次の日から、大神とは距離が縮まったわけでもなかった。
 大神は相変わらずカースト上位の奴らとつるんでいて、俺は白井や八雲とゲームに勤しむことになった。石が足らんと騒いでいる八雲が何度か俺の頭を撫でていったのを上書きするように、白井が撫でていく。そんな日常がどんどん過ぎていくのに、大神とはなんの接点もなかった。
 連絡先も交換してない。大神はSNSもやってない。俺もほぼ動かしてないアカウントだけ存在してる。
 だからどう足掻いても、直接話しかけるしかなかった。
 でも、なんて話す?
 昨日ぶり? いや、不自然すぎる。あと大神に笑われる。
「姫、購買行くぞ~」
 すでに廊下へと出ていた白井と八雲。もしかしたら昼は一緒に食ったりするのかなって期待したのに、大神はいつものメンバーで食い始めた。
 ……もしかして、俺ってなんか勘違いしてる?
 やっぱり昨日のあれって普通の会話として片付けられてたりするんか。
 そもそも、告白だと思われてない系?
 いや、好きか、なんて聞かれた。……聞かれただけで、別に大神から好きだと言われたわけでもなかったか。そうだ、肝心なことが抜けていた。昨日は俺の気持ちをただ打ち明けただけで、別に大神も同じ気持ちだったというわけでもなかった。
「姫~」
「俺は姫じゃない。野郎だ」
「おお、なんか急にやさぐれてんじゃん」
 どしたどしたと八雲が顔を覗き込んでくる。
「……やさぐれてない」
「でも、朝からずっとソワソワしてない? 俺と白井の目を見くびらないでいただきたい」
「……ごめん、見くびってた」
 見くびってたんか~い、あはははは、と二人が謎のテンションで盛り上がる。
 そして、すん、と素の顔に戻る。
「わかった、今日は昼を奢ってやるよ、白井が」
「奢りたかったって八雲が言ってたぞ」
「……どっちも奢る気ないなら提案すんな」
 やっぱ怖いわよねえ、とおねえみたいな言いまわしをして「さ、売り切れる前にダッシュ」と駆け出す背中。それを、ちょこちょことついていきながら、大神のことばかり考える。
 ……確かめよう、本人に。
 昨日の「そういうことで」という意味を教えてもらうしか、このモヤモヤは消えない。
 答えてもらえればいいけど。
「……って、そううまくいかねえよなあ」
 がっくりと、通学リュックに顔を伏せる。
 帰りは声をかけようって思ってたのに、大神は安定の告白イベントに駆り出されて戻ってこなかった。いつも持ってる鞄もなくなってるから、今日はもう帰ったのかもしれない。
 ひとり教室で待ってるのも虚しくなって、仕方なく帰ろうとしたと昇降口に向かっていると、階段下から会話が聞こえた。
「付き合ってる人いないなら、付き合えない理由ください」
 まさかとは思うけど、告白?
 じゃあ、ちょい待て。これってあいつがいるのか。
「……それ、余計に俺が無理なやつなんすけど」
 やっぱり大神か~い。
 つーか、付き合ってる人いないって答えるんか〜い。
「でも本当に好きなんです。大神くんしか好きになれないって思うぐらいで」
 そして女の子のほうも愛が重い。大神と特別仲がいいってわけでもない……よな?
 そんな相手に、これだけの気持ちを伝えられるってただただ尊敬する。
 ……いや、待てよ。
 大神ってこういう告白も今まで何回とされてきてるよな?
 激重感情とかもぶつけられてきてるわけじゃん?
