「僕、桐生の事が好きなんだ」
罪を裁かれている様な心地だった。
文化祭の準備期間中どうしようもないくらいに苛ついていた。聞こえるもの見えるもの全てに腹が立って、きっと自分に理性が無ければ様々な物を手当たり次第に破壊していただろうって思うくらいに俺はボロボロだった。だけどちっぽけなプライドがそんな醜態晒すのを許さなくて俺は表面上いつも通りに過ごしていた。多分いつも通りだったと思う。自分でも行き場の無い感情を持て余してしまっていてあんまり記憶に無い。
その時の俺の記憶にあるのは雪穂と雪穂の周りにいた奴らと田中くらい。苛ついてしょうがなかった。
文化祭の準備が始まって、…雪穂が女装するって決まってから雪穂の周りには人がいる様になった。最初は打ち合わせでもしていたのか少し話せば離れていっていたのに、日が進むにつれて業務連絡しかしてなかった連中が普通に雑談も始めた。
「斉藤ってなんで部活入らなかったん?」
「…運動得意じゃないし、団体で何かするのも苦手だし、勉強してる方が楽だから」
「勉強が楽⁉ 言ってみて〜!」
ラグビー部の玉田が雪穂の前の席に座っている。もう何度も話しかけられたからか雪穂も慣れたらしくて言葉を区切る事が少なくなっていた。
「あ、雪ぴ〜! ねえ前髪これで結ばせてー。イメチェンしよ」
「! ゃ、やだ…!」
「やだがやだ」
クラスの中でも割と派手な楠木はどうやら雪穂の事が気に入ったらしくてよく話し掛けているし、みんなの前で平気で雪穂に触る。さくらんぼのヘアゴムで前髪をまとめられてしまった雪穂は何とも言えない顔で楠木を見ていた。だけど雪穂は優しいからどれだけ嫌でも自分からは解かないし、写真を撮られても文句も言わない。
でも男子には当たりが強くて、そんなギャップが面白いのか雪穂の周りに明るい輪が出来ているのがわかった。
「……俺には撮らせてくれなかったじゃん」
「桐生クン何か言ったぁ?」
「言ってない」
俺の周りには楠木と似たタイプだけどもっと女を全面に出してるようなやつと騒がしい男がいる。どうして俺の側に雪穂がいないんだろう。どうして俺の時は学校で話し掛けるのもダメだったのに、そいつらなら良いんだろう。
だって雪穂は十分目立ってる。「斉藤って意外と顔整ってたんだな」とか俺の周りにいる奴が言ってるのが聞こえるし、女子どころか人慣れしてない雪穂の様子を女子達が「かわいい」なんて言ってるのも知ってる。
そんなの、俺はお前らよりも前から知ってる。
雪穂がかわいいのも綺麗なのもエロいのも、お前らよりずっと前から知ってる。でも俺は学校で雪穂に話し掛けられない。だってそう約束したから。雪穂が目立ちたくないって言ったから。他の奴らがやってるんだから良いじゃんって何回も思ったけど、その度に思い止まった。どうしてそうなるのか何度も考えて出た答えは一つだった。
俺は雪穂に嫌われるのを怖がってる。
まだあの日雪穂が帰った理由を俺は理解出来てない。その状態で連絡して会って謝っても、きっと雪穂は口先だけの謝罪で許してなんてくれない。
どうしたら良いんだって俺は寝るふりをして頭を抱えた。
そんなどうしようもないこう着状態が壊れたのは文化祭準備期間中の放課後の事だった。
俺達の学校はとにかく文化祭に力を入れていて一般にも公開する。全校対象の出し物対決もあるし他にもイベントは目白押しだ。だからこそ生徒のほとんどは気合が入っててその日も大道具作りに参加していた。
「パネルってこの枚数で足りるんだっけ?」
「足りるー。切ったらペンキ塗らねえとだわ。あ、ペンキ乾いたやつから美術班に持ってってー」
俺と田中は客寄せパンダ係だからか本番まで仕事が無い。だから人手が入りそうな場所に入って手伝うっていうのをここ数日繰り返している。
「俺もキャストが良かったんだけどなぁ、イケメンって辛いですね桐生クン」
「そうですねー」
「もっと心込めて相手して!」
俺と田中はジャージを着てペンキ塗り作業を手伝っていた。広い体育館裏では他のクラスも作業をしているのが見えてやっぱりみんな気合入ってるなと漠然とした感想を持つ。
