「準備するから待ってて」
 ふっと苦笑いして、私は席をたった。
 小分けにして冷凍庫に入れたチキンライスを温めると、卵を焼いて包む。大きめの丸皿にオムライスを載せ、ポテトサラダを添えて出すと、美月がなんとも言えない表情になった。
 もしかして、思っていたオムライスとイメージが違ったかな。
 チキンライスを薄焼き卵で包み込むタイプのものを出してたが、美月はカフェで出てくるようなふわふわオムライスを期待していたのかもしれない。
 想像と違って微妙な気持ちになることってあるよね。
 作り直そうかな……。
 無言でお皿を引こうとすると、
「このポテサラ作ったの、奈月さん?」
 美月が私に訊いてきた。
「うん、残り物でごめんね」
 申し訳ない気持ちでそう言うと、美月が慌てて首を横に振る。
「いや、そういうつもりで聞いたんじゃなくて……。なんていうか、その……このポテサラ、そっくりなんよ」
「……そっくりって?」
「あたしが前にここに来たとき、ケンちゃんが作ったって言って出してくれたのとそっくり。ポテサラってジャガイモ潰してあるものが多いけえ、潰さないポテサラってめずらしくない? これ、奈月さんがケンちゃんに作り方教えたん?」
 美月がちょっと悲しそうに訊いてきた。
 美月の言うとおり、私が作るポテトサラダはジャガイモをマッシュ状にはせずに、カットして茹でて、形を残したままにする。少し面倒くさがりな実家の母がポテトサラダのジャガイモをいつも潰さずに作っていたのもあって、私にはこっちのほうが馴染み深い。
 付き合い始めてすぐの頃に健一に出したら気に入ってくれて、それ以来、ときどき作っていた。
「レシピを直接教えたことはないよ。健一、あんまり料理作ることに興味なかったから。でも、あなたには作ってたんだ?」
 意外な一面もあったんだな。そう思っていたら、美月の表情が曇る。
「作ってたっていうか……、作ってるところを直接見たことはないんよ。広島におるとき、ケンちゃん家に行ったらたまに『ごはん食べてく?』って冷蔵庫から作り置きのおかずを出してくれることがあって。それをあたしはケンちゃんの手作りと勝手に思いよったんじゃけど……」
 美月が上目遣いに私をじっと見てくる。それで、口を閉ざした彼女が何を言いたいのか察してしまった。
「たぶんそれ、私が作っておいといたやつ。健一、ほっといたら家の中ぐちゃぐちゃだから。広島で働いてるときも月一で部屋掃除しに行ってたよ、私。このポテサラは、健一が好きでよく作ってたメニュー。半年前にあなたが来たとき、私は出張だったから、カレーと一緒に作り置きして出かけたと思う」
「うわー、やっぱり」
 私の話に、美月がガックリと肩を落とす。落ち込む彼女を見て、せっかくの健一との綺麗な思い出を壊して悪かったかなと思う。
「ごめん、私余計なこと言ったね」
「いや、なんか、現実知って目え覚めた」
「健一のことはもういいの?」
「いいっていうか……。もうどうもならんじゃろ」
 美月がそう言って、諦めたように笑う。それから、「これじゃあ、ほんまに帰られんわ」と額を押さえてつぶやいた。
「え、帰るところないの?」
 微妙な顔で訊ねた私に美月が「ちがう、ちがう」と苦笑いで首を振る。
「帰られんのは、気まずくてってこと。実はあたし、親とケンカして出てきたんよ。あたしもあたしなりに将来とかいろいろ考えよるのに、お父さんてば『家の手伝いもせんと、いつまでフラフラしとんのじゃ』て人の話も聞かんと怒るからさ。こっちも頭に来て、今付き合うとる人と駆け落ちするけえって家飛び出したん。そしたら、このザマ」
 ははっと笑って、美月が長い横髪を耳にかける。彼女の左耳で、指輪とお揃いのデザインのピアスがキラリと揺れた。
「それで、明日からはどうすんの?」
 美月の耳に光るピアスを視界の端でとらえながら訊ねると、彼女が「うーん」としばらく頭を悩ませた。
「学生のときの友達に大阪出てきてる子がおるけえ、とりあえずしばらく泊めてもらえんか聞いてみるよ」
「家には帰らないの?」
「駆け落ちする言うて出てきたんよ? さすがに一日じゃ帰れんじゃろ」
「そうかな。帰ったらいいじゃない」
「ムリよ。あたし、そんな神経図太くないけん」
 そうかな。夜中に押しかけてきて、彼氏の浮気相手かもしれない女に啖呵切れるくらいには図太いと思うけど。
