真夜中の五分前。
「あんた、誰?」
突然鳴ったインターホンに玄関のドアを開けると、若い女が私を睨んでそう言った。
明るい茶髪に、グレー系のカラコンを入れた大きな目、黒のアイラインと睫毛で盛られたアイメイク。デコルテのざっくり開いたトップスを着て、小さなピンクのスーツケースを持った彼女は、推定年齢二十四歳。圧倒的目力でガンを飛ばしてくる彼女をひとことで表すならば——。
ギャルだ……!
もちろん、私の知り合いではない。
そのギャルが、大きな瞳で私を睨みながらもう一度言った。
「あんた、誰?」
夜中にいきなり訪ねてきて、不躾な女だ。酔っぱらって帰る部屋を間違えたのかもしれないが、それにしても初対面の相手への態度が失礼すぎる。
もちろん、きちんと相手を確認せずにドアを開けてしまった私も悪い。真夜中のインターホンに、「もしかしたら」と淡い期待を抱いてしまった。もうとっくに吹っ切っているつもりだったのに、まだ私はあの男に少しの未練があったのか。そんな自分が嫌になる。
「たぶん、間違えてますよ」
唇に微苦笑をのせつつドアを閉じようとすると、ギャルが外側からぐっとドアノブを引っぱってくる。
は? なに?
わすかに頬をひきつらせる私を、ギャルがカラコン入りの大きな目で品定めるようにジロリと見てきた。
「あんた、ケンちゃんの新しい女? あんたみたいなおばさん、あたしは絶対認めんけえ。いるんじゃろ。ケンちゃん、出して」
方言の混ざった、ケンカ腰の話し方。ギャルの言葉にはいろいろと引っかかるところがあるが、彼女の言う「ケンちゃん」は、私の元恋人の健一。そういう認識で、おおむね間違いないだろう。
まさか会社の後輩だけでなく、こんな素性のしれないギャルにまで手を出していたなんて。ほんとうに頭が痛い。
元彼の健一は金融機関で働く私の同期だ。頭が良くて仕事の飲み込みが早く、社交的。ついでに顔の良かった彼は、新人の頃から先輩や上司からの評価が高かった。
入社してすぐに健一と同じ部署に配属された私は、第一印象で彼のことが少し苦手だと感じた。健一はあきらかに陽キャだったし、真面目な私とは絶対に気が合わない。そう思っていたのに、健一は社内でいつもフレンドリーに私に話しかけてきた。
入社して半年が経った頃、成り行きで仕事後にふたりで飲んで帰ることになり、それをきっかけに健一によく食事に誘われるようになって、彼から告白されて付き合った。意外なことに、同じ部署に配属されたときから、彼は私のことが気になっていたらしい。
第一印象は苦手なタイプだと思ったが、健一とは意外に話が合った。フットワークが軽くて、週末は私の趣味の寺社巡りに一緒についてきてくれたし、出かけた先での美味しいものをいつもリサーチしてくれた。
ちょっと適当で無神経なところがあるけれど、見た目はかっこいいほうの部類に入るし服装がオシャレ。話がうまいから、一緒にいて飽きることがない。健一に対する私の「苦手」が「好意」に変化するまであまり時間はかからなかった。
だけど、彼には大きな欠点もあった。それは、女癖が悪いところ。
付き合う前は私に一途に見えていたのに、付き合ってからは私に内緒で合コンに参加していたり、そこで知り合った女の子とメッセージのやりとりをしてふたりで食事に行ったり、そういう小さな浮気を平気な顔で頻繁にしていた。
その度にケンカになったけれど、口の上手い健一に情で訴えられて、最後は私が言いくるめられる。そういうことを繰り返しながら、私と健一はなかなか離れられずにずるずると付き合ってきた。