「で、ここ最近ずっとピリついてる桐生クンはまだネコちゃんと仲直り出来てないのかよ?」
「……」
「無言は肯定と受け取りま〜す」
それまで問題なく塗っていたペンキのローラーを止めて田中を見る。でもそいつは俺の事は見てなくて淡々とパネルにペンキを塗っていた。
「ホント珍しいな。お前人間関係どうでもいいよクンなのに」
「…は?」
「面倒臭い事嫌い、振られて泣かれるのもめんどいから嫌い、部活の助っ人頼まれて断った時の相手の反応が嫌い、基本ぜーんぶイエスマンでことなかれ主義で来るもの拒まず去る者は追わずの桐生クンが初めての恋にぐちゃぐちゃになってんのウケるって言ってんの」
「…だから、あの子とはそんなんじゃない」
やっぱり田中に相談したのは間違いだったと痛感した。俺に雪穂に対する恋愛感情なんて無い。腹が立つのは俺に許さなかった事を他の奴らに許している雪穂に対してだし、多分、お気に入りのおもちゃを取られた感覚に近い。猫とか犬とか、そういうの。
子供じみた感情だって理解はしているけど腹が立つのだからしょうがない。
「え、やっば!」
「これマジで同じ男かよ」
パネルを切っていたクラスメイトが上げた声に意識が向いた。そういえばさっきスマホが震えていた気がすると思って取り出すと写真が送られて来ている様だった。楠木の「さいかわ女子にしちゃった」のメッセージに嫌な予感がしてすぐ様グループを開けばそこに載っていたのは大正レトロな着物に身を包んだ雪穂だった。両手を広げて何が何だかわかっていない、隙だらけのかわいい顔をした雪穂がじっとこちらを見ている。
プツン、と自分の中で何かが切れる音がしたのがわかった。
「うぉ、これマジで斉藤クン? ポテンシャルやべー、こんなん普通に女の子じゃん。なあ桐生これ」
「見るな」
「…は?」
また画面にメッセージが送られる。かわいいだとかやばいとかそんな文章に混ざって「確認したいから体育館裏来てー」というメッセージが表示されるのと委員長のお疲れ様の声が聞こえたのはそう時差は無かった。つまり雪穂がここに来る。あんな格好で、あんな無防備な顔をしてここに来る。そんなのは許されないと思った、どうしても嫌だった。
「ちょっと抜ける」
「は⁉ お前、……ぇー…、マジかよ」
雪穂が体育館裏にまで来るルートはいくつかある。その選択肢を間違ったらもう捕まえられない。それなら確実に通る場所で待てば良いと判断して俺は体育館裏近くの空き教室に入った。
普段あまり使用されない教室のカーテンは閉め切られていて埃っぽい。今まで感じた事のない衝動を抑える為に何度も呼吸を繰り返しながら適当に座る。その間もスマホは震えていて多分文化祭関連の連絡が流れているんだろうなと思った。一応確認しないといけないけれど、もしそこに雪穂に対する反応があったらと思うと想像しただけで苛ついてしょうがない。
奥歯を噛み締めて爪が食い込むくらい強く拳を握る。
気持ち悪くなる程の苛立ちに頭の冷静な部分が違和感を察知する。いくら自分が一番に見つけたものだからってこんなにも苛つく物なんだろうか。自分の子供の頃はどうだっただろうか、お気に入りのおもちゃを取られた時こんな気分だっただろうか。そう思った所で子供の頃の自分と今の自分では捉え方がまるで違うんだから比較対象にならないと思考を放棄する。
苛立ちも何もかも全部吐き出す様に息を吐くけれど胸の中のヘドロみたいな塊は抜けてくれない。こんなにも自分の感情が制御できないなんて初めてでぐしゃりと前髪を掴んだ所で誰かが廊下を歩く音がした。
その瞬間俺の意識はそっちに集中して、音を立てないように扉に向かう。まるで試合中のような緊張感が全身を包んでいて、その時を今か今かと待ち侘びた。そしてその人が扉を横切る瞬間、学校ではあり得ないシルエットを確認したと同時に俺は手を伸ばした。
