不幸話ってわけではないけれど、私は十五年前に母を、三年前に父を病気で亡くしている。
父は仕事の忙しい人で、私が小さい頃は家庭のことは母に任せっきりだった。
パートで働きながら、家事も子育てもしてくれていた母が倒れたとき、私はまだ高校生で。その日、出張に出ていた父が救急車で運ばれた母の病院に来たのは夜も更けてからだった。
病院のベッドで眠ったまま目を覚さない母のそばで、私は不安で仕方なくて。連絡を聞いてすぐに駆けつけてくれなかった父のことを厳しく責めた。
『なんでもっと早く来れへんかったん!?』
父と私の関係はもともと希薄だったけれど、母が倒れたことで私たちの間には完全に亀裂が入った。
父のことは嫌いではなかった。でも、恨めしく思う気持ちがどうしても拭えない。家族だから。家族なのに……。
しばらくして母が亡くなり、葬儀のあとで私は父に恨み言をぶつけた。
『お母さんが死んだんは、お父さんが負担ばっかりかけてきたからや』
「ごめんな」と哀しそうに謝る父の顔を今も覚えている。それから大学を卒業するまでは実家にいたけれど、父とは必要以上の会話をしなかった。就職して一人暮らしを始めると、母の法事のときしか実家に帰らなくなった。父と連絡をとることもなかった。
だけど本気で憎んでいたわけではなくて、今思えば、母が倒れて不安なときにすぐそばにいてくれなかったことに拗ねていたのかもしれない。私は父に、普段は仕事で忙しくしていても、本当に大切なのは母と自分だと態度で示してほしくて。父がその期待に応えてくれなかったことにがっかりしたのだ。
距離を置こうとする私に、父は必要以上に話しかけてこなかった。それが、私に気を遣っていたからなのか、私と母への罪悪感からだったのかはわからない。
おとなになった頃には、父との間の亀裂は広がり過ぎていて、お互いに距離の取り方もわからなくなっていた。
三年前、そんな父が体調を壊して入院した。知らせをくれたのは、大阪で暮らす父方の叔母だった。
「奈月ちゃんには迷惑かけたくないから教えるなって言われたけど……。何も知らないままはあかんと思うから」
父は身体に癌が見つかって入院。余命半年ほどということだった。
そのときになって初めて、父との関係の希薄さに危機感を持った。叔母が気を利かせて知らせてくれなければ、私は父の訃報が届くまで何も知らずにいたかもしれない。
そこでようやく後悔した。娘の私に病気のことを打ち明けられないくらいに父を拒絶したことを。
これじゃあ、私も母が倒れたときにすぐに駆けつけてくれなかった父と同じじゃないか。
叔母からの連絡を受けた数日後、父の入院する病院に行った。
ずっとまともに口を聞いていない父に会いにいくのは怖くて気まずかったけど……。
そういえばあのとき、健一が病院まで付き添ってくれたな。三股していたクソ男だけど、そういうところは頼りになった。
「僕がそばにいるので安心してください」なんて、調子いいことを言って他の女を選んだことは腹立つけど。
私が父と亡くなる前に少し交流ができたのは、叔母と健一のおかげだったのかもしれない。
私はギリギリ運が良かった。
だから、ああいう後悔はできるだけ誰にもしてほしくないと思う。美月にも。
父は仕事の忙しい人で、私が小さい頃は家庭のことは母に任せっきりだった。
パートで働きながら、家事も子育てもしてくれていた母が倒れたとき、私はまだ高校生で。その日、出張に出ていた父が救急車で運ばれた母の病院に来たのは夜も更けてからだった。
病院のベッドで眠ったまま目を覚さない母のそばで、私は不安で仕方なくて。連絡を聞いてすぐに駆けつけてくれなかった父のことを厳しく責めた。
『なんでもっと早く来れへんかったん!?』
父と私の関係はもともと希薄だったけれど、母が倒れたことで私たちの間には完全に亀裂が入った。
父のことは嫌いではなかった。でも、恨めしく思う気持ちがどうしても拭えない。家族だから。家族なのに……。
しばらくして母が亡くなり、葬儀のあとで私は父に恨み言をぶつけた。
『お母さんが死んだんは、お父さんが負担ばっかりかけてきたからや』
「ごめんな」と哀しそうに謝る父の顔を今も覚えている。それから大学を卒業するまでは実家にいたけれど、父とは必要以上の会話をしなかった。就職して一人暮らしを始めると、母の法事のときしか実家に帰らなくなった。父と連絡をとることもなかった。
だけど本気で憎んでいたわけではなくて、今思えば、母が倒れて不安なときにすぐそばにいてくれなかったことに拗ねていたのかもしれない。私は父に、普段は仕事で忙しくしていても、本当に大切なのは母と自分だと態度で示してほしくて。父がその期待に応えてくれなかったことにがっかりしたのだ。
距離を置こうとする私に、父は必要以上に話しかけてこなかった。それが、私に気を遣っていたからなのか、私と母への罪悪感からだったのかはわからない。
おとなになった頃には、父との間の亀裂は広がり過ぎていて、お互いに距離の取り方もわからなくなっていた。
三年前、そんな父が体調を壊して入院した。知らせをくれたのは、大阪で暮らす父方の叔母だった。
「奈月ちゃんには迷惑かけたくないから教えるなって言われたけど……。何も知らないままはあかんと思うから」
父は身体に癌が見つかって入院。余命半年ほどということだった。
そのときになって初めて、父との関係の希薄さに危機感を持った。叔母が気を利かせて知らせてくれなければ、私は父の訃報が届くまで何も知らずにいたかもしれない。
そこでようやく後悔した。娘の私に病気のことを打ち明けられないくらいに父を拒絶したことを。
これじゃあ、私も母が倒れたときにすぐに駆けつけてくれなかった父と同じじゃないか。
叔母からの連絡を受けた数日後、父の入院する病院に行った。
ずっとまともに口を聞いていない父に会いにいくのは怖くて気まずかったけど……。
そういえばあのとき、健一が病院まで付き添ってくれたな。三股していたクソ男だけど、そういうところは頼りになった。
「僕がそばにいるので安心してください」なんて、調子いいことを言って他の女を選んだことは腹立つけど。
私が父と亡くなる前に少し交流ができたのは、叔母と健一のおかげだったのかもしれない。
私はギリギリ運が良かった。
だから、ああいう後悔はできるだけ誰にもしてほしくないと思う。美月にも。