文化祭が一週間後に迫っていた。
 特に盛り上がるのはミスコンで、非公式ではあるものの、毎年多くの人間がその候補者と王者の行方を追っていた。
 しかし今年はコンテストの結果を待たずとも、王者が誰であるのかは明確だった。
「やっぱり大神か〜」
 白井が眺めていたのは、これまた非公式の北高アカウント。そこに暫定順位が発表されていた。
 そして今のところ一位を独占しているのが大神というわけだ。
「強者だよ。地味に二位が山田だし」
「一軍パワーつよし」
 八雲も会話に参加する。さすがにこの二人と一時的ではあるがカラオケに行ったと話せば、飢えた魚のようにくいついてくるだろう。
 去年、大神はコンテストを辞退していた。
 理由は面倒だからの一択。
 そして今年は「辞退できるのは一回だけ」という謎ルールができたことにより大神は強制参加させられている。本人はいまだに「出ない」とごねているらしい。
「はあ、これで大神のファンが増えたらどうすんだよ」
「いいじゃん、俺らには姫がいるんだから」
 二人の会話に、あはは、と笑顔が引き攣る。
 そんな俺も大神のファンだ。しかも大神と付き合っていると知られたら……多分死ぬな。
 自分の席で賑わう白井と八雲を横目に、視線は流れるように大神を探していた。
 あ、廊下だ。一軍さまたちが集っている。うん、山田とは仲良くやってるみたいだ。一方的に山田が大神にちょっかいかけてるだけだけど、それは普段と変わらない。むしろ日常だ。
「大神先輩」
 そこに、見慣れない女の子が登場した。先輩、と呼んだってことは一年か。
「あの、コンテスト頑張ってください。応援してます」
 ああ、そうだ。大神ってモテるんだ。俺のことをすごい大事にしてくれるから、たまーに忘れそうになるけど、大神ってそういう人間だった。そして、大神は緊張する女の子に向かってこう言ってしまうのだろう。
「応援いらないんで」
 うわ、言った。
 隣で「きっつ」と白井が呟いた。教室にも大神の声が届く。そして女の子は「すみません」と恥ずかしそうに去って行く。心が痛い。だからといって嬉しそうに「頑張る」なんて大神が言わなかったことに安心する、醜い自分もいるわけで。
 相変わらず大神は女子には手厳しい。俺も大神からあの棘を向けられたら、たまったものじゃない。
 そうしている間にも大神はいろいろな女の子に声をかけられていく。
 素晴らしい人間力だ。顔がいいとあらゆる方面で忙しくなるらしい。
「ちょっとそこまで」
「あ、トイレか。一緒に行ってやるよ」
 いらねえよ。白井に返して廊下に出る。大神は、今度三年先輩に声をかけられていた。「大神くんってなにが好きなの」その会話をできるだけ聞かないようにしてトイレに行く。なんか、あれだ。顔を洗いたい。んでもって心も洗ってしまいたい。醜い自分とおさらばだ。
 がしがしと顔に水をぶっかける。冷静になれ、俺。大神はモテる。でも大事にしてくれる。大丈夫だ、うん、大丈夫。
 はあ、と息をついて顔をあげたら、鏡に大神がいた。
「えっ、大神⁉」
 振り返れば、やっぱり実物の大神がいる。さっきまで廊下にいたのに。
「なんでここに……」
「こばとが一人になったから。チャンスだと思って」
 ふたりの時だけ発動する「こばと」。
 ニュアンスを説明するのは難しいけど、大神は「小鳩」と「こばと」を使い分けているような気がする。
 甘えているときは大体、ひらがなのほうになるし。
 学校にいるときは漢字のほうが多かったりする。
 最近は学校で話すこともないから「こばと」で聞き慣れてたけど。
「文化祭、どこ回る予定」
「あ、ええと……プラネタリウムがあるからそれは見たいなって」
「りょうかい」
「え、一緒に回れる感じ?」
「もちのろん」
「でも忙しいんじゃない?」
