その頃兵舎に、疲弊した面持ちの阿湯太那がやって来た。
いつもの如く威厳を纏う険しい表情であるが、その瞳の奥に疲労と迷いが微かに宿っていた。
少なくとも、成人の頃から阿湯太那に付き従っていた九真由にはそう感じられた。
大人達の会議は常日頃行われるが、気まぐれ王の久方ぶりの登場と、異国人の娘が威張り散らして場を混乱させたという稀代な噂は既に兵舎内に広まっていた。
また、その場で気まぐれ王が詮議を行い、何かとてつもない命令を下したことも話題の的となっている。
「皆、しばし耳を傾けてほしい」
と兵長・阿湯太那は訓練中の兵士たちを招集した。
兵長の側近である九真由も無論、すぐ後ろに控える。
「此度の詮議にて、我等が王は命令を下された。今収監している罪人達全員の処刑だ。収容されたばかりの囚人も、病に伏せる者も、罪の重い軽いも、例外はない。かなりの数になる為、まずは先程収監した異国の娘を明日処刑せよと仰せだ」
兵士達の中に響めきが起こる。
側近の九真由も、突然の事に驚きを隠せないでいる。
例外はなく、牢獄に収容されている囚人全てを処刑する。
もしそれを現実に行えば、処刑人だけではなく奴国中の人々にも影響が及ぶだろう。
大人数の刑執行を秘密裏に行うことは難しく、普段死を身近に感じていない人々の目に大量の遺体が映ることになる。
それは無言の圧力であり、奴国王の冷酷さを表すとともに人々を恐怖に陥れることになる。
それに囚人の中には、正しい手続きで詮議を行われていない者もいたはずだ。
あの異国から来たという青年たちもそうだ。
公平な判断の元に適切な刑を受けられない、その他にも死に値しない程度の罪の重さの者も処刑台へと送られなければならないのか。
阿湯太那は淡々と話し伝え、兵士達に指示を下している。その淡々とした声の中に、戸惑いはないのだろうか。
九真由はさらにもう一つの不安を抱えている。
罪を犯したにも関わらず、牢獄に入れず兵長室に軟禁させている娘の処分はどうなるのか。
王の命令では、『牢獄に収監されている罪人』のみが処刑となる。そうなれば娘は対象から外れるが、身内にも厳しく己にも厳しい兵長は果たしてどこに線を引くのか。
兵士達の混乱を制し、すぐに準備に取り掛かるよう指示を下すと、阿湯太那は九真由を連れて兵長室へ向かった。
兵長室と言っても立派なものではなく、主祭殿の裏の一角に住居と同じ竪穴式の建物があるのみで、兵士以外のムラ人達は近づかない。
妻の加陽に食事の世話を頼み、それ以外は外から鍵をかけて脱出が出来ないようにしていた。
案の定、逃亡の達人である綺那李も始めは暴れ回っていたが、流石に観念したらしく大人しく兵長室の中央に座っている。
「父様、王様の命令は誠ですか?」
と綺那李は尋ねる。
「聞こえていたのか、兵舎の声が?」
「父様の声は田の向こうにいても聞こえますとも」
と綺那李は冗談を言ってみせるが、それはとても冗談とは取れない静かな怒りだった。

