翌朝、私は美月を置いて家を出た。
「玄関に鍵置いとくから、下のポストに入れて出てね」
「……はーい」
 ソファーに寝転んだまま手をあげる美月は、まだ眠そうだ。昨夜は午前三時頃まで飲んで、美月の話を聞かされた。そのうちの半分くらいは、健一への愚痴だった。
 美月は私に散々愚痴を吐いて、かなりすっきりしたらしい。
 私も美月ほどではないけれど、健一に対してモヤモヤしていた気持ちを吐き出せた。健一が同じ会社の中条さんと結婚を決めた手前、会社の同僚や共通の知り合いには話し辛かったことも、知り合ったばかりの美月だから話せた。
 おかげで私も眠いけど、仕事を休むわけにはいかない。
 施錠は美月にまかせて、仕事に出かける。
「いってきます」
「……いってらっしゃーい」
 寝ぼけてふにゃふにゃの美月の声を聞きながら、このまま彼女とはお別れかと思うと少し淋しいような気もする。
 美月は私が仕事に行っている間に、しばらく泊めてもらえそうな友人に会いに行くそうだ。
 家を出て駅に向かって歩きながら、連絡先だけでも交換しておけばよかったかな、と。ふとそんな考えが頭をよぎる。
 七つ年下で、私とはまったく性格の違う美月。彼女のような子と知り合うことは、あとにも先にもないだろう。
 だが、会社について業務を始めると、美月とのことは一瞬にして忙殺された。
 いつもどおりに仕事をこなして、帰宅したのは19時過ぎ。
 夜ごはん、何食べよう。作り置きのおかずは何があったかな。
 疲れた頭でぼんやり考えながら玄関のドアを開けると、甘辛いすき焼きのような匂いがふわっと漂ってきた。
 一瞬、家を間違えたかと思ったけれど、玄関周りの風景はうちで間違いない。足元に視線を落とすと、自分の靴に混ざって、一足見慣れない靴がある。昨日招き入れた美月のものだ。
「え、まさか……」
 バタバタと廊下を歩いてリビングに向かうと、キッチンに立っていた美月が顔をあげる。
「あ、奈月さん、おかえり〜」
 まるでそこにいるのがあたりまえかのような笑顔をみせる美月に、私は言葉を失った。
 なんでまだいるの……?
 無言で立ちつくす私を見て、美月が気まずそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。なんでまだおるんかって感じよね。実は、今日会う予定だった友達には泊めるのはムリって断られてしまって。じゃけえ、他をあたりよるんやけど……」
「まだ泊めてもらうアテが見つからない?」
 私の問いかけに、美月がバツの悪そうな顔で頷く。
「気付いたら夕方になってしもうたけえ、昨日のお礼も兼ねて奈月さんにごはん作ろうと思って……、勝手にキッチン借りました。食材は近くのスーパー行って買ってきたよ。ごめんなさい。勝手なことばっかするけえ、怒っとる……?」
 美月が私の顔色を窺うように見てくる。
 勝手なことばっかりしてるって自覚はあるのか。
 はあーっとため息をつくと、私はキッチンに近付いた。
「で? 何作ってくれたの?」
 カウンター越しに手元を覗くと、私に許されたと思ったのか、美月がパァーッと目を輝かせる。
「えっとねえ、肉豆腐」
 玄関を入ったときのすき焼きのような匂いは、これだったらしい。ガスコンロの上で、肉と豆腐と野菜を煮込んだ鍋が湯気を立てながらグツグツ鳴っていた。
 いいにおい。美味しそう……。
「料理できるんだ?」
 綺麗なネイルをした美月の手が料理をするところをあまり想像できない。私のつぶやきを聞くと、美月が誇らしげに胸を張った。
「うちの実家、和定食の店やってんの。店は兄夫婦がつぐんじゃけど、あたしもたまーに注文取ったり配膳手伝いよんよ。じゃけえ、簡単な和食なら作れるよ」
「そうなんだ」
「奈月さん、よかったら食べてくれる?」
 美月がそう言って、かわいく首を横に傾ける。
「もちろん。私、お腹ぺこぺこ」
「よかったあ」
 ほっとしたように笑う美月は、ちょっと可愛い。
 私は荷物を置いて部屋着に着替えると、美月と一緒に食事の準備をした。
 美月は肉豆腐のほかに、冷蔵庫に残していたじゃがいもと玉ねぎでお味噌汁も作ってくれていた。
 健一と暮らしていたときに使っていたペアの食器が、ひさしぶりに揃って食卓に並べられる。最近は誰かと一緒に家で食事をすることはなかったけど、二人分の食事がのったテーブルは賑やかだ。