少しして伊代は、歌織を引き寄せる。
老婆と小麻李の耳に届かないよう、少し距離をとって話し始めた。
「実は相談したいことがあるの」
「どうしたの、内緒の話?」
「・・・・大学院で、弥生時代の史実を深く調べたことがあるの。その中に気になることがあって、ちょうどこの時期に大きな嵐が襲来したらしくて」
「嵐?」
「大型の台風がやってきて、この地域は壊滅的な被害を受けるって。育てていた作物、特に稲に影響が出るらしいの」
「そんなことがあったの?大地震とかなら歴史の教科書にも載ってたかもしれないけど、台風くらいの事が教科書に載ってるなんて見たことないけど」
「その、私が読んだ歴史書は、高校の日本史よりもっと詳しいものなの。史実に残るくらいだから、相当酷い被害なんだよ、きっと」
伊代は敢えて、不思議な夢の中で見たということを語らなかった。
夢の世界は決まって伊代の記憶の中の実家の書斎であること、そして亡くなったはずの父親が話しかけてくること、それらについては伏せて、あくまでも歴史上の事実であることを強調した。
それは歌織に要らぬ誤解を与えないようにする為か、伊代の家庭の事情を隠したいが為か、とにかく歌織に対して一線を引き、それを超えないような言葉選びを心がける。
「それって、今の私たちにも何か影響があるの?」
「台風は近いうちに来ると思う。今でこそ穀物が少なくて米の収穫を心待ちにしているのに、それが全て被害に遭ったら飢餓の問題が出てくるかもしれない」
「伊代を信じない訳じゃないけど、今は台風なんかよりも、二人を牢屋から助け出すことが大事だよ。あと、この世界から脱出することもね。台風が来る前に脱出することが出来たら、一番いいよね」
歌織は悪気がある訳では無かったが、今の状況では牢屋にいる友人達のことしか考えられないようだった。
自分のことより友の安全を願うという老婆の言葉には共感したが、短い間でも世話になっているこのムラの人々のことを思わずにはいられない。自分達の安全だけでなく、彼らにも危険が迫っていることを知らせたい。
伊代はその一歩を踏み出せない。
伊代を踏みとどまらせている心の奥の感情が何なのか、伊代にはわからないでいる。