 それなのに、昨日の俺の告白みたいなやつって、なんか「ふわっ」としてなかったっけ。切羽詰まってるようなものでもなかったし、本人に伝えたいとかってわけでもなかった。油断してぽろっと出たようなものを、たまたま大神に聞こえたってだけだ。
 ……じゃあ、俺の気持ちはそこまで真剣に捉えられてなかったってことになるのか。
 それもそれだ。告ってきた相手が男だってだけで大神は戸惑っただろうし。それなのに無視するわけでも、からかうわけでも、ネタにするわけでもなく、ただ受け止めてもらったんだ。
 なんだ、よかったじゃん。俺の気持ちはもう終わってるはずじゃん。
 はあ、スッキリスッキリ。俺ってば頭わりい。
 ……とかなんとかで誤魔化そうとするのに、さすがに限界だった。
 ずっと宙ぶらりんだ、俺の気持ち。なんかずっと変なところを永遠に彷徨ってるみたいな。割り切って次の恋にいけたらいいのに、そうできない俺の気持ちは厄介なほどに重くなっている。
「まひめ〜〜〜」
「うをっ」
 どこから出てきたのか八雲が登場した。そして抱きついてくる。
「はあ〜お前はやっぱり癒しだよ。絶滅すんなよ、俺のオアシス」
「どう頑張ったら絶滅できるんだよ」
「彼女作ったらだな」
「あー……そういう意味では絶滅しないかも」
 初恋が男だった時点で、女の子を好きになれそうな気がしない。いや、好きにはなりたいと思ってるけど。でも、大神を超える人を、俺は見つけられない。さっきの女の子みたいに。
「つーか、まひめのタイプってどんなん?」
「この流れでそれ?」
「いや、聞いたことねえなと思って」
 八雲たちとはそういう会話を真面目にしたことはないかもしれない。
 話題に上がるとすれば、どの子が可愛いのかとか、どこどこで合コンがあるらしいとか、そういう情報と、石とかダイヤでガチャがどうとかのゲームの話ばかりだ。
 そういう空間が俺は好きだったし、ふたりもそうだったと思う。
 だから、あえて恋愛にツッコんだような話もなかった。
「……なんかずっと見てられる人っていうか」
 脳裏にはやっぱり、大神の姿があった。告白の声は聞こえてこないから、もうすぐ近くにはいないのかもしれないけど、それでもやっぱり頭にあるのは大神だけだ。こういうとき、パッと思い浮かんでしまうぐらいには、大神が俺のタイプだった。
「ああ、分かる。俺が姫に思うやつだ。恋愛対象ではねえけど」
「……どうも」
 俺はがっつり恋愛対象になっちゃったんだよな。
 ずっと胸に秘めておくんだと思ってたのに、よりにもよって本人に恋愛対象かもなんて言うなんて。
「はあ〜〜〜」
「おお、珍しい。まひめが落ち込んでる」
「振られたんかな」
「え、オアシス早速なくなりかけてんじゃん! だめだって〜女に興味持ってくれるなよ〜」
「オアシスは継続されていくよ、未来永劫」
「それはそれで怖っ!」
 なくならないでと言われたり、そうではないと言われたりややこしい。
 ……大神は、どういう子がタイプなんだろう。
 やっぱり可愛い女の子なのか。それとも綺麗めな子がいいのか。
 少なくとも好きなタイプが俺になることはない。そんなことは分かっているのに、大神が誰かと付き合うとなったら、ちゃんとショックを受けるんだと思う。
 誰のものにもならないでほしい。付き合えないなら、大神はずっと独り身でいてほしい。こんなことを思ってしまう俺は最低だ。好きな人の幸せさえも願えないような野郎だ。
 大神は、元からよく分からない奴だった。大神の周りにいる奴らがよく喋るからか、基本的に大神はたそがれてるか、黙ってそこにいるだけ。
 発言を求められれば話したりもするけど、積極的に自分から話題を持ちかけるみたいところは見たことがない。だから大神は謎に包まれている。そこがまたよかったりもする。
 その日の帰り。バス停で大神を見ることはなかった。
 どうしてだか、避けられているように感じた。
 告白が終わった時間から逆算しても、バスはまだ到着していなかったはずで、だから大神が先に乗車したということでもない。
 歩いて帰ったのか、それとも別の手段で帰ったのか。
 どちらにしても、俺は期待しないほうがいい。
 それもそのはずだ。
 大神と付き合えるのは、やっぱり男じゃないだから。
「大神〜〜〜」 
 翌日、一軍さまが廊下でたむろしている姿を見かけた。
 そして、あろうことかいつめん女子である花森さんが大神の背中に張り付いた。
 ふぁっ!?