 告白受けたりとか、女の子の熱い眼差しを受け止めるのに。
 そういうのを察したのか、大神が眉間に皺を寄せた。
「こばとと回る以外で忙しくなる予定はないんすけど」
 おお、直球だ。もしここが学校じゃなかったら、甘えてくれてたんだろうか。
「でも、俺と大神がふたりで行動してたら……変かなって思われるかも」
 いつも一緒に行動するメンバーではないし。それに大神は目立つ。その隣に山田ではなく俺がいたら、明らかに浮いてしまう。そうなると大神に迷惑が……って考えるのは、大神が好きなことじゃないか。でも気になる。
「誰にどう思われようが、どうでもよくないっすか」
「あ、……おっしゃる通りっす」
「じゃあ、俺はこばとと二人でいたい。別にどこでもいいからふたりで」
 その気持ちが真っ直ぐ伝わってきた。大神の言葉は強い。さすがだ。
「……俺も、同じ」
「じゃあ決まり」
 表情こそ変えないものの、その顔はどこか嬉しそうに見えなくもない。大神がいいって言ってくれるんなら、俺は喜んでその隣を死守したい。
 ──って、思ってたんだけどなあ。
「うわ、来場者えぐくね?」
 白井が校庭に映し出されていた来場者数を見ていた。電光掲示板が設置されているが、その数はとどまることを知らない。しかもミスコンの開催時間が近づくにつれて、他校の女子生徒の数がぐんぐん伸びていく。
「大神パワーだろ、これ」
「朝のうちに焼きそば買っといて正解だったよな」
 白井と八雲セットの隣で、俺はお化け屋敷に並んでいた。廊下は行列と通行人でとんでもないことになっている。空気がむわっとしていて、新鮮な空気を求めようと近くの窓を開けた。つか、なんで開いてなかったんだ。
「ここのお化け屋敷ガチで怖いらしいよ」
 後ろに並んでいた女の子たちが会話をしているのを聞きながら、本当はここに大神と来るはずだったんだけどなと思ったりする。
 今朝まではその予定だった。大神も同じだったはずだ。それなのに、あっちこっちで大神を求める女の子たちが出現して、二人で文化祭を回るどころの話ではなくなった。大神は俺と一緒にいてくれようとしたけど、俺がいながら女の子たちを避けることは難しそうで、「俺のことは気にしなくていいよ」と声をかけた。
 大神は「絶対巻いてくる」と言ったきり、消えてしまった。今頃どこにいるんだろう。
「お、ここからだとちょうどミスコンのステージ見えんじゃん」
 白井が窓の外を見つめている。グラウンドには特設会場が設けられていて、ステージの前にはとんでもない数の見物客が集っていた。
「これも大神パワーだな」
「そうとしか考えられん」
 俺もそう思う。この調子だと大神はあそこのステージに出てくるのだろう。
「そういえば、姫は誰とまわる予定だったんだ」
 白井に痛いところ突かれる。今日は一緒に行動できないかも、と事前に伝えていた。相手は伏せたままで。
「まさか女子とじゃないだろうな」
 八雲がじろっと俺を睨む。まさか、と答えながらも、じゃあ誰なんだと追及されたら困ってしまう。
「俺らには言えない相手なのか」
「まさか三年のマドンナパイセンか⁉」
「ないない。ただ、……ちょっとあれだっただけ」
「誤魔化し方下手すぎる~~~」
 二人にがやがやと言われながら、さすがに大神の名前は──
『さあ、我らがスター、大神くんの登場です!』
 とか思ってたら、まさかのマイク越しに大神の名前が聞こえてきた。
「お、ミスコン始まったじゃん」
 白井と八雲同様、廊下にいた生徒たちが一斉に窓へと駆け寄った。俺もちょうど壁際に並んでいたから、三階のここからだとステージの上はよく見えた。
 ミスコンの出場者がすでにそろっていて、かなり遅れて大神が渋々といった様子で出てきた。