全国転勤があるうちの会社で、健一が広島に行くことになったのは二十八歳のとき。
「二年でまた大阪に戻って来れる予定だから、戻って来たらそのときに結婚も考えよう」
健一からそんなふうに言われて、嬉しいけれど少し不安な気持ちで始まった遠距離恋愛。約束どおりに二年で戻ってきた健一と大阪市内にマンションを借りて同棲を始めて一年半。そろそろ本気で結婚の話も考えなければなと思っていたその矢先、健一が私に告げた。
「奈月。俺、京都支店に移動決まった」
「ふーん、いつから?」
そう訊ねながら、頭の中でいろいろ思考を巡らせた。
京都なら今の家からなんとか通えなくもないけど、健一は朝が弱いからなるべく職場に近いところに住みたいかな。
でも、私も職場が遠くなるのはいやだから、もう少し京都よりの大阪に引っ越すことになるかな。そのタイミングで結婚——、とか。
だけど、健一から返ってきたのは予想外の答えだった。
「正式な異動は二ヶ月後。だけど、この家は早めに出て行くわ」
そう言われて、「え?」と思考が停止する。
「ちょっと待って。そんなことひとりで勝手に決めないでよ。私だって仕事があるのに、急に引っ越しなんて困る」
「だよな。だから、奈月はこのままここに住めばいいよ」
「え、でも……」
どうせすぐに一緒に暮らすことになるのに、健一の新居と今の部屋で二重に家賃を払うのはもったいない。少し大変かもしれないけど、いい引っ越し先が決まるまでは健一が今の家から頑張って通えばいいのに。
わずかに眉をしかめた私に、健一がへらりと笑いかけてくる。それから、さらに予想外のことを言ってきた。
「悪い、奈月。俺、総務の中条さんと結婚することになった。実は彼女に子どもできちゃってさ」
「ごめん」と両手を合わせて悪びれなく笑う健一に呆れて、怒るのも忘れた。戻ってきたら結婚を考えようと約束していた男は、同じ会社の総務の後輩と二股をかけていたのだ。
そんな経緯で三十二歳になるまで十年近くずるずると付き合ってきたクソ男と別れたのが、ちょうど一ヶ月前。もう関わることはないと思っていたのに、まさかこんなカタチであいつと関わることになるなんて。しかも、二股じゃなくて三股だったとは……!
「あんた、誰?」
突然鳴ったインターホンに玄関のドアを開けると、若い女が私を睨んでそう言った。
明るい茶髪に、グレー系のカラコンを入れた大きな目、黒のアイラインと睫毛で盛られたアイメイク。デコルテのざっくり開いたトップスを着て、小さなピンクのスーツケースを持った彼女は、推定年齢二十四歳。圧倒的目力でガンを飛ばしてくる彼女をひとことで表すならば——。
ギャルだ……!
もちろん、私の知り合いではない。
そのギャルが、大きな瞳で私を睨みながらもう一度言った。
「あんた、誰?」
夜中にいきなり訪ねてきて、不躾な女だ。酔っぱらって帰る部屋を間違えたのかもしれないが、それにしても初対面の相手への態度が失礼すぎる。
もちろん、きちんと相手を確認せずにドアを開けてしまった私も悪い。真夜中のインターホンに、「もしかしたら」と淡い期待を抱いてしまった。もうとっくに吹っ切っているつもりだったのに、まだ私はあの男に少しの未練があったのか。そんな自分が嫌になる。
「たぶん、間違えてますよ」
唇に微苦笑をのせつつドアを閉じようとすると、ギャルが外側からぐっとドアノブを引っぱってくる。
は? なに?