掴んだ腕は着物のせいで普段より質量がある筈なのにそれでも細く感じた。完全な不意打ちとはいえ簡単に引き寄せることの出来る軽さに苛立った。夢中で掻き抱いて、扉を閉めて自分と雪穂の境界を0にする。
「…きりゅう…?」
何より心地いい香りと、久しぶりに自分に向けられた雪穂の声が嬉しくてもっと強く抱きしめた。そのまま座り込むと俺は雪穂の首筋に顔を寄せる。顔も見せていないのに俺だってわかってくれるのが嬉しくて、確かに腕の中に雪穂がいるとわかるとどうしようもないくらい安心してそれまで俺の中にあった嫌な感情が流れて行く様な気さえした。
そうだ、この状況なら仲直りだって出来るかもしれない。どうして雪穂があの日泣いたのか理由を聞いて、俺に悪いところがあれば直せばいい。そうしたら元に戻れるし、俺ももうこんなに苛つかなくて済む。名案だと思った。
だけど雪穂は俺を苛つかせる天才なんだ。
「…委員長のとこ、行かないといけないから」
浮上していた気分が一気に下がる。そのセリフに続く言葉は想像しやすくて、言わせたくなくて俺は噛み付くみたいにキスをした。驚いているのがわかる。どうにか抵抗しようとしているのもわかったけど、雪穂は絶対に力で俺に勝てない。
逃げられない様に顎を掴んで細い腰を引き寄せる。一度口を離して少し雪穂の体から力が抜けたのを感じてまた塞ぐ。いつもと違う香りが僅かにするのはきっとメイクのせいで、でもその香りも雪穂の体温が上がるといつもの匂いに上書きされる。
柔らかな唇を割って、もっと奥へと熱を捩じ込んだ。雪穂の体が震えて、鼻にかかった甘えている様な声にもならない吐息が鼓膜を震わせる。
女よりも低くて男の声だってわかるのに、でも何よりも興奮する。
俺のものだって、なんの疑いもなく思った。
だけど雪穂はそうじゃない。理由も明かさずに俺から離れていった上に他の奴らに触らせて、写真まで撮らせた。そして何より本当に俺しか知らなかったかわいさを他のやつらになんの抵抗もなく見せびらかした。この意識の違いがどうしようもなく苦しい。だってこんなに可愛い姿は俺だけの物だったのに、どうして。
「そんなかわいい格好、俺以外の前でしないでよ」
早く「わかった」って言って欲しかった。だって雪穂は押しに弱いし、優しいから、きっと俺がこう言えばまた拗ねたみたいな顔して前みたいに戻ってくれるって思ってた。
「桐生は僕をどうしたいの」
冷水を頭の上から掛けられた気がした。氷みたいな、俺の聞いた事のない声だった。
どうしたい…? 言われた言葉の意味がわからなくて顔を上げるとそこには声と同じくらい冷たい目をした雪穂がいた。そこに夏祭りの時やそれから少しの間触れ合った時みたいな甘い熱はなくて俺はそこでようやく焦燥感に駆られた。
でもまたあの時みたいに俺の喉は張り付いて声が出なくて、初めて雪穂を認識した時の意思の強い声と怒りに震える目が俺を貫いた。
「僕はお前のオモチャじゃない」
どん、と強く胸を押された。
するりと雪穂は俺の腕の中から抜け出した。扉が開く音と雪穂が去っていく足音が聞こえる。俺はただ呆然と雪穂が出ていった扉を見ることしか出来なかった。怒らせた、そして全身で拒絶された。それまで感じていた苛つきなんてもう微塵も残っていなかった。あるのは激しい喪失感と、またやってしまったという後悔。雪穂の「オモチャじゃない」その声が頭の中をリフレインする。
「……」
おもちゃじゃない、なんてどの口が言えたんだろう。俺は確かにそう思っていた。お気に入りのおもちゃが人に見つかったのが気に入らない感じなんだろうって自分を納得させていたし、それ以外に感情の選択が無かった。
だけど実際に雪穂の口から言われると自分でも信じられない程心が傷付いているのがわかる。許されるなら追い縋って、謝って、許して欲しいとまで思った時、過去の自分を思い出して俺は目を見開いた。
(「ねえ待って! ごめんなさい、謝るから! 謝るから別れるなんて言わないでよぉ!」)
かつて恋愛関係だった女が浮気か何かして面倒臭いと思って振った時だ。女は泣き喚きながら俺に縋って来て、それが心底面倒臭かった。