 さすがにそれはやり過ぎではないんですかい?
 周囲の女子どももとんでもない眼光で睨んでおりますぞ。「私も~」と便乗するように吉岡さんまでもが大神に抱きつく。
 一軍さまだからこそ許される光景なのだろう。
「あっためて」
「知らない。暑い」
「えー、今って秋だよ。涼しいじゃん」
 花森さんと吉岡さんが交互に話すのを、大神は大した反応も見せずに突っ立ってる。ふたりを自分からはがすこともなく放置している。
 そもそも涼しいから抱きついていいって思考になるんですか? ガチで羨ましいんですけど。とかなんとか思ってる俺は変態なのか。
「向こうにやってやれよ」
 大神が無愛想な声満載で顎でくいっと山田を名指ししている。花森さんと吉岡ペアは、聞き分けがいい子どもみたいに「はーい」なんて可愛い声でターゲットを変えて張り付いた。「大神に振られた〜」なんか言ってるのを見て、心が痛くなった。
 俺は、どうなったんだ。
 いっそ、こっぴどく振られてしまえばよかった。
 そうしたら、この今の時間だって指を加えるような気持ちで見ることもなかっただろう。
 大神に近付くこともできなくて、気持ちが伝わっても進展はなくて。「きもい」とか言ってくれたら、諦めついてたんじゃないかって思ったりする。いや、傷ついただけで諦められてたかは分からないのか。
 それでもこの状況ってどうしたらいいんだよ。
 そもそも大神を好きになるって、やっぱいけないことだったんだな。
「姫」
 気付けば姿を消していたはずの白井が戻ってきていた。
「これ」
 渡されたのは白井には似つかわしくないピンクの封筒。
「白井ってこういう系統が好きなんだ」
「俺が選ぶとしたらファンシー過ぎんだろ。お前にだって、一年の女子が」
「……は?」
 俺に?
 こんなこと今までなかった。
「とか言って、またプリントとか居残り案件だろ」
「こんな手の込んだことしねえわ」
「……え、ガチで?」
「ガチ」
 嘘だろ。俺に? おそるおそる封筒を受け取る。
「……もしかして、年下からもからかわれてんのか」
「それはあるかもな」
 肯定だけはすんなや、白井。と言いかけたが、正直それどころではなかった。
「俺が読んでいいと思う?」
「小鳩真尋がほかにいないならいいだろ」
「……今のとこ、同姓同名に会ったことはないわ」
 便せんには桜の花びらが描かれ、手紙には「好きです。放課後、昇降口で待ってます」と書かれていた。
 好きって、俺が知ってる好きと同じ意味、だよな?
「この手紙、告白以外にどんな可能性がある?」
「素直に受け取れよ。まあ告発とか」
「こくは、まで同じなのに恐ろしい……!」
「お前から言ってきたんだろ。本気の告白かもしれねえぞ」
「そう、か」
 でも、そうだったら、どうしよう。
 女の子から告白されるようなシチュエーションを考えないわけではなかった。それこそ、大神に出会うまでは。
 付き合う云々は自然と女の子を想像していたし、いつか俺にも彼女ができるんだろうなと漠然と考えていたこともある。
 だけど今、大神の存在を知ってしまった。
「……念のために、自惚れないほうがいいかな、白井」
「それは、いえすだな」
 そして放課後。昇降口で待機していた俺に、可愛らしい女の子が駆け寄ってきた。さらりとした黒髪をなびかせて、礼儀正しくお辞儀をした。
「お呼びしたのはわたしです。その……来ていただいてありがとうございます」
「いや、こっちこそ」
 手紙に名前は書かれていなかった。
 彼女の頬が薄く桃色に染まっている。俺を前にして緊張しているのかもしれない。
 これ、演技ってことはないって信じていい感じだ。
 誰かに言わされてるとか、そんな雰囲気じゃなくて、本当に俺に好意を持ってくれてるやつだと伝わってくる。
 大神は、いつもこんな子たちを前に堂々としているのか。
「あの、手紙に書いたんですが……その、好きです、付き合ってください……!」
 人生初めて告白をされた。ちゃんと可愛らしい女の子から。
 もし、これで俺が「お願いします」なんて答えたら、付き合うことになるんだろうか。
 今日から俺はこの子の彼氏で、一か月とか、半年とか、そういうのを記念しながら過ごしていく……?