 顔の前で手を振る美月に微苦笑する。
「もしよかったら、私から親御さんに電話してあげようか?」
 保護者的な気持ちで提案したら、美月が「ええーっ」と顔をしかめた。
「そんなん、していらんよ。奈月さんが怒られるわ。うちのお父さん、怒るとめっちゃ怖いんよ。あたしが家出るときも、『二度と戻って来んでええけえの!』って、ものすごかったんじゃけえ」
「愛情と心配の裏返しなんじゃないの?」
「どうじゃろ。あたしは兄妹の中でも一番出来が悪いけえ、家におっても怒鳴られてばっかりよ。じゃけえ、今やってる仕事を早く軌道にのせて独立したいんよね」
「仕事って、派遣の?」
「違う違う、それは副業のほう。あたしの本職はこれ」
 にこっと笑って、美月が自分のピアスに触れる。意味がわからず、「……?」な表情を浮かべると、美月が耳元で揺れるピアスを指差した。
「これ、どう思う?」
 白いパールや青系ののストーンがじゃらじゃらっとぶら下がっているピアス。美月がはめている指輪と同じデザインで、彼女によく似合っている。
「うん、かわいい」
「ほうじゃろ」
 私の褒め言葉に、美月が嬉しそうに口角を引き上げた。
「これ、あたしが作ったピアス。こういうハンドメイドのアクセサリーをSNSにアップして販売しとるんよ」
 スマホを取り出した美月が、SNSを開いて私に見せてくる。
「売ってるのは、今つけてるみたいなピアスとかリングとか。あと子どもにも使ってもらえるようなレジンで作ったヘアゴムとか。最近は固定のお客さんも増えてきて、希望のイメージを聞いてオーダーメイドのアクセサリーを作ったりもしとるんよ」
 スマホの画面をスクロールしながら話す美月は、目を輝かせていて楽しそうだ。
「へえー、かわいい」
「ありがとう! そういえば、ケンちゃんと知り合ったきっかけもアクセサリーなんよね。あたし、たまに地元のショッピングモールとかで期間限定のブース出しとるんやけど、そこにケンちゃんが立ち寄ってくれたんよ。妹の誕生日にプレゼントするピアスがほしいとかで、オーダーメイドの注文受けて、そこから連絡取り合うようになったんじゃけど……」
 そこまでまでペラペラとしゃべって、美月がハッとしたようにトーンダウンした。
「へえ……」とつぶやいた私のテンションが低かったからだと思う。
「ごめんなさい。もうどうもならんて言うたのに、こんなん未練あるみたいじゃね」
「健一のこと、本気で忘れたいって思う?」
 複雑そうな美月の表情をしばらく見つめてから、私は意地悪覚悟で聞いた。
「思うよ」
「ほんとにほんと?」
「奈月さん、なんでそんなしつこく聞くん?」
「本気で忘れるつもりなら、あいつのクズ情報ひとつ教えてあげようと思ったから」
「……なに?」
 一拍おいてから、美月が覚悟を決めた目をする。
「健一、妹はいないよ。あいつにいるのは、弟だけ」
 静かな声で事実を伝えると、美月の顔がひきつった。
「ガチ?」
「ガチ」
「ええー。じゃあ、あたしが作ったオーダーメイドのピアスはどうなったん。奈月さんへのプレゼント?」
「私はもらってないよ。だから、健一と結婚するあの子がもらったのかもね」
 美月に苦笑いを返すと、彼女が眦をつりあげた。
「奈月さん、なんでそんな冷めた顔でそんなこと言うん? ケンちゃんと先に同棲しとったんは奈月さんじゃろ。それを横取りされたのに、ムカつかんの?」
「ムカつくよ。私の十年返せって思う。でも、子どもできたって言われたらどうしようもないし」
 悔しくても悲しくても、私が身を引くしかなかった。
「そうかもしれんけど……。奈月さんは、もっと怒っていいじゃろ。ていうか、もっと怒りんさい! あたしは今の話聞いて、めっちゃ腹たったわ」
 荒ぶった声で美月に言われて、ハッとした。
 そうか。私、もっと怒ってもよかったのか。でも、やっぱりもう今さらだ。
「あー、腹立てたら喉乾いた。奈月さん、ビールないん?」
「冷蔵庫に二、三本あるけど……」
「一本ちょうだいよ。奈月さんも、飲も!」
 勢いよく立ち上がった美月が、冷蔵庫からビールを二缶とってくる。
 いいとは言ってないけどな……。
 キッチンに向かう美月の背中を苦笑いで見送る。
 随分とあけすけな性格だけど、たぶん美月は悪い子ではない。
 無遠慮な美月の行動に呆れつつも、彼女のおかげで健一へのわずかな未練が吹き飛んだような気がした。