「ねえ、ケンちゃんは?」
 顔を引きつらせる私に、ギャルが不満顔で訊ねてくる。
「そんな男はいません。ここは私の家なので」
 実際に、今はもうこの部屋の契約者名義は私だ。
「ウソじゃあ。だって半年前遊びにきたとき、ここに連れてきてもらったのに」
 淡々と話す私に、ギャルが疑いの目を向けてくる。そんな彼女の言葉に、頬がヒクリと痙攣した。
 半年前ということは、ちょうど私が出張に行っていた頃だ。あのクソ男、私がいないときに勝手にこの子を部屋に入れたのか……!
 ふたりで暮らしていた部屋に、無断で知らない女を入れていたことが許せない。もちろん、悪いのは健一のほう。だけど、責めるべきクソ男が不在な今、私の怒りの矛先は、何も知らずにやってきたギャルへと向けられた。
「たしかに、健一はここに住んでましたよ。彼女(、、)の私と。だけど、一ヶ月前に出て行きました。あいつには、私とあなた以外にも女がいたんです。その女に子どもができたから結婚するって。そう言ってたけど、聞いてない?」
 意地悪く訊ねると、「え?」とつぶやいて、ギャルが口をハクハクと動かした。少しずつ顔色を失っていく彼女を見れば、何も聞かされていなかったのだということはすぐにわかる。
「聞いてない。子どもって……、結婚するって何? ケンちゃん、あたしと結婚したいって言ってくれてたのに……」
「ふーん。それ、私にも言ってたよ。日本は一夫一妻制だっていうのに、なに考えてんだろうね」
 ふっと鼻で笑うと、ギャルが脱力するようにスーツケースの横にしゃがみ込んだ。
「そっか。それで最近、ケンちゃん音信不通だったんだ……」
 ギャルが、ため息を吐いて両手で顔を覆う。ずずっと鼻を鳴らして泣いている彼女の長い爪には、ラメやストーンをのせたブルー系のネイル。その色が綺麗で、なんとなくそこに目がいってしまう。大きめのパールがついた右手の中指のオープンリングも、彼女の細い指に似合っていて可愛かった。
 爪には割れないように保護するためにベースしか塗らず、メイクも最低限のことしかしない私と違って、足元にしゃがむギャルは髪の毛からもメイクからも爪の先からも彼女らしさがあふれ出ている。健一と付き合っていたという彼女は、私とは完全に違うタイプだ。
 子どもができて健一と結婚することになった会社の後輩の中条さんも、私とは全然違うタイプ。彼女は清楚系のお嬢様という雰囲気で、実際に実家が太いらしい。中条さんは、目の前のギャルともまた全然タイプが違う。
 三股かけていろんなタイプをちょっとずつ味見して、最終的に健一は守ってあげたい雰囲気のお嬢様タイプの女を結婚相手に選んだ。考えれば考えるほど、最低だ。
「バカじゃねえ、あたし。音信不通になった時点で、ケンちゃんに捨てられたんかもしれんって予想はついてたのに。ひとりでこんなとこまで来て、なんしょーるんじゃろ」
 健一のことを思い出して顔を引きつらせる私の足元で、ギャルがずびびーっと、いっそう激しく鼻を啜る。
 いや、こんなところで泣かれてもな。夜中に近所迷惑。苦情がきたらどうしよう……。
 すすり泣く彼女を冷めた目で見つめる。しばらくそうしてから、私は「はあーっ」と深いため息をついた。
「とりあえず、中入る?」
 ギャルの明るい頭髪を見下ろして声をかけると、彼女がゆっくりと顔をあげる。驚いたように見上げてくる彼女からは、最初の毒気が抜けていた。
「……いいんですか?」
 初対面で人のことを「おばさん」呼ばわりしてきたギャルが、しおらしく訊ねてくる。
「いいも悪いも……。夜中に家の前で泣かれるのも迷惑だし。それに、こんな遅い時間に、どこか行くあてあるの?」
 呆れ顔で訊ねると、彼女が無言でうつむいた。
 彼女のことはよく知らないけど、きっと後先考えずにスーツケースひとつで家から飛び出してきたんだろう。なんとなく、そんな気がする。
 突然連絡がとれなくなった健一のことが気になって、不安で、ここまでやってきたのだとしたらかなり不憫だ。
 夜中に押しかけてきて非常識極まりないけど、この子も私と同じ、健一の被害者。裏切られたことがわかった彼女をこのまま夜中の街にほったらかしにして、万が一にも何かあったら後味が悪い。
「どうぞ、入って」
 あーあ、なんてお人好しなんだろう。心の中で自嘲しながら、私は元カレの彼女を部屋の中に招きいれた。