ーーッパン!
小気味よい乾いた音が辺りに響く。
ーーッパン!
しばらくするとまた、同じ音。
これで10射連続である。
今回の候補者は、なかなかに腕の立つ者のようだ。これならば、最近右肩下がりの成婚率も上向きに戻るかもしれない。
御上も成婚率の低下をグチグチと言ってくる前に、まともな射手候補を連絡してきてほしいものだ。
御上の怠慢な仕事ぶりに、心の中で悪態をつく。
そうこうしているうちに、今回の候補者は、さらに2射を的中させる。
12射全てを的中とは、大した腕前だ。さすが、次代の弓の名手と言われるだけのことはある。
候補者が、休憩に入ったようなので、早速声をかけることにした。
「さすがの腕前だねぇ。岡部愛くん」
パチパチと規則正しい拍手と共に、愛に向けた称賛の言葉は、冷めた視線と、乾いた言葉に打ち消されてしまった。
「……どうも」
僕のことなど全く興味がないと、愛が全身から放つオーラは物語っているけれど、僕は、ここで怯むわけにはいかない。
彼女をスカウトできなければ、事務所存続の危機に陥る。そして、何より、僕の評価にも関わってくる問題なのだ。是が非でも、愛をスカウトしなくては。
「きみのその腕前を見込んで、是非とも、お願いしたい事が……」
「お断りします」
またもや瞬殺。しかも、全くこちらを見ていない。
真っ白な胴着に、ほっそりとした身体を包み、黒い袴をスッと着こなし、肩甲骨辺りにまである黒髪を、無造作に一つに結んでいるその後ろ姿は、清廉潔白と言う言葉がとても相応しく見えるけれど、今はダメだ。
「それは、人と話す態度ではないね。そういう杓子定規な態度だから、未だに、就職の内定が取れないのでは?」
僕の言葉に、愛は勢いよく振り向く。キレイな顔は怒りに歪んでいた。
僕だって本当は、こんなイヤラシイ手は使いたくない。でも仕方がない。事務所存続のためだ。
「……どうしてそれを?」
怒りに震える彼女は、それだけを言うのがやっとのようだ。
正直、キレイな人の怒りの形相ほど恐ろしいモノはないと僕は思っているけれど、今は、逃げ出さないように我慢我慢。
「大学4年生の12月も終わろうとしているのに、就職先が決まっていないとは、内心さぞかし焦っている事だろうね」
「あなた、なんなの? さっきから」
やっと、僕と話してくれる気になったみたいだ。これで、本題に入れる。
「きみをスカウトに来たのさ! 僕の事務所で働かないかい?」
僕の誘いを、初めは眉を顰めて、胡散臭そうに聞いていた愛だったが、僕の懸命なアピールの甲斐あってか、事務所で話の続きを聞いても良いと、態度を軟化させてくれた。
堅物で融通の効かなそうな印象を受けたが、実は、真面目な良い子なのだろう。
まぁ、真面目過ぎるが故に、就職活動は暗礁に乗り上げているようだから、内心は、僕のスカウトに思いっきり飛びつきたいのかもしれない。これは、案外すんなりと射手を確保できるかもしれないぞ。
彼女を確保出来たら、すぐにでも仕事に取り掛かれるように、道すがら、宣伝用のチラシもばら撒いてきた。準備に抜かりは無い。
いざ! スカウト開始!
