都心からちょっと離れた静かな町。そこで人生最大の買い物をした。
 
 日当たりのいいリビングと、小さな個室が3部屋。
 決して広い家ではないけれど。
 私の人生の財産にしようと買ったのが、この平屋の一軒家だった。

 ふと家の中を見渡して、我ながら思い切ったことをしたな、と感慨に浸っていた。

「ただいま~」

 玄関の開く音と共に、柔らかい声がおりてきた。
 声の主は立石翠。高校時代の友人だ。

 一軒家で部屋を持て余した私は、引っ越して早々に翠に一緒に住まないかと話を持ちかけた。

 正直、半分冗談で言ったつもりだった。けれど、思いのほか翠は食いついてきた。そのまま話はとんとん拍子で進み、本当にルームシェアをすることになったのだ。


 帰ってきた翠は、大事そうに小さな白い箱を抱えていた。

「なにか買ってきたの?」
「夜ご飯は食べてくるって言ってたからさ、これだけでも一緒に食べたいなって」

 にこっと笑みを浮かべて、白い箱を開けてみせた。
 そこには、大きな苺が乗ったショートケーキが2つ。

「ケーキ?」
「桜の誕生日、お祝いしないと」

 言われてハッと思い出す。そういえば、今日は私の誕生日だった。この歳になると、あまり誕生日というものを意識しなくなる。
 
 だけど、こうしてケーキを買ってきてくれたこと。
 ほっこりと心があたたかくなった。


 翠が手洗いをしている間に、私はケーキを置くお皿とフォークを準備する。
 綺麗なショートケーキが見劣りしないように、奥に眠っていたお洒落なお皿を取り出した。


「桜、40歳の誕生日おめでとう!」
 
 翠の優しい声を合図に、ケーキを小さくすくって口に運んだ。

「ん〜〜おいしっ」

 柔らかいスポンジ。甘すぎない生クリームが絶品で、飽きずに最後まで堪能できそうだ。
 

「久しぶりに食べると、この甘さが染みるわ」
「夜にケーキって、背徳感があって良いよねぇ」


 ケーキに舌鼓うっていると、翠は思い出したようにぽつりと零した。

「……茜は元気にしているのかな?」

 茜とは、高校時代に仲が良かったもう一人の友人。
 甘いものが好きで、ケーキに目がない子だった。ケーキが引き金になって思い出したのかもしれない。

「ね……いろいろと、破天荒だったよね」

 風が吹き荒れるように慌ただしい子だった。
 大人しく過ごす私と翠の元に、厄介事を持ち込んでくるのはいつも茜だったっけ。
 
 人種は違うタイプだったけれど、不思議と居心地がよくて、3人でいつも一緒に過ごした。
 破天荒な彼女に呆れてしまうこともあった。
 だけど、まっすぐに生きる彼女が羨ましいと思っていたんだ。

「20歳で結婚。22歳で出産。私たちとは、ライフステージが変わっちゃたのよね」

 私と翠は結婚歴なし。子供もいない。
 それに対して、茜は早めの結婚。子供もできた。生活スタイルが異なった私たちは、自然と会う機会も減っていた。特にここ数年は会ってない。

