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眩い満月が、夜空に出でる。
民の大地に降り注がれる月光の量は日の光に及ばないにしても、 “その女” には十二分なほどに眩かった。
日中の仕事を終え、従者や下女たちはそれぞれ帰路に着こうとしている。帰路とは言っても、職場のある内郭の中に住まいが設けられている為、目と鼻の先に家族共々住っているのである。
その女も、日中の行事を滞りなく終え、体を休めていた。国の重要人物であるその女は、日々事細かに決められた予定を寸分の狂いも無く務めることが仕事であった。
“日の巫女” と呼ばれる女は、天照す光を道標に政を為し、民の安寧を祈る。巫女とは、神々に仕え、その生を捧げて神々の声を聞く。天からの告知を頼りに、男性共の政を導く役割を持つ。故に太陽は重要であり、日の巫女は殊の外、日の昇らない時間に神々と交信することはしなかった。
しかし、この晩は違っていた。
東から昇った月の光は、燃えるように赤く染まり、夜とは思えないほどの眩い光を放っていた。
民は不安を募らせ、日の巫女の臣下たちも、彼女の裁断を仰ごうと、館に押しかけているらしい。
最も、人々の前に姿を現すことのない日の巫女は、臣下や民の話を人伝てに聞いたのみである。
唯ならぬ事を感じ取った日の巫女は、夜分にも関わらず一人祭壇の前に座り、占いを始める。神々の声を仰ぐのは、毎日出来ることではない。この国の重要な分岐点や、災いが起こった節等、限られた場合にのみ占いは行われる。
占いとは、祭壇に捧げられた鹿や猪等の獣の骨を火に焚べて焼き、出来た割れ目から物事の吉凶を見る方法である。 “鹿卜” や “太占” 等とも呼ばれている。
巫女は幼少期から世と隔絶され、身を清め、修行をして、ようやく神の声を聞ける者と認定されるごく僅かな少女達である。しかし、日の巫女は例外である。というのも、少女期から抜きん出た才能と予知を見出された日の巫女は、齢六十となった今でもその力衰えず、この小さな国の、そして倭国を総べる者として長年君臨していた。
この小さな国こそ “邪馬台国” であり、この巫女こそ、世に名を轟かせる女王 “卑弥呼” である。
卑弥呼は早速に占いを始め、骨の割れ目をじっくりと眺める。月夜に照らされた骨が何を語っているのか、それは卑弥呼にしか知り得ないことである。

