マキが、自分の見ないうちにそんなにも合唱団の中心的存在になっていたとはまるで知らなかった。親がわざと言わないようにしていたのかもしれない。もとよりマキは優れた才能と音楽センスを持つ人だったからその結果は当然のような気がする。しかし、マキの歌声を最後に聞いたのはとうに1年以上も前だったから、今日の歌声は僕の耳に新鮮に響いた。
このあとは2年間暮らすことになる校舎と宿舎の紹介があるそうだ。講堂を出ると青い空に、緑色の葉っぱがソヨソヨと揺れている。とてもいい天気だ。ここは歌うためだけに過ごす学校だ。家柄も、年齢も関係なく、ただ歌うことが好きな少年が集まり、歌う。決して大規模な音楽学校ではない。世界中を巡るような学校でもない。
しかし昔からひっそり、この音楽学校は合唱界隈で一定の地位を築いていた。たった2年間だが、卒業生は美しい音楽と庭と友情に触れ、心の豊かな音楽家になる……そんな学校だ。
食堂へ向かって歩いていると、右脚に痛みが走り思わず顔をしかめた。膝を中心に鈍く響く痛みは、ケントに続いて早足で移動していたスピードを緩めなくてはならない。
「大丈夫?」
立ち止まった僕に気づいて、ケントが心配そうに声をかける。
「ちょっとぶつけただけ」
ほんと? と小さな口で不思議そうに尋ねるケントをなだめて、もういちどゆっくりと足を動かす。大丈夫、そんなに激しい痛みじゃない。嫌な汗が額に滲むが、かかとから響く鈍痛はケントと話すことでいくらか誤魔化せた。
「お腹空いてきた~」
コンソメの匂いが鼻をくすぐる。ケントは食堂へ、僕の手を引いた。
かつて友人に傷つけられたせいで、後遺症が残る右脚。僕が同期と比較して年が上なのも怪我のせいだ。病院に3か月間入院し、その後もリハビリなどで休むうちに結局1年間学校を休学して……自動的に留年。そんな代償を払ってもなお、消えない鈍痛にはほとほと困らされている。今まで右脚で踏んでいたピアノのペダルは、もう痛み無しには踏めない。しかし、痛みに耐えてなお弾きたいという訳ではなかったから、惰性で続けていたピアノ教室を辞めることに未練は無かった。ピアノを辞め、時間がぽっかりと空いた。けど、考えごとをするでもなく、唯々マンガを読んでゴロゴロしていた。そんなとき、マキが海外で有名な音楽学校に入学したという話を母親から聞いた。あれはちょうど退院して、自宅から、リハビリのために病院へ通う日々にも飽き始めたころだった。
僕も歌をやりたいと告げると、母親は喜んで指導を始めた。結局僕は元の学校に復学すること無く、海の向こうの音楽学校へ進学することとなった。
合格を機に、嬉しそうな母親の姿を見て、安堵したのを今も鮮明に記憶している。リオはチャンス手にしたのよ、と庭の花々を手入れする母親の姿は、僕が事故に遭ってから久しく見ていない明るい表情だった。あの頃、僕は何か夢中になれるものを欲していたのだろう。絶え間なく教えられた歌の旋律に、母親とデュエットしたときの移りゆくハーモニーの美しさに、僕は胸を打たれていた。神への称賛の歌や、恋愛や友情の歌。訪れたことのない国の風景の歌。病院と自宅という狭い世界で過ごしていたとは思えないほどに広い世界を体感していた母との一年と数か月は、僕の人生にとって最大の転機であったことは間違いなかった。
このあとは2年間暮らすことになる校舎と宿舎の紹介があるそうだ。講堂を出ると青い空に、緑色の葉っぱがソヨソヨと揺れている。とてもいい天気だ。ここは歌うためだけに過ごす学校だ。家柄も、年齢も関係なく、ただ歌うことが好きな少年が集まり、歌う。決して大規模な音楽学校ではない。世界中を巡るような学校でもない。
しかし昔からひっそり、この音楽学校は合唱界隈で一定の地位を築いていた。たった2年間だが、卒業生は美しい音楽と庭と友情に触れ、心の豊かな音楽家になる……そんな学校だ。
食堂へ向かって歩いていると、右脚に痛みが走り思わず顔をしかめた。膝を中心に鈍く響く痛みは、ケントに続いて早足で移動していたスピードを緩めなくてはならない。
「大丈夫?」
立ち止まった僕に気づいて、ケントが心配そうに声をかける。
「ちょっとぶつけただけ」
ほんと? と小さな口で不思議そうに尋ねるケントをなだめて、もういちどゆっくりと足を動かす。大丈夫、そんなに激しい痛みじゃない。嫌な汗が額に滲むが、かかとから響く鈍痛はケントと話すことでいくらか誤魔化せた。
「お腹空いてきた~」
コンソメの匂いが鼻をくすぐる。ケントは食堂へ、僕の手を引いた。
かつて友人に傷つけられたせいで、後遺症が残る右脚。僕が同期と比較して年が上なのも怪我のせいだ。病院に3か月間入院し、その後もリハビリなどで休むうちに結局1年間学校を休学して……自動的に留年。そんな代償を払ってもなお、消えない鈍痛にはほとほと困らされている。今まで右脚で踏んでいたピアノのペダルは、もう痛み無しには踏めない。しかし、痛みに耐えてなお弾きたいという訳ではなかったから、惰性で続けていたピアノ教室を辞めることに未練は無かった。ピアノを辞め、時間がぽっかりと空いた。けど、考えごとをするでもなく、唯々マンガを読んでゴロゴロしていた。そんなとき、マキが海外で有名な音楽学校に入学したという話を母親から聞いた。あれはちょうど退院して、自宅から、リハビリのために病院へ通う日々にも飽き始めたころだった。
僕も歌をやりたいと告げると、母親は喜んで指導を始めた。結局僕は元の学校に復学すること無く、海の向こうの音楽学校へ進学することとなった。
合格を機に、嬉しそうな母親の姿を見て、安堵したのを今も鮮明に記憶している。リオはチャンス手にしたのよ、と庭の花々を手入れする母親の姿は、僕が事故に遭ってから久しく見ていない明るい表情だった。あの頃、僕は何か夢中になれるものを欲していたのだろう。絶え間なく教えられた歌の旋律に、母親とデュエットしたときの移りゆくハーモニーの美しさに、僕は胸を打たれていた。神への称賛の歌や、恋愛や友情の歌。訪れたことのない国の風景の歌。病院と自宅という狭い世界で過ごしていたとは思えないほどに広い世界を体感していた母との一年と数か月は、僕の人生にとって最大の転機であったことは間違いなかった。