 元気にしているだろうか。
 思い出して、懐かしい気持ちになる。

 子供も大きくなって、きっと楽しく暮らしているんだろうな。
 そんな風に、懐かしさにふけていたときだった。

「ピンポーン」
 インターホンから甲高い呼び出し音が響きわたる。

「……もぐッ、宅配?」
「なにか頼んだ?」
「いや、私は頼んでないけど……あ、もしかして誰かからの誕生日プレゼントとか?」

 やけにキラキラした瞳を向けてくる。
 残念ながら、翠の期待に応えられそうにない。
 なぜなら、私の誕生日に贈り物をする人物が誰一人思い浮かばないからだ。

「それはないよ。私の誕生日を覚えている人なんて、翠以外いないから……」

 ぼそりと言い捨てて、モニターを確認する。

「……え!?」
 
 そこに移った人物を見て、思わず二度見した。

「あ、茜!?」

 画面に映っていたのは、まぎれもない茜だった。






「びっくりしたよー。来るなら言ってよ」
「へへッ」

 今の時刻は20時15分。都心から少し離れた場所にあるこの家は、茜の住まいからも離れている。つまり、気軽に散歩で来れる距離ではないということ。


「時間も夜だしさ……大丈夫なの?」
「別に大丈夫だよー?」

 なにかあったのではないかと心配する私たちをよそに、茜はへらりと笑っている。昔のままでお調子者の茜だ。

「じゃじゃーん! 今日は桜の誕生日だよね?」

 心配を裏切るように、底抜けに明るい声だった。
 そして、掲げて見せたのは見覚えのある白い箱。

「……あれ?」

 ワンテンポ遅れて、茜はテーブルの上に視線を向ける。
 その先には食べかけのショートケーキが2つ。

 各々に状況を把握した私たちは、ゆっくり顔を見合わせる。

「被った……?」
「まぁ、誕生日だからね」
「嬉しいよ? ありがとう」

 気まずい雰囲気にならないように、食い気味に返事をする。

「誕生日くらい胃だって、羽目を外したいと思ってるよ」
「羽目を外すのはいいけど、明日の自分が泣いちゃうかも」
「余った分は明日の朝に食べようか」
「そうね。無理するとちょっと胃がもたれるから」
「あ、わかるー」
 
 互いに深く頷き合った。
 突然の茜の訪問に驚いたけど、この会話のやり取りが懐かしい。ホッと心を満たすようだった。

 こうして誕生日を覚えてくれていたことも素直に嬉しくて、ほっこりと顔が緩む。
 
「私は、茜の買ってきてくれたケーキも味見していい?」
「もちろん!」
 
 茜のお皿とフォークを用意した。もう一つの白い箱を開けると、ふわりと甘い匂いが広る。

「ん~~」
 
 今度は苺から口に運んだ。口いっぱいに広がった幸福。「美味しい」の言葉を忘れ、苺の甘い幸せに浸っていた。
 
「……実はさっき、茜の話しててさ」

 ケーキを食べながら、話を切り出した翠の声に、やっと意識が戻ってくる。

「そ、そうなんだよ。だから、余計にびっくりした」

 美味しさに浸っていたことをバレないように、しれっと会話に参加する。
 
「そうなの? 悪口じゃないよね?」
「……」
「……」

 わざとらしく黙り込むと、すぐに大きな笑い声が飛び交う。

「ちょっと~そこはすぐに否定してよ」

 久しぶりに会ったはずなのに、昨日も会っていたような空気感。まるで、学生時代にタイムスリップしたみたいだった。

「茜、住所知ってたの?」
「住所は、桜が教えてくれてたんだよ」
「そっか。引っ越しの時に、ハガキ出したんだっけ」

 引っ越しのお知らせとして、旧友にはハガキを送っていた。
 だけど、まさかハガキを頼りに、いきなり訪れてくるなんて思っていなかったけど。

「くるのはいいけど、連絡してよね? しばらくこっちで遊ぶつもり?」

 破天荒な茜のことだから、お出かけついでに立ち寄ったのかな。
 そう思ったけど、茜から返答は返ってこない。

 茜は聞こえていないようなふりをして、ケーキを頬張りながら家の中を見渡していた。
 
「あれ、その荷物は……?」

 右手にフォークを持ったままの翠は、なにかに気づいた。
 指をさした先を辿ると、大きなキャリーバック。
 たしかに、数泊のお出かけにしては大きすぎる。
 
「もしかして、旅行できたの? 何泊かするつもりできた?」
「旅行じゃないよ。ここに住もうと思って」

 それはまるで日常会話のように、さらりと言った。
 
「そっか……」
「うん?」

 あまりにためらわずに言うので、思わず聞き逃してしまいそうになった。
 今、一緒に住むっていった?

「今、なんて?」
「私も一緒に住みたい!」

 聞き返すと、茜はキュッと口角をあげる。

「一緒に住むって……ご主人と息子くんがいるでしょ!」
「そうだよ……」

 心配の眼差しを送ると、茜の表情は対照的だった。

「大丈夫。離婚してきた」

 曇ることなくきょとんと、真顔で言いのけたのだ。
 
「り、離婚!?」
「それは、全然大丈夫じゃないでしょ!?」

 離婚はすごく重大なこと。
 またさらりと言うので、こっちが慌ててしまう。

「今まで幸せそうだったじゃん……」

 ここまで驚くには理由があった。
 茜から聞く話でご主人への愚痴や、結婚生活への不満は聞いたことがなかった。
 よく聞いていたのは、耳が痛くなるようなほどの幸せに満ちた話。離婚の予兆なんてなかったからだ。