「さあさあ。座って座って」
事務所の入り口に立ったまま、不躾に室内を見廻している愛に、僕は、依頼者と面談をする時に使う、応接ソファへ腰を下ろすよう勧める。
「ここは本当に結婚相談所なのですか?」
「そうだけど?」
納得がいかないという顔で、室内をジロジロと見られるが、見られて困るような物もない。何しろ、室内は、打ちっぱなしのコンクリート壁に四方を囲まれ、こじんまりとした応接セットと、事務用の机が1つ、その上にデスクトップ型のパソコンが1台あるだけだ。
「結婚相談所と聞いていたので、私は、もっとこう、……ピンクピンクした煌びやかな所を想像していました」
「ピ、ピンクピンク?」
「はい。ハートの風船が浮かんでいたり、ピンクの壁紙だったり……」
一体、どんなイメージだ。それは。いや、もしかしたら、それが、世間一般の結婚相談所というものなのだろうか。これは、市場調査が必要かもしれないな。
「いや〜、うちは、ちょっと特別な事務所でね。他所とは違うのだけれど、愛くんは、その、ピンクピンク? していた方がいいのかな?」
「いえ、私は、そういった感じは苦手ですので、この、殺風景な感じに少し安心しました」
「……あ、……ははは。あ、そう。それは良かった」
歯に絹着せぬ物言いに、僕は、乾いた笑いを出すしかない。しかしながら、彼女にとっては、事務所の印象は悪くないようなので、良しとするか。
「ところで、私をスカウトというお話ですが、私のどこを買われてのことでしょうか? その……実は、大変申し上げにくいのですが……私は、恋愛経験がございません……」
「恋愛経験? そんなもの必要ありませんよ」
僕は、愛の目を見て、キッパリという。
「きみの、弓の腕前さえあれば、問題ありません!」
愛を雇いたかった理由。それは、『愛の矢』の射手としてだ。
僕が所長を務める、『結婚相談所 キューピット』は、かつては、成婚率100%を誇っていた。その理由は、もちろん、恋のキューピットである僕が、運命の二人を、愛の矢によって結び付けていたから。
愛の矢を受けた人は、たちまち恋に落ち、そのまま一直線に結婚まで駆け抜ける。そして、その運命の人とのみ、生涯を共にする。
しかし、最近は離婚が増えた。それから、生涯おひとり様を貫く人も増えたのだが、その一因が、残念ながら僕にある。僕は、30年ほど前に、箪笥の角に肩をぶつけて以来、弓を思うように引けなくなってしまったのだ。
事務所存続の危機に陥った僕は、神様が管理する人材バンクに、適性のあるアシスタントを推薦してもらうことにした。
しかし、残念なことに、これまでのアシスタントの腕前は芳しくなくなかった。ほとんどの矢が運命の相手に届かなかったのだ。たまに、矢が刺さっても、刺さり具合が浅いようで、ちょっとしたことで、矢が外れてしまい、心が離れたカップルは、離婚してしまう。
しかも、アシスタント達は、すぐに辞めてしまうから、困っていた。
「なぜ?」
ここまでの業務内容を含めた、事務所案内を聞いていた愛が、首を傾げる。
「お手当のことで、ちょっとね……」
「まさか、この事務所は、ブラック企業なのですか?」
愛の言葉に、僕は、ブンブンと首を振る。
「違う、違うよ。お手当は、歩合制にさせて貰ってる。1組成婚で、10万円」
「10万円……」
「前のアシスタントの人達は、……その……うまく成婚しなかったから、あまり、お手当が出せなくてね……。君の弓の腕前なら、そう難しいことではないよ。例えば、1週間に1組ずつ成婚させれば、1ヶ月後の収入は40万。悪い話ではないと思うけどなぁ」
そんな話をしていると、ドアベルが、カランカランと鳴り、来客の訪れを知らせる。
