「本番だ」
聴き慣れていた声が僕に話しかけた。後ろを振り向くと、マキがスッと立っている。整髪料か何かでしっとりとまとめられた黒髪を、初めて見た。反射的に息をのんだ僕をマキは静かに見下ろしている。
「マキ」
「皆さん、そろそろ出ますよ」
その言葉への返事が来る前に、トム先生が十九人をまとめて並べ始めた。
僕の後ろに、マキが並んでいる。そして小さな頭たちの向こうに、ステージとなる広場のあかりが見える。
立ち位置は2列目中央。マキと中央を分ける場所だ。比較的高身長の僕やマキがこの位置になるのは何となく分かっていた。しかし何か因縁めいた位置にすら思えてくる。
「それでは、合唱団によるクリスマスコンサートです。みなさま、盛大な拍手でお迎えください」
地鳴りのように湧き上がる拍手。一体どれだけの人が集まったのか。今までの比ではない位観客がいることだけが分かる。
肩をポンと叩かれる感覚がした。しかし列は動き出していて、振り返る時間はない。
――マキ、だよね。
隣で歌うこととなるマキをふいに意識した。
――そうだ、みんなの声も聴かなくちゃ。独りよがりな歌は合唱じゃない。
軽やかな三連符が続き、ノエルのハーモニーから、クリスマスコンサートは始まった。
恰幅の良い身体によく似合うタキシードを着たトム先生は、にこやかな笑顔で僕たちを指揮する。
リハーサルのときよりもずっと、ずっと楽しそうに。つられて僕も笑顔になっていく。隣で聞こえるバスの低音パートが心地よい。人々のリズムを感じる波も、笑顔も同様だ。
1曲目が終わり、2曲目が終わり、順繰りに進んでいくうちに、ステージは終わってしまった。
あんなにも苦しんで練習したはずの曲さえも、コンサートの一瞬のうちに流れて消えた。
入場のときよりもさらに大きい拍手と、ブラボーと叫ぶおじさんの声で意識を引き戻される。どんどん増えた観客は、端が見えない位になっていた。肩車をされている小さい子もちらほらいる。
「ブラボー、リオ!!」
その時、舌足らずな声が僕の耳に飛び込んだ。
人混みを目で辿る。
知っている。僕の知っている声がした。
そして右端に、まっすぐ僕を見つめるケントがいた。
目が合った瞬間、胸が苦しくなり、息が止まりそうになる。
意識して瞬きを繰り返しても、ケントはそこにいて、僕たちをじっと見つめていた。
ステージをやりきった感動と、ケントを見つけた複雑な感情。その2つが僕の心をかき乱した。
頬になまぬるい水滴が垂れる感覚がした。その涙は、全然止まらない。何で? という位、全く止まらない。
再度促されたお辞儀をしながら、僕はぐちゃぐちゃになっていた。
もう一度顔を上げたときには、人混みのせいでケントを見失っていた。退場のため、横を向くとマキの大きな背中が立っている。
その背中に、抱き着きたい感覚に陥る。
――どうして。こんなにも、うまくいかないんでしょうか。
ステージを去る直前に、僕は無理やり振り返り、イルミネーションのともった大きなツリーに祈りを捧げた。
神さま、ひとつ願いが叶うのならば、ケントにチャンスをください。
きらきらと輝くツリーがその祈りを聞き遂げてくれたかどうかは判らない。しかし、僕は心の底からそう願ったのだった。
聴き慣れていた声が僕に話しかけた。後ろを振り向くと、マキがスッと立っている。整髪料か何かでしっとりとまとめられた黒髪を、初めて見た。反射的に息をのんだ僕をマキは静かに見下ろしている。
「マキ」
「皆さん、そろそろ出ますよ」
その言葉への返事が来る前に、トム先生が十九人をまとめて並べ始めた。
僕の後ろに、マキが並んでいる。そして小さな頭たちの向こうに、ステージとなる広場のあかりが見える。
立ち位置は2列目中央。マキと中央を分ける場所だ。比較的高身長の僕やマキがこの位置になるのは何となく分かっていた。しかし何か因縁めいた位置にすら思えてくる。
「それでは、合唱団によるクリスマスコンサートです。みなさま、盛大な拍手でお迎えください」
地鳴りのように湧き上がる拍手。一体どれだけの人が集まったのか。今までの比ではない位観客がいることだけが分かる。
肩をポンと叩かれる感覚がした。しかし列は動き出していて、振り返る時間はない。
――マキ、だよね。
隣で歌うこととなるマキをふいに意識した。
――そうだ、みんなの声も聴かなくちゃ。独りよがりな歌は合唱じゃない。
軽やかな三連符が続き、ノエルのハーモニーから、クリスマスコンサートは始まった。
恰幅の良い身体によく似合うタキシードを着たトム先生は、にこやかな笑顔で僕たちを指揮する。
リハーサルのときよりもずっと、ずっと楽しそうに。つられて僕も笑顔になっていく。隣で聞こえるバスの低音パートが心地よい。人々のリズムを感じる波も、笑顔も同様だ。
1曲目が終わり、2曲目が終わり、順繰りに進んでいくうちに、ステージは終わってしまった。
あんなにも苦しんで練習したはずの曲さえも、コンサートの一瞬のうちに流れて消えた。
入場のときよりもさらに大きい拍手と、ブラボーと叫ぶおじさんの声で意識を引き戻される。どんどん増えた観客は、端が見えない位になっていた。肩車をされている小さい子もちらほらいる。
「ブラボー、リオ!!」
その時、舌足らずな声が僕の耳に飛び込んだ。
人混みを目で辿る。
知っている。僕の知っている声がした。
そして右端に、まっすぐ僕を見つめるケントがいた。
目が合った瞬間、胸が苦しくなり、息が止まりそうになる。
意識して瞬きを繰り返しても、ケントはそこにいて、僕たちをじっと見つめていた。
ステージをやりきった感動と、ケントを見つけた複雑な感情。その2つが僕の心をかき乱した。
頬になまぬるい水滴が垂れる感覚がした。その涙は、全然止まらない。何で? という位、全く止まらない。
再度促されたお辞儀をしながら、僕はぐちゃぐちゃになっていた。
もう一度顔を上げたときには、人混みのせいでケントを見失っていた。退場のため、横を向くとマキの大きな背中が立っている。
その背中に、抱き着きたい感覚に陥る。
――どうして。こんなにも、うまくいかないんでしょうか。
ステージを去る直前に、僕は無理やり振り返り、イルミネーションのともった大きなツリーに祈りを捧げた。
神さま、ひとつ願いが叶うのならば、ケントにチャンスをください。
きらきらと輝くツリーがその祈りを聞き遂げてくれたかどうかは判らない。しかし、僕は心の底からそう願ったのだった。