「あー。あれね。幸せを盛ってたの!」

 茜は表情を曇らせて、ゆっくりと続ける。

「もちろん、幸せだったのも嘘じゃない。ただ……たまにくる虚無感。独身で華やかに暮らす翠と桜への嫉妬とかは隠してた」

 茜のインステグラムに更新される写真は、綺麗に盛られた献立。
 幸せそうな旅行の写真。
 それは誰が見ても充実している写真たちだった。

「……知らなかったよ」
「それはそうよ。言わなかったんだもん」
「どうして……」
「私ってプライドが高いのかもしれない。優しい夫。可愛い息子。幸せな結婚生活を送ってるって思われたかった」

 翠は真剣な面持ちでじっと桜の話に耳を傾けている。
 もちろん、私もだ。

「息子がね、大学進学を機に一人暮らしをすることになったの。そしたら、『もう家族のために生きなくていいよ?母さんも自分の好きに生きれば?』だってさ」

 茜はぎこちなく笑う。
 
「それを言われたとき、胸がぎゅって苦しくなってさ……。それにその通りだなぁって」

 翠は信じられないといった表情で、私と茜を交互に見つめる。私もいまだに信じられない。
 茜が悩みを抱えていたなんて、ちっとも知らなかった。それどころか、ずっと幸せなのだと思っていた。

「ってことで、家なし。家族なし。独り身です。よろしくお願いします」

 背筋をスッと伸ばし、軽く頭を下げた。
 この状況で断れる人がいるだろうか。人並みの感情を持ち合わせている人なら、絶対断れないと思う。

「……余ってる部屋、一番狭いよ?」

 もちろん、私だって断れるはずがない。

「どこでもいいよ! ありがとう」

 茜は、パアッと表情を明るくさせる。

「3人で暮らすなんて絶対楽しいじゃない!」

 上品に口元に手を当てながら、翠の声は弾んでいた。

 たしかに。翠のいう通りだと思う。
 この3人が揃ったら、それは楽しいことは確証されている。


「……待って! 大事なこと忘れてた!」

 大切なものでも忘れたのだろうか。茜はまるで大事件のような血相だ。
 
「桜におめでとうって言ってない」
「へ?」

 思わず気の抜けた声が飛び出る。
 
「改めて、誕生日おめでとうー! ルームシェアもよろしくー!」

 学生の頃のように無邪気な茜の声。それはまるで、これからはじまる生活に心が躍っているようだった。





 3人でのルームシェアが決まった後。
 コーヒーを飲みながら作戦会議が始まった。

「決まり事を決めようよ。こういうのは最初が肝心でしょ?」
「面倒ごとは持ち込まない! 大人だから自分の機嫌は自分でとってほしいな」
「それは大事だね」
「あと……家主として、一つ譲れないものがあります」

 私はルームシェアをはじめると決めたときから、提案したいことがあった。それは……。

「それぞれ忙しいと思う。だけど、朝ごはんは一緒に食べようよ」
「朝ごはん?」

 予想外だったのか、顔をきょとんとさせる。

「いろいろ考えたんだけど、翠は作家の仕事が不規則で、夜に集中して作業してたりするでしょ?」
「たしかに……ついつい、夜にやりがちなのよね」
「私も残業で帰りが遅かったりするから、夜ご飯を食べる時間はバラバラになると思う」

 どうせなら、みんなで楽しくご飯を食べたい。だけど、負担にならないように。

「だからさ……朝ごはんだけでも一緒に食べたいなって」
「いいねっ! 私も朝ごはんはしっかり食べる派だからさ」
「どうせなら、当番制にしない? 自分以外の時は、起きたら朝ごはんが用意されてるんだよ? 最高じゃん」
「最高だわ」
「名案すぎる」


 反対意見は少しも出なくて。
 それどころか「当番制にしよう」と、新たな提案で膨らませてくれた。


 ――こうして、私たちの新しい生活と、美味しい毎日がはじまった。


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 ルームシェアの決まりごと
 ・自分の機嫌は自分で取る
 ・朝ご飯を一緒に食べる
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