慌ただしい季節はクライマックスを迎えようとしていた。校内で行われたクリスマス礼拝の後片付けは年長者が自然とやる事になっていた。華やかなビュッフェスタイルで行われた晩餐会は、笑顔と、美味しい匂いで幸せ一杯だった。先生たちと、年長者数名の残った食堂の余計な照明は落とされ、静かに食器の当たる音や机を移動する音が反響している。茶色いソースが残る銀の大皿を重ねて持ち上げる。
「……っと、あ、危なあ……」
見た目よりもずっと重く、バランスを崩す。
「持ちすぎだ」
「……助かった」
 床に汚れた皿を落っことす寸前に、間一髪でマキが僕の腕を掴み支えた。へへ、と言い訳じみた溜息をしながら、僕は長机に大皿を戻した。オルゴールの音が微かに聞こえる。食堂はがらんとしていて、近くには僕とマキしかいない。明日もコンサートが控えているため、ほとんどが早々に部屋へ戻っている。
「すまない」
 マキは突然頭を下げ、身を引いた。
「……何で? 謝るのはこっちの方だよ。ごめん、助かった」
 マキは渋い表情をする。その変化に僕が気づかないわけが無かった。
「あのさ、聞きたいことがあるんだ」
 マキはぐらりと身体を揺らした。
「……僕のこと、嫌いなの?」
 2人の間に沈黙が流れる。マキは返事を言いあぐねているようにも、困っているようにも見える。しかし僕はじいっとマキの瞳を強く視ていた。
「資格がない、と前に言っただろ」
「資格、資格って何さ。僕は、マキのこと好きだよ。それじゃ駄目なの? それでも資格がないとかそんな事を言う?」
 つばを飛ばしながら僕は言い放つ。静かな食堂に大きく響く声。恐らく食堂の向こうにいる人にも聞こえるくらいの大きな叫びだ。
「僕が好きなのに、マキが僕の事を嫌いになる必要なんて無いよね」
「言ってることがむちゃくちゃだ」
 喉から出るのは情けない声だった。僕はマキを見上げる。
「僕はマキのこと好きだから。嫌いにならないで」
 ぐら、っと膝の力が抜け、激痛が走る。怪我の後遺症だ。感情が高ぶり、変な姿勢でマキに突っかかったせいで――。
「気をつけろ」
 マキに支えられ、床に崩れ落ちずに済んだ。脇を抱えられ、椅子に座らせられる。ふいに鼻がツンとしたと感じるや否や、堰を切った涙があふれだした。自分自身でも理解ができない。
「泣くなよ。ってか……お前のことを嫌いだったことは一度もない
 視線を合わせるように、マキは目の前にしゃがみ込んだ。
「理音のこと、ずっと好きだった」
 目の前の好きな人以外に聞こえないかのように、低い声で、囁くようにゆっくりと言われた。マキの、はっきりとした僕の名前を呼ぶ声。それは、確かに届いた。顔を見合わせ、今にも当たりそうな鼻先をかすめ、頬にキスをされる。
「……え」
 マキの唇が触れた頬を指先で確認する。しかし、マキは静かに僕のことを見つめていた。再会してから、こんなにも長く目があったことは無かった。だが、その前はあったかもしれないということを思い出した。頑なに無視され、厭われ続けてきた、ここに来てからの半年を思い出して胸がぎゅうと苦しくなる。
「じゃあ何で、ずっと……ずっとあんな酷いこと」
 自分でも理解できない感情が頭の中を支配する。息を吸うのも苦しいくらいに、〝なにか〟が、僕の身体を塞いでゆく。
「俺が、酷い人間だからだ。お前の腕を、あの時もっと強く引いていれば……もっと軽いけがで済んだはずだったのに」
マキは僕の肩を優しく掴んだ。
「お前のことが、好きだったから躊躇してしまった」
そのまま白い頬に涙が伝った。
「泣かないでよ」
「俺が、お前を好きだったせいで、お前の将来を潰すことになってしまったんだ」
 涙をこぼしたのはマキの方だった。
「そんなことないよ。いま、こうやって皆と歌えているじゃないか」
 ううん、と首を振ってマキは否定する。
「お前が事故に巻き込まれるのを防げなかった。あのとき、俺は、様子の変な車がいることに気づいてはいた。……お前の腕を、もっともっと強く引いていたら、自動車に巻き込まれないで済んだはず。なのに、動けなかった。謝れないで、俺から、謝りに行きもしないで、偶然再開できた幸運に乗っかって……好きだなんて言えなかった」
涙がまた一筋静かに流れる。
「嫌いじゃ」
「ない。でも、俺といたら、事故のことを、また、思い出しちゃうんだろ?」
 マキは優しいひとなのだ、と痛感する。
「なのに……何で、俺の後なんか付いてくるんだ」
「マキが、憧れだからだよ。好きだから、一緒に頑張りたいから」
「……ッ、お前、は。……あぁ」
 マキは一度離した僕の身体をもう一度抱き寄せ、今度はゼロ距離の顔へと告げた。
「ごめん。ずっと、好きだった」
 そのまま、額にキスが落ちる。甘い言葉に、マキの胸に顔を埋めたまぶたがじわりと熱くなるのを感じた。