「伊代!こっち!」
居酒屋の賑わいの中から、一際通る声で名前を呼ばれる。
太市の声だ。
伊代は懐かしい姿を見つけて駆け寄ると、太市の隣にはさらに懐かしい顔があった。
「歌織!久しぶり、一緒に来てたんだ?」
「そう、たまたま会ったんだよね」
と、蜂谷歌織は微笑んだ。
久々の再会に高揚し、伊代と奏は抱擁を交わす。
「いいな〜、俺も再会のハグしたい!」
「いや、シラフだとちょっと・・・・」
「おい!」
と、一年前と変わらないやり取りが繰り広げられる。
その事がとても幸せだと、伊代は感じた。
お酒と料理を注文し、三人分のビールが運ばれてくる。
一年ぶりの乾杯をし、再会を味わった。
「実はさっき、駅前で歌織と会ったんだけどさ」
と、枝豆を手に話し始める太市。
「歌織、路上ライブやってたんだよ」
「路上ライブ?すごいね」
「よくやってるってSNSで流れてたけど、実際やってるところ見て、感動したわ」
「私もSNSよく見てるよ」
「ありがとう」
と、歌織は照れる。
歌織は現在も、歌手になるため路上ライブやSNS配信を定期的に行っていた。
太市と伊代は、歌織のSNSをフォローしているため、逐一動向を知っていた。
「でもさ、ちょっと最近伸び悩んでるんだよね」
「そうなんだ」
と、伊代。
「うん。路上ライブもさ、はじめは結構足を止めてくれる人もいたんだけど、
最近は多くても一日に十人くらいなんだよね、立ち止まってくれる人」
「十人でもすごくない?」
「もちろんね。聴いてくれることがすごくありがたいんだけど、同じこと続けてても、何も変わらないしなって思って。今日も雨降ってたし、みんな私の前を素通りしてったんだ。そんな時に太市とたまたま会って、そのまま切り上げてきちゃった」
「え、太市!ちゃんとお客さんになってあげなよ」
「いや、聴いたよ、聴いた!五曲くらい聴いたし、一人でめっちゃ盛り上げてたわ」
「うん、逆に他の人の邪魔になってたかもね」
「ええ!マジか」
と、三人は笑い合う。
確かに歌織の後ろには、たくさんの荷物が積まれていた。ライブ用の機材なのだろう。
この量をいつも背負って走り回っていると思うと、教材の重さだけで疲れたと感じている伊代は、少し恥ずかしさを覚えた。
「歌織はいつも、駅前で歌ってるの?」
と、伊代。
「うん、だいたいは、駅前かな」
「場所を変えてみるのはどう?同じ場所で歌ってたら通りかかる人も同じだと思うし、違う場所なら、新鮮だと思って足を止めてくれる人もいるかもよ」
「まあ、たしかにね」
と歌織は返すも、反応は薄い。
もしかしたらあまり良い助言になっていなかったかも、と伊代は少し後悔する。
「それよりもさ、私は二人のことが気になってるんだけど」
と、歌織は話題を変える。
「太市はさ、会社どんな感じ?」
「どんな感じって?」
「だって、私たちの中で唯一の就職組だったじゃん」
太市は一流企業に勤めて、もうすぐ一年が経つ。
まだ学生を謳歌している伊代や、フリーターの歌織にはない経験をしているのだろう。
たしか太市は、住宅系の企業に就職したんだっけ、と伊代は記憶を思い起こした。
「会社は、ヤバいよ」
「ヤバいって、具体的にどうヤバいの?」
と、ノリノリの歌織。
「もう、ブラックよ」
「ブラックか、ヤバいね。たしか太市、森林ハウスの営業とかだったよね?」
と、歌織が太市の就職先を思い出させてくれた。
「そうそう。まあ、ハウスメーカーなんてこんなもんだろうなぁとは思ってたけど、ずっと会社の中にいると感覚がバグってくるんだよね。長時間働いてるはずなのに、まだまだこんなもんかって、変なアドレナリンが出んの」
「それ、大丈夫?めっちゃ疲れてるんじゃない?」
「疲れてる、かもね。とりあえず今、長期休暇もらって実家に帰ってきてるんだ」
太市が実家に帰ってきていることは、メッセージのやり取りで伊代も知っていた。
二人とも苦労しながら頑張っているんだ、と伊代には親近感が湧いた。