難斗米は、今回の奴国への派遣をそこまで重く受け止めていなかった。
これまでも女王より突然の外国訪問を言い渡されることは少なくなかったし、その度に多くの人材を集めて豪華な行列を作っていては、臣下の疲労と不満が増えてしまうのは避けられない。
民の多くを見、事を見極め、冷静に行動をしてきた外交の長は、臣下達から慕われ、王弟の乙彦からは一目置かれていた。
「難斗米様、今回もご指名いただき光栄です」
と、心にも思っていない言葉を単調に並べる都心牛利。
彼もまた難斗米に従って外交を補佐し、いつしか難斗米の右手には都心牛利、とまで言われるようになった重要人物だ。
しかしやはり臣下の一人でしかなく、この頃の度重なる出張外交に振り回され、かつての闊達さを失っていた。
「都心牛利、そう気落ちするな。女王からの命であるぞ。乙彦様も、我々に大変な信頼を寄せてくださっている」
「分かっております。こんな俺の言うことなんて、米の一粒にも等しい。命じられたからには、黙って従いますよ」
「いつからおまえは、このように消極的になってしまったのだ」
「消極的ではございません。ただ、やはりどこか心の中で収まりきらぬ思いが、あるのやもしれません」
「ほう。収まりきらぬ思いとは?」
「いやいやいや、口にすることも憚られます!」
都心牛利の思いは、難斗米にもわかっていた。顔を拝したこともない女王、外の世界をその目で全く見ない女王に付き従って、本当に良いのか。そのことは若い日から常々自分の中で問答してきた。
しかし結果的には、神の声を聞く巫女、かつ女王として君臨する卑弥呼が、民に災いをもたらしたことは一度としてない。
かつて、邪馬台国やその周辺で戦が幾度も繰り広げられていたことを思えば、この国が豊かになっていることに間違いはない。
「今は、女王のお心のままに働こう。我らが神々や女王のお考えになることを推測しようにも、それは到底及ばぬことだ」
「もちろんです、何も不安がることはございませぬ!」
と、半ば強引に自らを奮い立たせる都心牛利。
こういう場合、都心牛利は持ち前の闊達さを空元気に変え、あちこちへと忙しく動き回る。
今宵も明朝の出発に備え、関係者への手配に飛び回るつもりでいるらしい。
難斗米は一人、頭上の月を見上げた。
真っ赤に輝きを放つ、まるで日の光のような月。
これを不吉と言わなかった女王には、どのような未来が見えているのだろうか。
女王がいる館を尻目に、難斗米は明日に備え、帰路についた。