「……ありがとう。その、なんで俺だったりするか聞いても……?」
 女の子ははっとしたように俯いて、それから申し訳程度に視線を上げた。
「よくバス停で見かけて」
「うん」
「ベンチ、座らないんだって思って」
「ベンチ?」
「バス停にありますよね、少し古くなったベンチ。空いてるのに、いつも立って待ってるのを見てて」
 ああ、なるほど。
 俺が座ったら悪いなって思ってたやつだ。
 でも立ってるのは俺だけじゃない。最近では、その隣に大神がいた。この子には大神が見えていなかったんだろうか。俺が大神しか見えていなかったように、この子は俺のことだけを見ていてくれたのかもしれない。
 それはとても嬉しいことだ。
 女の子から好意をもたれるってことは初めてのことだから、ちゃんとした言葉で、何かを言わなくちゃと思うのに。
「優しそうだなっていうところから……だんだん好きになりました」
 理由から、この子の誠実そうなところが伺える。
 この子もきっと、同じような状況になったとき、ベンチに座らないんだろうなって。付き合うなら、そういう子がいいって思う。優しくて、礼儀正しくて、自分よりも身長が低くて、周りに自慢したくなるような女の子。
 付き合えたら、きっと幸せな時間を過ごせるんだろうなって、ものすごく簡単に想像できるのに。
「うれしいんだけど、……ごめん」
 それなのに、目の前の彼女をどんどん上書きしていくみたいに大神のことが忘れられない。
 大神と付き合える世界線なんてどこにもないのに。生まれ変わったらチャンスが巡ってくるかもしれないと思うぐらい、今回の人生では無謀なことなのに。
 それでも大神が頭から離れない。
「彼女、作る気ない感じですか?」
「……俺も、好きな人がいるんだ」
 たとえ叶わなくても、それでも大神のことを想いながら誰かと付き合うなんてことはできない。
 いくら幸せそうだと思えても、それでも心に大神がいる限り、俺はこの子のことをいつまでも裏切り続けてしまうことになる。
 だって、この子への好きが大神よりも上回るなんてことはないから。
「だから付き合えない。ごめんなさい」
「どうして先輩が謝るんですか」
「気持ちに、応えられなくて」
 大神は、女の子たちを振るとき、いつもどんな気持ちでいるんだろう。
 申し訳ないなって思ったりするんだろうか。今の俺みたいに。
 こんなときでも、やっぱり大神のことばかり考えている。
「……先輩に好きな人がいるのは分かりました。それでもいいって言ってもダメですか?」
「ダメだよ、自分を大切にしないと」
「……分かりました」
 女の子は深く息を吐くと、ここに到着したばかりのときに見せた綺麗なお辞儀をして校舎を出ていった。
 その背中は凛としていて、大神を好きにならなかったら、きっとあの子と付き合いたいって思ってたんだろうなって考えだけが残った。
「みーいちゃった」
 その声に、反射的としか言いようがないスピードで振り返る。
 柱にもたれてこちらを見ているのはゴールドウルフだ。いつからここにいたのだろうか。
「お、大神……いたんだ」
「いたよ。小鳩の人生初めての告白現場」
「わざわざ言わなくても」
「そ? 名残惜しそうに見てたようだけど?」
 大神は鋭い。何にも興味がないようで、実はしっかりと周囲にアンテナを張っている。
「……そうかも。名残惜しかった」
「……へえ?」
「ほら、やっぱり女の子っていいよな。あれだ、癒しっていうか、そういうのあると思うし。あー、オッケーしとけばよかったかな。もったいないことしちゃったかも」
 俺の気持ちは知られていて、大神からはなんのアクションもなくて、もちろん俺からもできなくて。こんな日常が続いていくぐらいなら、いっそもう、大神への気持ちはなくなったみたいに振る舞ったほうがいいのかもと、脳みそがぐわんぐわんと高速で答えを導き出していた。