二人して、視線をドアの方へ向けると、ちょうど、ドアの隙間から、男性が顔を覗かせたところだった。
「あの〜、チラシを見てきたんですけど……」
「ああ、はい。少々お待ちくださーい」
依頼者を外に待たせ、愛へと向き直る。
「愛くん、とりあえず、うちのシステムを理解するためにも、ここで、見学しててもらえないかな?」
パソコン前の椅子を引き、彼女をそちらへ誘導すると僕は、愛想よく依頼者を室内へと招き入れる。
「どーぞー。中へお入りくださーい」
入ってきたのは、ヨレヨレのシャツに、皺々のズボン。髪はボサボサ。おまけに、無精髭まで備えた、見るからに、恋愛なんて興味ありません系男子だった。
これは、もしかして、マンガ喫茶か何かと勘違いして来たのではないだろうか。
念のために僕は、声を大にして、事務所名を名乗る。
「ようこそ! 結婚相談所キューピットへ」
「あの……、成婚率100%と言うのは、本当ですか?」
先ほどばら撒いたチラシが握られている。相談者で間違いないようだ。
「あ〜、そうですね。まずは、こちらへどうぞ」
僕は、先ほどまで、愛が座っていた、ソファへと男性を誘導する。
やばい! 成婚率100%は、30年も前のデータだ。最近は、右肩下がりだが、そんなこと、馬鹿正直に宣伝に載せるわけないじゃないか。誇大広告だと言われる前に、急いで、実績を取り戻さなければ……
「え〜、結婚をお考えと言うことで宜しいですか?」
「そうです。出来れば、すぐにでも」
意思確認をする僕の言葉に、男性は、少々食い気味に頷く。見かけによらず、結婚に随分と前向きなご様子。人を見た目で判断してはいけないですね。反省反省。
僕は、相談者に向かって、ニッコリと微笑む。
「ずいぶんと、意欲的ですね」
「あの……、どのくらいで結婚できますかね?」
「どのくらいと言うのは、期間ですか? それとも費用ですか?」
「……両方です」
「そうですね。まず、費用ですが、こちらは、成婚時、つまり、ご結婚を決められた際に、報酬として20万円頂ければ結構です。それ以外の費用は、一切頂きません」
「えっ?」
「次に、期間ですが、お急ぎということであれば、1週間以内の成婚を目指します」
「ええっ?」
男性は驚いているようだが、岡部愛の弓の腕前ならば、あっという間にカップル成立となるだろう。
「ちょっと、失礼」
僕は席を外すと、デスクトップ画面で身を隠すようにして、椅子に座っている愛に向かって、小声で声をかける。
「愛くん。今回の件、やってみないか? インターンシップという形で。これが成功すれば、4月から、きみを正式採用したいと思うのだが?」
「正式採用……」
彼女はしばし逡巡したのち、小さく頷いた。やはり、内定に惹かれたか。
僕は、男性の元へと戻ると、事務所のシステムを軽く告げる。
「お相手に求める条件は、3つまで伺うことが出来ます。但し、どれか1つの条件を満たしているお相手をピックアップさせて頂くことになりますが、宜しいですか?」
相談者 真野純は、よほど、結婚を急いでいるようだった。これは何か訳ありかと思い、それとなく理由を聞いてみた。
彼は、愛が通う大学の大学院生で、何かの研究をしているようだ。
本人曰く、恋愛や結婚には、全く興味がなく、日々研究だけに没頭していたいらしい。つまり、見た目通りの人だった。
しかし、周りがそれを許さない。両親や、彼が師事している教授などが、事あるごとに、「誰か好い人はいないのか」「身を固めてはどうか」と、彼の将来を案じてくる。それがとても煩わしい。その煩わしさを回避するには……
そうだ! サッサと結婚してしまえばいいのだ!!
