「伊代は今、院生だっけ?」
と、太市から話が振られる。
太市の近況報告が短かった気がするが、いつも太市は自分のことより、仲間の話を聞きたがる。

「うん。日本史を専攻してる」
「相変わらず好きだね、伊代」
と、歌織は学生時代を懐かしむ。「昔から歴女だったもんね。時代劇とかさ、戦国ゲームとかすごいハマってたよね」

「俺、大学の時に伊代に頼まれて、なんかのグッズを買うために列に並ばされたことあるよ」
と、太市。「始発電車乗って、一人で何時間も列に並んでさ」
「懐かしい!幕末無双の新作記念SSレア土方歳三の配布イベントの時だ!」
と、興奮する伊代。
「え、何て?長すぎて聞き取れなかったんだけど」
と、笑う歌織。「しかも太市、一人で並んだんだ?」
「そう、なぜか伊代は一緒じゃなくて。周りめっちゃガチのファンばっかりで心細かった」
「あの時はごめんね、私も別のイベントに並んでたんだよ」
「ほんとガチヲタだね、伊代は」
と、歌織。「でも、それに付き合う太市も太市だよね。別に太市は歴史なんて興味ないでしょ」
「日本史の成績はずっと二だったからな」
と、なぜか得意気に言う太市。
「まあ、俺も暇だったし、こういうの苦じゃないから呼んでもらって良かったよ」
「それだけ?」
と、意味深に笑う歌織。
「別に、それだけだよ!」
「ほんとに?」
「二人とも、何の話?」
と、一人だけ話がわかっていない伊代。
「な、何でもないよ。気にしないで」
と、勢いよく話を制する太市。
その横顔を見て、歌織はまたニヤニヤと楽しんでいる。

「それでさ。話逸れちゃったけど、伊代は大学院どんな感じ?」
と、太市。
「うーん、まあまあ、かな」
「まあまあって、もっと何かあるでしょ」
と、歌織は枝豆を摘んで尋ねる。
「うん・・・・実は、あんまり上手くいってなくて、ね」
「え、どうして?」
と、太市は前のめりになる。
伊代は二人の気遣いに甘え、成績が下がり気味であること、院卒業後の将来に悩んでいること、
そして今日の教授からの助言について話した。
伊代が打ち明けたことに対して、二人は静かに耳を傾けた。

「てかさ、それは教授がウザくない?」
と、憤りを露わにする歌織。「女性差別じゃん。仕事に就くのが難しいなんて、いつの時代の話をしてんのって感じ」
「きっと教授は、私の将来のことを心配して言ってくれたんだと思う」
と、伊代は思ってもいないことを言う。
事実、歌織が怒ってくれていることに伊代は嬉しく思い、自分自身の憤りや不満がどうでもいいように思えてきた。
「俺、よくわかんないんだけどさ、そんなに女性の就職って大変なの?」
「そんな訳ないじゃん!」
と、語気を強める歌織。
「そりゃあさ、職業によって女性多い少ないとかはあるよ。
 でも伊代が目指してる学芸員とか研究職とかは、女性もたくさん活躍してるでしょ。
 てか、そもそも進路相談をしに来てる自分の生徒に対して、選択肢を奪うようなことを言っちゃ駄目じゃん」
そもそも進路相談ではなく、成績や論文についての相談だったんだけどね、と伊代は心の中で思った。

「その教授、悪いよ。辞めた方がいいよ、そこの研究室」
と、言い切る歌織。
「え、辞める?」
「伊代のためにならないでしょ。もっと、一緒に応援してくれたりとかさ。
 それか、同じ専門を学ぼうとしてるんだから、伝手を紹介するくらいのことはしてくれないと」
「でも、うちの大学院で日本史を教えてる教授は少ないし」
「じゃあ、大学院変える?」
「歌織!」
と、伊代は友達の強気に圧倒されそうになる。

「まあまあ、昔から歌織は強気すぎるからさ」
と、宥めようとする太市。
「いつでも強気だよ、私は。じゃないと歌手なんてなれないもん」
歌織は学生時代もこの調子だった。
嫌なことは嫌だと言い、悪いと思ったことは友人に勧めない。
物事をはっきりと言う気の強さは、同級生たちからは嫌煙されがちであった。
しかしいつも近くにいた伊代は、歌織の性格に助けられることがあった。
伊代はそんな歌織を何度も羨ましいと思った。

「伊代は伊代らしく、自分のペースでやっていけばいいと思うよ」
と、温かい目で見つめる太市。
「焦りや不安もあるだろうけど、俺が・・・・俺“たち”が力になれることがあったら、何でも相談乗るからさ」
「うん。ありがとう、太市。そう言ってくれるだけで励みになるよ」
「私は伊代に、思いっきり好きなことに打ち込んでほしいの」
と、歌織。
「ありがとう」

この三人は、学生時代にこうやって励まし合ってきた。
共に活動した音楽サークルでのことも、それぞれの悩み事も、打ち明けて共有し、
こうして乗り越えてきたんだと、伊代は振り返る。
この三人・・・・そして、あの彼も一緒に。