 そのときの歓声ときたら、地面が割れるんじゃないかと思うほどのボリュームで、大盛り上がりだった。
「大神くん、今年は出場してくれたんですね」
 司会者の男子が言う。そういえば、去年もこいつ司会してたな。
「辞退できなかったんで」
「大神くんも出場されたかったということで生徒会としても嬉しいです」
 すごい、事実をものすごい角度から捻じ曲げている。
 それからミスコンが始まり、司会者は出場者たちに質問を投げかけていく。意気込みは、とか、選ばれたらどうします、とか。
 しかしこれが大神の番になると質問が一転した。
「ちなみに大神くんは彼女がいないということですが、好きな人はいるんですか〜?」
 おいおい、そんなこと聞いてなかったじゃないか。しかもノリが軽い。
「付き合ってる人はいますけど」
「へえ、付き合ってる人がいるんすねえ……はっ、付き合ってる人⁉」
 会場がどよめく。司会者腰抜かす。嘘でしょ、と信じられないという反応で会場は染まっていく。それもそうだ。大神に彼女がいるなんて情報は一度だって出回ったことがない。まあ、彼女ではないんだけど。
「も、も、もももしかして、ここの生徒だったり?」
「しますねえ」
「どなたか伺っても……?」
 そうして、だるそうにしていた大神は、まるで俺がここにいたと最初からわかってるみたいにこっちを見上げた。
「あそこ」
 顎でくいっと、示したその先を会場にいる人たちが必死に追った。
 嘘だ、ガチか。つか、大神と思いっきり目が合ってんだけど。いつからここに俺がいたって知ってたんだ。
「ええと、あそこといいますのは、校舎の……どのあたりです?」
「こっち見てるじゃん」
「……全部の窓ガラス、生徒で埋まってますね」
 ミスコンを教室から見ている見物人も多いらしい。つまりは、大神の付き合ってる人が俺だと特定されるということはなく。
「え、もしかしてわたしのこと⁉」
 と勘違いする女の子が続出する結果となった。
 おそらく大神の策略だ。不敵に笑ったその顔でさえかっこよさが爆発しているのだからやめてほしい。そして、そんな問題発言をした大神は堂々の一位に輝いていた。

「バレると思ったじゃんか」
「いやなんだ、バレるの」
 俺たち以外誰もいないバスの中。大神といつもの席で隣同士に座って不満を口にすれば、大神が俺の顔を覗き込んでくる。
「いやっていうか……心の準備がさ」
「あーね、大事っすよね、心の準備」
「絶対思ってないトーンじゃん」
 きっと大神は、俺たちのことが周囲にバレたって平気なんだろうなって思う。
 男同士とか、そういうのを気にしないんだと思う。
 でも俺は考えてしまう。
 少なからず、大神を傷つけてしまうんじゃないかって思うし、何より俺が傷つくのが怖い。
「大丈夫だよ」
 大神の大きな手が俺の手を覆う。なんで指、こんな長いんだろ。しかもやたらと綺麗なところがむかつく。
「誰にもバレないようにする」
「あんなことしておいて?」
「それは反省してる」
「反省してる顔しなさい」
「顔には出ないタイプなんで」
 だけど、きっと大神は俺たちのことを言ったりしないんだろうな。
 本当は。大神と付き合ってることを言いたい気持ちだってある。
 大神は俺のなんですよ、とか言ってみたりして。
 でもそういうのはできないんだろうな。
 なんて考えていたらやっぱりぐるぐるしてしまう。
「今日は一緒にいれなくてごめん」
 大神は俺の手をきつく握る。女の子にだったら、こんなに強く握ったりしないのかもな。
「……女の子、約束通りまいてきてくれたじゃん」
「でも終わりがけだった」
 大神と合流できたのは、ミスコンも終わり、文化祭もあと五分で終わるというタイミングだった。たしかに大神とまわりたかった場所はいくつかあったけど、そんなことはもういい。今こうして手を繋いでいられるなら。