けど俺の今の状況は、多分その女と酷似している。繋ぎ止めたくてこっちを見て欲しくて必死になっている。ああでも、それじゃまるで田中が言った通りじゃないか。
「…俺、雪穂の事好きなの…?」
大罪を犯している様な、そんな気分だった。
雪穂に告白された日から、つまり文化祭が終わってからいくらか経過した。
紅葉していた葉はどんどん散って行き息を吸えば鼻の奥がツンとするような冷たい空気が混ざり始め、冬になろうとしていた。
告白されたあの日から俺はおかしくなっていた。
「桐生さーん、一年のかわい子ちゃんがお呼びですけど〜?」
「…無理。本当に無理、田中代わりに行ってきて」
「お前ねー、勇気振り絞って来てくれた子にそれはダメよ。告白ってすげえしんどいもんなんだからさ」
ぐうの音も出ない正論パンチに俺は立ち上がって扉の前で待つ女子の前に行った。緊張して頬を赤らめた子が俺のことを上目遣いに見つめて聞き取れるか危ういラインの声量で「ありがとうございます」なんて言うから俺は「はあ」なんて気の無い返事を返した。
それから連れて行かれるままに空き教室に入って、案の定告白される。田中の言う通り来るもの拒まず去る者追わずだった俺が告白を断る様になり、その子は泣きながら走って出て行った。
……やっぱり面倒臭い。心からそう思う。
人の泣き顔を見るのは好きじゃないから告白されたら誰とでも付き合っていた。だけど大体振られるのはいつだって俺の方で、理由は「私のこと好きじゃないでしょ」って言うのがダントツで多い。自分なりに大事にしてきたつもりだったけど、どうやら彼女たちにとっては違うらしかった。
「…はぁ」
溜息を吐いて教室に戻ろうとすると扉から田中が顔を覗かせているのが見えて額に青筋が浮かぶ。明らかに機嫌か急降下して俺を見て田中はゲラゲラと楽しそうに笑いながら中に入って来た。
「人の告白を見るのも悪趣味だろ」
「残念ちゃんと終わってから様子見に来ました〜。にしても最近多いなお前目当ての告白」
「本当に迷惑」
「まあ隙作ってるお前も悪いわな。あんだけ全身でフられましたオーラ出してたらそりゃワンチャン狙いの女豹ちゃんたちが寄って来ますって」
「……そもそも付き合ってなかったし」
辛うじて絞り出した声は自分でも驚く程掠れていてそれがあまりに情けなくて教室に戻る足を止めて適当な椅子に腰掛けた。深い溜息と一緒に思い出すのは告白してきた雪穂の顔だ。もう夢に見るくらいには衝撃的な記憶。
ただでさえ文化祭準備期間前から一杯一杯だったのに、今ではもう頭の中は雪穂の事だらけだ。ただそうなってしまっている自分が嫌で必死にスポーツとか勉強で気を紛らわせようとするけど、同じクラスにいる限り完全に思い出さない様にするなんて事は不可能だ。
今も少し田中にイジられただけでこの様だ。本当に俺はおかしくなってしまった。
「…だろうなぁ」
田中が扉の方へ向かう気配がした。このまま出て行くのかと思ったがそうでは無く、扉から顔を覗かせて左右を確認してから扉を閉めた。その一連の動作の意味が分からず眉を寄せた俺を見ていつになく真剣な顔をした田中が俺の隣の椅子を引っ張って座る。
「なに、どうしたの」
「ネコちゃんの正体斉藤クンだろ」
「……は」
呼吸を忘れるくらいの衝撃に反応が遅れる。それで田中は確信したと言わんばかりに息を吐いて背凭れに体を預けた。
「やっぱりなぁ。うん、じゃあお前がそんなになるのも納得だわ」
「ちが」
「取り繕うのが遅い。まあ安心しろよ、絶対俺しか知らねえから」
田中はノリは軽いけれどこういう所はちゃんとしているやつだと知っているから俺は無意識に止めていた息を吐き出して同じように背凭れに体を預ける。少しの間俺達の間に会話は無かった。でもこの沈黙を俺は嫌だとか気まずいとは思わず、むしろ少し気持ちが軽くなった気さえしていた。
「……何で雪穂ってわかったの」