「さっきの子、名前聞くの忘れた。こういうとこが俺ダメなのかも。やっぱり付き合ってって言ったらこういうとき付き合ってもらえるんかな」
「それ、俺への当てつけだったりすんの?」
「当てつけって……俺はただ思ってることを」
「俺のこと好きなんじゃないのかよ」
 大神の綺麗な顔が迫って、それから逃げるように後ずさったら、手首を掴まれて阻止された。
「小鳩がよく分かんないんだけど」
「分かんないって……分かんないのは大神のほうだろ」
「……は?」
「俺の気持ち知ってるくせに」
 うわあ、だめだ。
 俺、どう考えても冷静じゃない。
「も、もてあそぶみたいに放置して。大神にとって男から告られたって別になんともないかもしんないけど、俺は大神のことが好きで、付き合うなら大神がいいって思って今のも断って」
 おいおい、まじでなに言ってんだよ俺。こんなの、大神が悪いって言ってるようなもんじゃねえか。
 やべ、泣けてきた。だせえ。すっげえだせえ。
 俺こんなことで泣くのかよ。一応でも高校生だろうがよ。男だろうがよ。ふざけんなよ。
「なんで……っ、泣いてんだよ」
 大神がなぜかありえないほど狼狽えている。
 男がいきなり泣き出して、しかもクラスメイトが泣くからびびってるのかもしれない。
「……大神には関係ない」
「あるだろ」
「ない」
「ある」
「ない」
「俺ら付き合ってるんじゃねえのか」
「え」
 付き合って……る?
 信じられなくて大神を見上げた。
「好きって言ってたのは嘘だったのかよ」
「う、嘘じゃない」
「今だって女子に告られてさ」
「こ、こここ断りました」
 ……あれ、なんか形勢逆転してない?
 さっきまで俺が大神にすげえ言ってたのに。しかも、じりじり迫られてるし。
「断って正解でしょ。小鳩は俺が好きなんだから」
「で、、でも! 大神は俺のこと好きってじゃないだろ!」
「好きだよ」
 ぐっと引かれたときには、もう大神の唇が当たっていた。
 二回目のキスだと、そんな余韻に浸れない。これは、どう考えても大神の意思であって、好きだって言われたことがぐるぐる頭の中を駆け巡っていく。
「言ったじゃん、キスする相手は誰でもいいわけじゃないって。彼女作らないのは小鳩がいるからだって」
「……だから、それは」
「小鳩が好きだってずっと言ってる。お前よりも先に好きなんだよ、こっちは」
「…………え?」
 俺より先に好き? 大神が?
「バスん中でお前から告られたとき、どれだけ嬉しかったか知らねえだろ」
「う、うそだ……。だって、もし本当なら俺たちは付き合うとかそういう展開になってるはずで」
「好きの重みが違うんだよ」
 静かに、けれど大きな熱を持って、大神は俺を射貫いていた。
「俺のは、どう考えても重い。多分、小鳩が引くぐらいお前のことが好きで、その重みに耐えられなくなって逃げられんのが怖いんだよ」
「……逃げるって、なんで俺が」
「小鳩と付き合って、んで別れたら、俺はもう息ていけない」
「お、大袈裟な」
「ほら、だから言ってるだろ。俺のは重いって。さっきの告白だって、俺がどんな気持ちで聞いてたのかお前に分かんのか」
 長い睫毛が震えている。泣いてるわけじゃない。でも艶っぽいその瞳は、初めて見る大神がいた。ぱっと離れていったのは、それからすぐで「だからさ」と大神は大きく息をついた。
「本気で好きなら、もう多分一生離せそうにない。だから、逃げるなら今のうち」
「今のうちって……」
 俺が大神に好きだって言って、大神も俺を好きだって言ってくれて。そうしたら付き合うってことが次のステップだと思ったのに。
 なんでこんなにうまく噛み合わないんだよ。恋愛してなさすぎる俺が悪いわけ?