「こばとと一緒に行きたいなって思う教室を前に逃げ回ってんのは疲れた」
「はは、それは疲れそう」
「ミスコンも連行されたし」
「抵抗虚しく?」
「いや、一人二人は手が当たったと思う」
「暴力沙汰になってるじゃん」
「こばとの元に早く戻りたかったから」
 それで、不貞腐れながらミスコンのステージに出て、あんな大勢の人に見つめられながらも、俺の存在に気付いたのか。
「手が当たった人にはちゃんと謝った?」
「……そんなような気もする」
「絶対嘘じゃん。明日ちゃんと謝りなよ。実行委員も大変なんだから」
「こばとが言うなら謝る」
「あと、女の子にはちょっと優しくしないとだめだよ」
「なんで今それ?」
「この際、ちょっと言っておこうと思って」
「女の子ね。どのぐらい優しくすればいいの?」
「……泣かせるぐらいの振り方はしない程度?」
「加減がむずい。すぐに泣く人もいるんだけど」
「そういう人は……例外として。人としてさ、女の子泣かせたらちょっとあれじゃん」
「はい」
「でも、花森さんと吉岡さんとの距離は近いと思うから、あんま優しくしないでほしい」
「あいつらって女じゃなかったっけ」
「女の子だけどさ、大神はよくあの二人から抱きつかれたりしてるし」
「……そうだっけ」
「その顔、本当に思い当たる節がないってやつじゃん。がちでくっつかれ過ぎよ」
「わかった。あいつらは多分泣かないだろうから今度きつめに言っとく」
「……いや、きつめはだめだ。あの二人は女の子だから」
「こばと、注文多くない?」
「多くもなるんだよ。ミスコン一位の男と付き合ってるとさ」
「一位っていらないんだけど。こばとにとって一位の男になってたい」
「……なんで恥ずかしげもなく言えるかね」
「相手がこばとだから」
 それもそうか。じゃあ俺も恥ずかしげもなく言ってみた。
「大神」
「ん」
「すっごい好きだよ」
「……」
「……沈黙はきついて」
「このまま持って帰っていいのか熟考してた」
「熟考するところじゃない。あと持って帰らない」
「はい」
 素直。こんなかわいいところを知ってるのは俺だけだろうか。
 窓から差し込むやわらかい夕陽が大神に当たって、それがやけに輝いて見えた。
 もう俺たち、前後に並んで座ってないんだな。窓に頭をもたれていた大神は、今となって俺の肩にもたれている。
 握っている手を、話したり、握ったりと繰り返して遊んでいる。それを見ていると、
「好きだよ、俺も」
 大神が、ぽつりと静かにこぼした。あまりにも自然で、油断したら夕日で消えてしまうんじゃないかってぐらい、なんか貴重な光みたいな言葉だった。
「こばとのことが好きだし、手放せそうにないくらいには好きだなって思ってる」
「……誰よりも好きだったりする?」
「重いやつだ」
 ふっと大神は笑う。
「こばと以外興味ないぐらいには好きだったりするよ」
 好きが、加速していく。これ以上好きになることなんてないと、いつもそう思うのに。大神といると、いつだって好きの上限を超えていく。
「俺もそう思う」
「言葉をはしょらない」
 大神に怒られて、今度は俺が「はい」と素直に受け止める。
「大神を誰にも渡したくないぐらい好きだなって思ってるから」
「一緒だ」
 大神の唇が重なる。どうしてだか、初めてしたキスを思い出す。あの日がなければ、俺たちは付き合うことなんてなかった。王様ゲームなんかじゃない。今は俺たちがしたいと思ってしていること。
 俺たちを乗せてバスが進んでいく。揺られながら、見つめ合って、もう一度キスをした。
 好きだよ、と。何度伝えても足りないぐらいの気持ちはどうしたらいいんだろう。それでも、大神は全部受け止めてくれるんだろうな。俺がそうしたいって思ってるみたいに。