という考えに至ったのだと言う。
なんだか、動機がめちゃくちゃ歪な気もするが、本人が望んでいるのだから、ここは、一肌脱ぐしかあるまい。
「と言うことで、愛くん! 一肌脱いでくれ」
「いきなり、セクハラですか? 最悪ですね」
「イヤイヤイヤ。違うじゃん。コレは、言葉の綾じゃん。知らない? 一肌脱ぐって?」
「知っています。冗談です。コミュニケーションの一環です」
は? 冗談!? そんな、苦虫を噛み潰したような顔で、冗談とかやめてよ。そんなんだから、内定取れないんだよ。
僕は、暫くの間、上を向き、いつもよりも瞬きを多めにした。
なんとか気持ちを落ち着けると、辺りを伺う。僕たちは、依頼を遂行する為に、純と愛の通う大学へとやって来ていた。
依頼者の身近なところに、お相手となり得る人物がいないだろうかと、物陰からそっと様子を伺う。
「愛くん。真野くんの第1条件は、なんだったかな?」
「髪の長い人、だそうです」
「は? 何それ? 美人とか、金持ちとか若いとかじゃなくて?」
「私欲がダダ漏れですね。軽蔑します」
僕は、両手を顔の前で思いっきり振って、射殺さんとするかのような、愛の冷たい視線を散らす。
「ち、違うよ。よく聞く条件を言っただけ。でも、長い髪って……」
「長い髪は、手入れが大変なので、それを維持し続けている女性は、他でも努力を惜しまずにしてくれそう、とのことです」
「な、なるほど。着眼点が些かユニークな気がするけれど、一理あるかも」
変に納得をした矢先、数メートル先の角から、沢山の取り巻きを連れた女性が現れた。
緩く巻いた長いミルクティー色の髪を靡かせるその様は、まさに、ターゲットにふさわしい。
「愛くん! あの人!! あの人にしよう」
僕の指示に従って、弓の名手、岡部愛は、サッと矢を番え、初任務に手を掛けた。
愛によって放たれた矢は、ターゲット目掛けて、一直線に飛んでいく。
これならば、すぐに成婚率も上向きになるだろう。
申し分ない腕前に、僕は、余裕綽綽、腕を組み、事の成り行きを見守っていた。
しかし。
--ペシ! カランラン……
耳に届いたその音に、僕は、目を見開く。
愛の矢は……
ターゲットが、ファサっと首元の髪をかき上げた拍子に、無情にも手の甲で払い落とされ、虚しく、地面に転がった。
「あぁ……」
「そんな……、私が、外すなんて……」
僕の口からは、無意味な音が漏れる。僕の隣で自信満々に矢を放った張本人も、信じられないと言うように、呆然としている。
ターゲットは、自分が仕出かした事など全く気が付かず、取り巻き達と楽しそうに談笑しながら、屋内へと姿を消した。
「あの……、すみません。弓の腕には、かなり自信があったのですが……」
愛は、失敗したと言う事実に、相当打ちのめされているようで、すっかり俯きポーズだ。
「だ、ダイジョブ、ダイジョブ。ほら、まだ、矢はあと2本あるし。次、次……」
僕は顔を引きつらせながらも、愛のテンションを戻す為、なるべく明るく応える。
「次……そうですね。次こそは」
愛は顔を上げ、キリリと表情を引き締めた。
しかし、あのターゲットは、ずいぶんとタイミング良く、愛の矢を払い落とせたものだと考えて、ある可能性に思い至る。
稀にあるのだ。他のキューピットの矢を受けている者を、ターゲットとしてしまうことが。
ターゲット被りが起こることは滅多にないのだが、全くないと言うこともない。そんな時は、今回のように、ターゲット自身によって、本人たちはそうとは気づかずに、愛の矢を払い落とすことが出来る。
もしかしたら、的中済み物件だったのか。
そんなことを考えていると、耳元で、愛が遠慮がちに声をあげる。
「あ! あの人はどうでしょう?」
愛の指し示す方へ視線を送ると、Tシャツにショートパンツスタイルで、颯爽とジョギングをする、ショートヘアの女性がいた。
「あの人、髪短いよ。真野くんの条件には……」
「ですが、真野さんの第2条件は、スポーツをする人ですよ。条件は1つ当てはまればいいのですよね?」
「確かにそうだけど……」
「私に、任せてください。今度は、絶対外しません」
先ほどのこともあるので、慎重にターゲットは見極めたほうが良いのだが……
僕の逡巡の隙をついて、愛は、2本目の矢を番え、ターゲット目掛けて、目一杯弓を引き絞る。