 いや、でもさ、何が違うって言うんだよ。重いとか、そんなの、俺のは軽いってことか?
「……分からない」
「だから、もうこのお話は終わり。お前は仲良く白井たちとこれからも過ごせ」
 大神は謎に大きな壁を設置して、俺を飛び越えさせないようにする。
 どう考えてもそんなの、おかしくないか。
「……そんな壁、ぶっ壊す」
「は?」
 俺よりも背が高い大神の肩に手を伸ばす。不格好だけどそんなもんは知らん。俺はこの物分かりの良さそうで良くないこの男を放って、これからを過ごすことなんてできない。
「大神がなにに不安がってるか分からん! でも、好きなら好きでいいじゃん。重いとか軽いとか、そんなの関係なくて、その人が好きだったら、もう好きなんじゃないのかよ」
 俺でも言ってる意味がよく分からなくなってきた。好き好き何回言うんだよ。ここに生徒が一人でも通ってみ。俺、大神相手にものすごいこと言ってる変態だぞ。
 それでも、ここまでストレートに言わないと、大神は俺に距離を置いて、また線を引こうとするんだ。分かりやすく敬語を使って、今までの時間なんて平気でなかったことにする。きっとそういうことができてしまう。
 でも俺はそんなことできないし、そもそも俺は──
「大神が好きなんだよ。なんで、付き合ってもないのに、別れる話になんの。俺は大神が好きで、それだけじゃ一緒にいていい理由にはなんないの?」
 いさせてよ、大神の隣に。大神が見てる景色を俺にも見せてよ。同じものを見ていたんだよ。
 もう遠くから見てるだけじゃ、足りないんだから。
「好きなんだよ、大神が」
「……」
「…………大神?」
 目は合ってる……よな? どこからどう見てもフリーズしてないか?
「お、おーい、大神」
「…………死にそー」
「え?」
「小鳩からの攻めはさすがに昇天もんだろ」
 攻め? 昇天?
 分からん単語がぽんぽん出されて追いつかない。はあああ、と大神が両手で顔を覆った。
「……俺が悪かったです、ごめんなさい、小鳩が大正解です」
「ど、どうした?」
「生涯かけて愛していくし、小鳩より先には死なないように努力する」
「待て待て、話が飛躍してるような……」
 愛とか死とか、普通の会話では出てこないだろ。つーか、大神ってこんなキャラだったっけ。ものすごい饒舌っていうか、告白断るときよりも言葉数は増えてないか。
 大神のものすごく整った顔が近付いて、思わずキスされそうになってんのかと身構えたけど、そのまま俺の肩に顎をのせた。
「はあ、幸せ。俺、死ぬんかな」
「いや、さっき俺より先に死なないように努力とかなんとか言ってたよね……?」
「だめだ、頭がパンクしてる。とりあえず好き」
「お、おう」
 さすがにこの展開は想像してなかった。これ、どうなん?