「体育館裏でペンキ塗ってた時、お前斉藤クンの写真見てブチギレてたから。後はまあ、その時の俺のカンを頼りにバレないように斉藤クンを観察して、よく見りゃネコちゃんと背格好似てるなぁって」
「怖」
「おい。…まあでも、正直びびってはいますよ俺は」
笑い混じりで呟く田中はまた少し間を置いてから俺を見る。
「お前はあれなの? 女装したクソかわいい斉藤クンにまんまとハニトラ掛けられた側なの? あの子あんな清楚な感じ出しといて実はめっちゃエロいとか? いや正直あのレベルの女装で来られたらくらっと来るのはわかるわ。俺も実際声聞くまで存在疑ってたもん。いやぁあれすごいね。まあそれで? ハニトラかけられた挙句こっ酷くフられたって感じなんですかね桐生クンは」
「うるさいよ田中」
てっきり非難なり軽蔑なりされるだろうと思っていけれど、そうだ田中はこういうやつだったと深く長く息を吐く。どうしたものかと眉間に皺を寄せるがいっそ吐き出してしまうかと田中の方を見た。
「俺が雪穂に女装させたんだよ」
「…え?」
「俺が雪穂に」
「2回も言わなくていいです〜! えー、まさかここに来て親友のえげつない性癖聞いちゃう感じ?」
「元はと言えば首突っ込んできたお前が悪い」
「最初に相談持ち掛けてきたのはお前じゃんか!」
そうして俺は田中に雪穂と仲良くなった経緯を話した。途中からとんでもなく表情豊かになっていたし、多分俺の性癖に引いてもいたけれどまあ田中だしいいかと思わせる力がこいつにはある。もう腹一杯ですと顔に書いてある田中を無視して雪穂から告白された所まで伝えると目を瞬かせていた。
「両想いじゃん付き合えよ」
「……お前さあ」
「この期に及んでまだ腰が引けてるんですか桐生ク〜ン」
「そうじゃなくて、男同士じゃん」
「は?」
心から理解出来ないという顔で田中が俺を見てくる。それに思わずたじろぐともう一度「はあ?」と凄まれた。
「はじめから男ってわかっておきながらデートするわキスするわ毎日おはようからおやすみまでやり取りするわ挙句の果てには嫉妬でとんでもない事までしといて普通ならまず最初にぶつかる壁に今になって体当たりしてんのお前」
「そ、それに俺雪穂のこと好きかどうかわかんないし」
「はあ〜?」
意味が分からないという視線から逃れる様に俺は顔を窓の方に向けた。冬が近づくと随分日の落ちるのが早くなったな、なんて現実逃避をしていれば低い声で田中に呼ばれて渋々顔の位置を元に戻す。
「このポンコツがよぉ…」
頭が痛いとばかりにこめかみを揉んでいた田中だったが少しして口を開く。
「…お前さ、自分以外の男があの子の隣にいたらどう思うよ。お前がしてきた事全部他の男があの子にやるんだよ。デートもキスもセックスも全部。そんで斉藤クンはそれにぜーんぶ喜んじゃうの。恋人なんだから当然だよなぁ」
言われて初めてその状況を俺は想像した。自分でもどうしてだって思うくらいその想像をして来なかった。だけど田中に誘導されて初めてその可能性をリアルに感じて想像を働かせてそして、耐えられないと思った。それはそうだ。文化祭の期間中でさえ耐えられなかったのに、それ以上なんて無理だ。雪穂が自分以外の前で笑うのだって本当は嫌なんだって、俺は今になって気が付いた。
「…想像して少しでも嫌な気分になったっていうならもうそれが答えだよ。桐生はポンコツだから優しい優しい親友が教えてやるけどな」
お前のそれはもう明らかな恋だよ。
罪を裁かれている様な心地だった。
文化祭の準備期間中どうしようもないくらいに苛ついていた。聞こえるもの見えるもの全てに腹が立って、きっと自分に理性が無ければ様々な物を手当たり次第に破壊していただろうって思うくらいに俺はボロボロだった。だけどちっぽけなプライドがそんな醜態晒すのを許さなくて俺は表面上いつも通りに過ごしていた。多分いつも通りだったと思う。自分でも行き場の無い感情を持て余してしまっていてあんまり記憶に無い。
その時の俺の記憶にあるのは雪穂と雪穂の周りにいた奴らと田中くらい。苛ついてしょうがなかった。
