ったんだ。みんな、平等に不安で、だからこそ大事な人ができていく。独りでも生きていけるなんて、独りでも楽しいなんて、そんなことはなかった。

だって、彼といてから笑うことが増えたし、どう思われているか気になって仕方がなかったし。

人を好きになることは、怖い事じゃなかったんだ。

「春樹。俺を好きになってくれてありがとう。どんなお前でも、好きだよ。」

「真……!うん!オレも、真がいるだけでね、幸せ。」

そう言って彼は俺の胸に顔を擦り寄せた。彼の髪の毛が俺の頬を掠めてくすぐったい。

夕焼けが彼を照らしていて、とても綺麗で、暖かかった。

「あのさ、これからちゃんと言おうね?」

「え?」

「好きって。」

俺は思わず笑ってしまう。そうだな、俺ももっと言葉にしていこうと思う。そして、幸せだと伝えよう。愛しい人を抱きしめながら、そう誓った。

桜が散り、すっかり緑になった木々たちが2人を見守っていた。まるで、新しい芽を出した2人を祝福するように。

これからたくさん花を咲かせて、彼を彩ってあげたいと思うのだった。