「あのー……さ、大神」
「ん」
「ちょっと、これ、結構危ういって言いますか」
「どのあたりが?」
「これ! この、これ! 他の人が見たら驚くっていうか、うええええ⁉みたいなことになっちゃうから」
「ちょっと待って。今、人生で最高な瞬間を噛みしめてるところだから」
「噛みしめてくれるのはありがたいけども……!」
 幸い誰も通らないけど、もしかしたら通れないというパターンもあったりするだろうし。一応、ここ玄関口だからね? 誰でも通りますよ、通らないと帰れないですよ。
「小鳩はなんか余裕そうだね」
 今度は額で肩をぐりぐりとされる。え、なに、不貞腐れんての? どんどん大神の新しい顔が見えてきて、小鳩くんちょっと戸惑い気味ではあるんだけど。察してはもらえんのかね。
「よ、余裕じゃないよ。ただ、大神は一軍さまだから」
「出た、一軍さま」
「しかも、大神はトップオブトップで」
「俺にとっても小鳩はトップオブトップ」
「うん、それは……うええええ⁉」
「あ、小鳩がそうなるんだ」
「俺がトップ……いや、もうちょっとくどくなってきたから言わんけどもさ」
 大神の背中が丸まって、なんかそれがちょっと可愛く思えて……いや、可愛いて。そう思うことも急すぎんだろ。ちょっと心のブレーキどうなってんの。
「ま、とりあえずさ」
 すっと、首筋を大神の長い指が滑っていく。「ひひっ」と声を上げた俺を見て、楽しそうに笑いながら離れていく。
「これからよろしくね、こばと」
 小鳩から、こばとって、ちょっと柔らかい言い方になった。



 好きだから、どうしたらいいか分からなかった。
 バスの中で告白っぽいものが聞こえて、すぐに反応したのは、俺が全く同じことを思っていたからだ。
『好きになってくんねえかな』
 ずっと、本当にずっと、小鳩に対して思っていた。
 そのまま同じ空間にいるとどうにかなってしまいそうで、とにかく冷静になりたくて、「そういうことで」と返すことだけで精一杯だった。遠くなるバスを見送りながら、夢でも見てるのかと思った。
 付き合えたんだろうか。この想いは、ずっと自分の中に留めておくものだと、そう信じてきていたのに。
 気付いたら自分の家に辿り着いていたけれど、どう帰ってきたのかうまく思い出せない。
 風呂に入ってベッドで眠りにつくタイミングで、無性に小鳩の声が聞きたくなってスマホを手に取った。
「……いや、知らねえじゃん、連絡先」
 小鳩の声を聞いて今日を終わらせたかった。
 嘘じゃないんだよな。小鳩は俺のことが本当に好きなんだよな?
 そのままどんどん空が明るくなって、結局眠りにつくことができなかった。
 まともに寝られなかったのが悪いのか、窓を開けて、朝日を眺めては「本当に小鳩は俺が好きって言ったのか?」と疑いが出てきた。
 どう考えても、これは俺にとって都合のいい考えでしかなかった。
 小鳩から告白されたと証明できるものがない。もしかしたら都合のいい夢をずっと見ていたのかもしれない。部屋の中をぐるぐる歩き回って、やっぱり答えが出てくることはなかったから学校に向かった。小鳩と会えば夢なのか、そうではないのかが判断できるはずだ。
 でも、なにも変わらなかった。
 小鳩から話しかけられることもなければ、ほとんど目が合うこともなかった。かと言って、本人に直接確かめるとなるとどう切り出せばいいかもわからない。結果的に会話の一口を見つけられないままで、最終的に「やっぱり夢だったんだな」と解決することにした。
 正直、小鳩とどうこうなるような夢を見ることが多かった。
 夢の中では付き合っていたり、付き合う寸前だったりと関係性は様々だけど、どちらにしても両想いである設定ばかりで。眠りについているときだけは、小鳩のことを「こばと」というニュアンスで呼んでいた。
 好きになる相手が男だったことに、初めては戸惑いがなかったわけではない。
 こばとの第一印象は、ただのクラスメイトで、やたらとちょっかいかけられる奴というだけ。