文化祭の準備が始まって、…雪穂が女装するって決まってから雪穂の周りには人がいる様になった。最初は打ち合わせでもしていたのか少し話せば離れていっていたのに、日が進むにつれて業務連絡しかしてなかった連中が普通に雑談も始めた。
「斉藤ってなんで部活入らなかったん?」
「…運動得意じゃないし、団体で何かするのも苦手だし、勉強してる方が楽だから」
「勉強が楽⁉ 言ってみて〜!」
ラグビー部の玉田が雪穂の前の席に座っている。もう何度も話しかけられたからか雪穂も慣れたらしくて言葉を区切る事が少なくなっていた。
「あ、雪ぴ〜! ねえ前髪これで結ばせてー。イメチェンしよ」
「! ゃ、やだ…!」
「やだがやだ」
クラスの中でも割と派手な楠木はどうやら雪穂の事が気に入ったらしくてよく話し掛けているし、みんなの前で平気で雪穂に触る。さくらんぼのヘアゴムで前髪をまとめられてしまった雪穂は何とも言えない顔で楠木を見ていた。だけど雪穂は優しいからどれだけ嫌でも自分からは解かないし、写真を撮られても文句も言わない。
でも男子には当たりが強くて、そんなギャップが面白いのか雪穂の周りに明るい輪が出来ているのがわかった。
「……俺には撮らせてくれなかったじゃん」
「桐生クン何か言ったぁ?」
「言ってない」
俺の周りには楠木と似たタイプだけどもっと女を全面に出してるようなやつと騒がしい男がいる。どうして俺の側に雪穂がいないんだろう。どうして俺の時は学校で話し掛けるのもダメだったのに、そいつらなら良いんだろう。
だって雪穂は十分目立ってる。「斉藤って意外と顔整ってたんだな」とか俺の周りにいる奴が言ってるのが聞こえるし、女子どころか人慣れしてない雪穂の様子を女子達が「かわいい」なんて言ってるのも知ってる。
そんなの、俺はお前らよりも前から知ってる。
雪穂がかわいいのも綺麗なのもエロいのも、お前らよりずっと前から知ってる。でも俺は学校で雪穂に話し掛けられない。だってそう約束したから。雪穂が目立ちたくないって言ったから。他の奴らがやってるんだから良いじゃんって何回も思ったけど、その度に思い止まった。どうしてそうなるのか何度も考えて出た答えは一つだった。
俺は雪穂に嫌われるのを怖がってる。
まだあの日雪穂が帰った理由を俺は理解出来てない。その状態で連絡して会って謝っても、きっと雪穂は口先だけの謝罪で許してなんてくれない。
どうしたら良いんだって俺は寝るふりをして頭を抱えた。
そんなどうしようもないこう着状態が壊れたのは文化祭準備期間中の放課後の事だった。
俺達の学校はとにかく文化祭に力を入れていて一般にも公開する。全校対象の出し物対決もあるし他にもイベントは目白押しだ。だからこそ生徒のほとんどは気合が入っててその日も大道具作りに参加していた。
「パネルってこの枚数で足りるんだっけ?」
「足りるー。切ったらペンキ塗らねえとだわ。あ、ペンキ乾いたやつから美術班に持ってってー」
俺と田中は客寄せパンダ係だからか本番まで仕事が無い。だから人手が入りそうな場所に入って手伝うっていうのをここ数日繰り返している。
「俺もキャストが良かったんだけどなぁ、イケメンって辛いですね桐生クン」
「そうですねー」
「もっと心込めて相手して!」
俺と田中はジャージを着てペンキ塗り作業を手伝っていた。広い体育館裏では他のクラスも作業をしているのが見えてやっぱりみんな気合入ってるなと漠然とした感想を持つ。
「で、ここ最近ずっとピリついてる桐生クンはまだネコちゃんと仲直り出来てないのかよ?」
「……」
「無言は肯定と受け取りま〜す」
それまで問題なく塗っていたペンキのローラーを止めて田中を見る。でもそいつは俺の事は見てなくて淡々とパネルにペンキを塗っていた。
「ホント珍しいな。お前人間関係どうでもいいよクンなのに」
「…は?」
「面倒臭い事嫌い、振られて泣かれるのもめんどいから嫌い、部活の助っ人頼まれて断った時の相手の反応が嫌い、基本ぜーんぶイエスマンでことなかれ主義で来るもの拒まず去る者は追わずの桐生クンが初めての恋にぐちゃぐちゃになってんのウケるって言ってんの」