わすかに頬をひきつらせる私を、ギャルがカラコン入りの大きな目で品定めるようにジロリと見てきた。
「あんた、ケンちゃんの新しい女? あんたみたいなおばさん、あたしは絶対認めんけえ。いるんじゃろ。ケンちゃん、出して」
方言の混ざった、ケンカ腰の話し方。ギャルの言葉にはいろいろと引っかかるところがあるが、彼女の言う「ケンちゃん」は、私の元恋人の健一。そういう認識で、おおむね間違いないだろう。
まさか会社の後輩だけでなく、こんな素性のしれないギャルにまで手を出していたなんて。ほんとうに頭が痛い。
元彼の健一は金融機関で働く私の同期だ。頭が良くて仕事の飲み込みが早く、社交的。ついでに顔の良かった彼は、新人の頃から先輩や上司からの評価が高かった。
入社してすぐに健一と同じ部署に配属された私は、第一印象で彼のことが少し苦手だと感じた。健一はあきらかに陽キャだったし、真面目な私とは絶対に気が合わない。そう思っていたのに、健一は社内でいつもフレンドリーに私に話しかけてきた。
入社して半年が経った頃、成り行きで仕事後にふたりで飲んで帰ることになり、それをきっかけに健一によく食事に誘われるようになって、彼から告白されて付き合った。意外なことに、同じ部署に配属されたときから、彼は私のことが気になっていたらしい。
第一印象は苦手なタイプだと思ったが、健一とは意外に話が合った。フットワークが軽くて、週末は私の趣味の寺社巡りに一緒についてきてくれたし、出かけた先での美味しいものをいつもリサーチしてくれた。
ちょっと適当で無神経なところがあるけれど、見た目はかっこいいほうの部類に入るし服装がオシャレ。話がうまいから、一緒にいて飽きることがない。健一に対する私の「苦手」が「好意」に変化するまであまり時間はかからなかった。
だけど、彼には大きな欠点もあった。それは、女癖が悪いところ。
付き合う前は私に一途に見えていたのに、付き合ってからは私に内緒で合コンに参加していたり、そこで知り合った女の子とメッセージのやりとりをしてふたりで食事に行ったり、そういう小さな浮気を平気な顔で頻繁にしていた。
その度にケンカになったけれど、口の上手い健一に情で訴えられて、最後は私が言いくるめられる。そういうことを繰り返しながら、私と健一はなかなか離れられずにずるずると付き合ってきた。
全国転勤があるうちの会社で、健一が広島に行くことになったのは二十八歳のとき。
「二年でまた大阪に戻って来れる予定だから、戻って来たらそのときに結婚も考えよう」
健一からそんなふうに言われて、嬉しいけれど少し不安な気持ちで始まった遠距離恋愛。約束どおりに二年で戻ってきた健一と大阪市内にマンションを借りて同棲を始めて一年半。そろそろ本気で結婚の話も考えなければなと思っていたその矢先、健一が私に告げた。
「奈月。俺、京都支店に移動決まった」
「ふーん、いつから?」
そう訊ねながら、頭の中でいろいろ思考を巡らせた。
京都なら今の家からなんとか通えなくもないけど、健一は朝が弱いからなるべく職場に近いところに住みたいかな。
でも、私も職場が遠くなるのはいやだから、もう少し京都よりの大阪に引っ越すことになるかな。そのタイミングで結婚——、とか。
だけど、健一から返ってきたのは予想外の答えだった。
「正式な異動は二ヶ月後。だけど、この家は早めに出て行くわ」
そう言われて、「え?」と思考が停止する。
「ちょっと待って。そんなことひとりで勝手に決めないでよ。私だって仕事があるのに、急に引っ越しなんて困る」
「だよな。だから、奈月はこのままここに住めばいいよ」
「え、でも……」
どうせすぐに一緒に暮らすことになるのに、健一の新居と今の部屋で二重に家賃を払うのはもったいない。少し大変かもしれないけど、いい引っ越し先が決まるまでは健一が今の家から頑張って通えばいいのに。
わずかに眉をしかめた私に、健一がへらりと笑いかけてくる。それから、さらに予想外のことを言ってきた。
「悪い、奈月。俺、総務の中条さんと結婚することになった。実は彼女に子どもできちゃってさ」
「ごめん」と両手を合わせて悪びれなく笑う健一に呆れて、怒るのも忘れた。戻ってきたら結婚を考えようと約束していた男は、同じ会社の総務の後輩と二股をかけていたのだ。
そんな経緯で三十二歳になるまで十年近くずるずると付き合ってきたクソ男と別れたのが、ちょうど一ヶ月前。もう関わることはないと思っていたのに、まさかこんなカタチであいつと関わることになるなんて。しかも、二股じゃなくて三股だったとは……!