 たしかに可愛い顔はしていたし、それで一部の男からの支持が厚かったのは知っていた。でも、そこに自分が入ることは想像できなかったし、興味もなかった。
 関わることはないんだろうし、接点もないままだ。
 ……でも、接点ができてしまった。
「いつもこのバスですよね」
 声をかけられたのは突然だった。近くにある女子校の制服。でもその人が在校生ではないことは山田から聞いていた。「あの人、二十歳超えてるらしいぜ。女子校で噂になってんの」そう言われて「へえ」と適当に相槌を打っていた。
 そのなんちゃって卒業生は、必ず制服を着て俺の前に現れていた。妙な視線はずっと感じていたけど、まさか話しかけられるとは思ってもいなかった。
「あの、私……ずっと気になってて」
「はあ」
「友達になってもらえませんか」
 ここに山田がいたら腹を抱えて笑っていただろう。「友達て」と涙を浮かべていたかもしれない。どう考えても、下心丸出しの「友達」だった。
「……友達、必要ないんで」
 そう断って、終わったはずだった。
 それなのに、その女は毎日のように現れて、必ず俺の近くの座るようになった。
 まずいな。というか面倒だな。
 厄介な出待ちが出るようになって、でもシカトを続けていた。
 放っておけばいい。無視しておけばいい。
 でも、だんだんエスカレートしていった。俺の連絡先まで入手してくるようになった。どこから手に入れたのかは謎だったが、身の危険を感じてバス停を変えた。
 さすがに俺の行動は把握していないのか、新しいバス停に女はいなかった。
 ただ、ここはここで家から少し遠回りだし、朝はニ十分早く起きないといけなくなる。
 朝の二十分はきつい。なんで俺がこんなことしてんだろ。
 そもそも俺のほうが変える必要があったのか、そんなことを考えていたとき、こばとに会った。
 とんとん、と肩をつつかれて、寝ていることに気付いた。
 それは朝のこともあるし、帰りのこともある。そういうときは決まって目的地のバス停であることがほとんどで、しかも後ろにこばとがいるときだった。
 声をかけられたことはなかったけど、人差し指で遠慮がちに触れてくる、その気遣いがなんか好きだった。ここなら安心して寝られる。あの女がいることもない。そう思ったら、勝手にこばとをアラームのように使うようにした。寝てても起こしてくれる。起こしてもらえなかったときは……まあ適当に帰ってこられる。
「……み、大神」
 あるとき、いつもよりも少し強引な触れ方でぱちりと目が覚めた。
「あ、起こしてごめん……その、いつも降りてるバス停だから」
 ひそひそと、申し訳なさそうなこばとの声。思ってたよりも爆睡してたらしい。しかも、この時間帯だと、降りるバス停は俺しかいない。それなのに、停車ボタンがすでに押されている。
「……助かった」
「う、うん……気を付けて」
 気を付けてって、すぐそこなんだけど。ふっと笑みがこぼれて「そっちも」と返した。
 バスから降りてこばとを見上げたら、同じように俺を見ていた瞳と目が合った。
 俺が見ると思わなかったのか、びくっとした反応を見せたのに、そのあとはへらへらと手を振っている。気まずい、なんて思ってる顔だ。それで余計に笑えた。
 かわいい。
 こばとの視界に入りたいって思った。
 それからも懲りずにこばとの前の席に座るようにした。比較的どこでも座れるのに、あえてそうしたのはわざとで、こばとは俺の策略になんか気付くわけもないだろう。一度だけ、サラリーマンの男に定位置を取られたことがあって、それ以来はバス停の最前列を狙うため、さらに五分早く家を出るようにした。必死すぎんだろ、と自分で呆れる。でも、こばとの近くにいたかった。
 嫌でも目に入れ。俺を意識しろ。そういう邪な気持ちは、ピュアなこばとには知られたくもない。
 会話がなくても、後ろにこばとがいる。それだけで気持ちが落ち着いた。
 俺にとって、バスにはいい思い出がないから。
 でも、こばとに会えるならそれでいいかもなんて思うようになった。
 この先、もしこばとと一緒にいられるような世界線があるんだとしたら、多分ずっと、手放したくなるんだと思う。