この時代では現代ほど科学の発達はしておらず、学び舎や教師の存在が無い事は説明するまでもない。
そのため人に不可解なことは全て神に委ね、選択をするという事がこの時代の日常だ。
邪馬台国の卑弥呼女王や奴国の葉李菜のように、国を左右する重要な物事を占う巫女もいれば、より民に近く、身近な物事を占う巫女も多く存在している。
阿湯太那の娘である綺那李と小麻李は、ムラの民の声を聞く巫女となる事を求められ、修行をしている。
「あの月は、私たちとは全く関係ありませんよ」
と、歌織は賢者になったかのように話す。
「あれは、よくある現象です」
「知ったかぶりを。私は35年生きてきたが、あのような月は一度も見た事がなかった。同じように、お前たちのような奇妙な姿をしている人間にも、一度も会った事はない。この二つの事柄は、関係があるようにしか思えない」
と、加陽は歌織の主張を退ける。
その話し方はまるで、現代の主婦達のそれとまるで同じだった。
二千年近い年月が経っても、人の在り方は変わらないようだ、そう伊代は思った。
「それは全くの誤解ですよ。あれは・・・・ね。珍しくはないんでしょ?」
と、歌織は伊代に話を振る。
歌織はあれだけ自信たっぷりに話し始めていて、実は天文学に対する知識があまりなかった。
時々ニュースやSNSで人々が話題にして、そこでようやく認知をする程度だった。
今思えば、いつもと違う色や大きさの月に対して世間は名前をつけていたが、それは弥生時代の人々と同じように、不思議な月に対する関心の表れだったのかもしれない。
専門家ほどではないが、歌織よりも知識の引き出しの多い伊代が、歌織に助け舟を出す。
「昨夜は、月食だったのかも」
「なるほど、月食」
と、歌織は大きく同意する。
「皆既月食で起こる現象の一つに、月が赤く見える事がたまにあります。頻繁に起こることではないけど、数年に一度くらいだったんじゃないかな」
「何なの、その、ゲッショクって?」
「この時代では何て言うんだろう・・・・。月を、食べると書いて、月食。満月の夜に、地球の影がぴったりと月に覆い被さる現象です」
「な、何を言ってるんだい?やっぱり異国の人たちかね、言葉がまるでわからない」
と、加陽は軽く混乱している。阿湯太那は口を挟まず、無表情で伊代の話を聞いている。
「月食自体は、そんなに珍しくないはずです。例を挙げるなら・・・・邪馬台国に、卑弥呼様という方はおられませんか?」
「えぇ、もちろん。口に出すことも恐れ多い、立派な女王様だ」
「卑弥呼様と月食は、深い繋がりがあるはずです。過去に、月が空から無くなる事を予言されたことはありませんか?」
「そうだったかね。邪馬台国の事は、よくわからない」
「ここから遠いんですか?」
「そりゃあ、もう。何十日もかかるんじゃないかい」
「そうですか・・・・もしかしたら歴史的事実ではないのかな」
伊代は自らの知識を語る内に、歴史学の研究家としての面が現れていた。
月の理を知らない人たちへ説明することよりも、自分の持っている知識が正しいかどうかを検証することに気持ちが傾いていた。
「まあまあ、詳しいことはともかく、私たちは不吉でも何でもないですから」
「どうだかね。それはじっくり、見て判断させてもらうよ」
阿湯太那は汁椀を下げ、仕事のために家を出た。
加陽も家の仕事が忙しいらしく、朝の言い合いは自然に終わりを告げた。

