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昔、駕籠彦は妹の葉李菜を連れて海を見に行った事がある。
奴国にある海岸だが、王族の住まう王都は内陸に位置する為少し距離があった。
二人は其々が王と最高司祭に即位したばかりで、まだ面持ちに幼さが垣間見える年頃だった。
国内視察と称した各地の訪問で、臣下の隙をついて二人は宿を抜け出し、海岸へやってきたのである。
初めて目にする広い海に二人は興奮し、波と戯れ、砂浜に座って水平線を眺めながら語らった。
「こうやって兄様と遊ぶのも、今日が最後かもしれませんね」
葉李菜は海を見つめながら、ポツリと呟いた。
「もう “兄様” と呼ぶ事はいけないと、ムラ長に言われました。兄様は・・・・本当にこの国の王になられたのですね」
「葉李菜にとっては、いつまでも兄のままだよ。人前でそう言いづらくても、兄である事を忘れないで欲しい」
「 “お優しい” 兄様である事を忘れませんから」
「わかってるよ。奴国の民にとっても、そんな存在になれたらいいなと思っている。民衆の兄であり、民衆の家族であるような」
「兄様はもう既になっておられます。民からの評判が良いですもの。みんなが兄様を信頼しているのです」
「信頼は力になる。武力や権力にも負けない力だ。僕は信頼という力を手に入れるよ。あ、しまった。 “僕” じゃなくて、 “余” だったな」
「それもムラ長に注意されたのですか?」
「ああ。まだ慣れないな。僕が “余” と言うのは少し不自然に感じないか?」
「それで良いと思います。ありのままの兄様で、兄様らしい奴国王の姿を作っていけば良いのです。私も、私らしい姫巫女の在り方を考えています」
「葉李菜らしい姫巫女、か。それはどんな姿なんだ?」
「まだわかりません。でも憧れる人はおります。二百年程前の奴国の最高司祭で、海の向こうの国との親交を築き金印を授かるきっかけとなった巫女です」
「それはかつて、亡き母上が何度も僕たちに語って聞かせた話だな」
「はい。今でもその金印は奴国の和平の象徴です。そのような、後世の奴国をも護る事ができるような巫女になりたいと願っています」
「葉李菜なら、きっとなれるだろう」
「私一人では難しいでしょう。だからこそ、兄様と力を合わせるのです」
「奴国を支える二本の太い柱となり、僕は民の声を、葉李菜は神の声を聞き、奴国を護り栄えさせる。それが僕たちの使命だな」
これまで駕籠彦の隣に腰を下ろしていた葉李菜は改まり、跪く。
「我が王よ。愛する奴国の為、貴方に忠誠を誓います」
「姫巫女よ。我が祖国の為、神々に仕え僕を導いて欲しい」
この日浜辺で誓った事は永遠の思い出になったのか、はたまた夢のように掻き消えたのか。