「…だから、あの子とはそんなんじゃない」
やっぱり田中に相談したのは間違いだったと痛感した。俺に雪穂に対する恋愛感情なんて無い。腹が立つのは俺に許さなかった事を他の奴らに許している雪穂に対してだし、多分、お気に入りのおもちゃを取られた感覚に近い。猫とか犬とか、そういうの。
子供じみた感情だって理解はしているけど腹が立つのだからしょうがない。
「え、やっば!」
「これマジで同じ男かよ」
パネルを切っていたクラスメイトが上げた声に意識が向いた。そういえばさっきスマホが震えていた気がすると思って取り出すと写真が送られて来ている様だった。楠木の「さいかわ女子にしちゃった」のメッセージに嫌な予感がしてすぐ様グループを開けばそこに載っていたのは大正レトロな着物に身を包んだ雪穂だった。両手を広げて何が何だかわかっていない、隙だらけのかわいい顔をした雪穂がじっとこちらを見ている。
プツン、と自分の中で何かが切れる音がしたのがわかった。
「うぉ、これマジで斉藤クン? ポテンシャルやべー、こんなん普通に女の子じゃん。なあ桐生これ」
「見るな」
「…は?」
また画面にメッセージが送られる。かわいいだとかやばいとかそんな文章に混ざって「確認したいから体育館裏来てー」というメッセージが表示されるのと委員長のお疲れ様の声が聞こえたのはそう時差は無かった。つまり雪穂がここに来る。あんな格好で、あんな無防備な顔をしてここに来る。そんなのは許されないと思った、どうしても嫌だった。
「ちょっと抜ける」
「は⁉ お前、……ぇー…、マジかよ」
雪穂が体育館裏にまで来るルートはいくつかある。その選択肢を間違ったらもう捕まえられない。それなら確実に通る場所で待てば良いと判断して俺は体育館裏近くの空き教室に入った。
普段あまり使用されない教室のカーテンは閉め切られていて埃っぽい。今まで感じた事のない衝動を抑える為に何度も呼吸を繰り返しながら適当に座る。その間もスマホは震えていて多分文化祭関連の連絡が流れているんだろうなと思った。一応確認しないといけないけれど、もしそこに雪穂に対する反応があったらと思うと想像しただけで苛ついてしょうがない。
奥歯を噛み締めて爪が食い込むくらい強く拳を握る。
気持ち悪くなる程の苛立ちに頭の冷静な部分が違和感を察知する。いくら自分が一番に見つけたものだからってこんなにも苛つく物なんだろうか。自分の子供の頃はどうだっただろうか、お気に入りのおもちゃを取られた時こんな気分だっただろうか。そう思った所で子供の頃の自分と今の自分では捉え方がまるで違うんだから比較対象にならないと思考を放棄する。
苛立ちも何もかも全部吐き出す様に息を吐くけれど胸の中のヘドロみたいな塊は抜けてくれない。こんなにも自分の感情が制御できないなんて初めてでぐしゃりと前髪を掴んだ所で誰かが廊下を歩く音がした。
その瞬間俺の意識はそっちに集中して、音を立てないように扉に向かう。まるで試合中のような緊張感が全身を包んでいて、その時を今か今かと待ち侘びた。そしてその人が扉を横切る瞬間、学校ではあり得ないシルエットを確認したと同時に俺は手を伸ばした。
掴んだ腕は着物のせいで普段より質量がある筈なのにそれでも細く感じた。完全な不意打ちとはいえ簡単に引き寄せることの出来る軽さに苛立った。夢中で掻き抱いて、扉を閉めて自分と雪穂の境界を0にする。
「…きりゅう…?」
何より心地いい香りと、久しぶりに自分に向けられた雪穂の声が嬉しくてもっと強く抱きしめた。そのまま座り込むと俺は雪穂の首筋に顔を寄せる。顔も見せていないのに俺だってわかってくれるのが嬉しくて、確かに腕の中に雪穂がいるとわかるとどうしようもないくらい安心してそれまで俺の中にあった嫌な感情が流れて行く様な気さえした。
そうだ、この状況なら仲直りだって出来るかもしれない。どうして雪穂があの日泣いたのか理由を聞いて、俺に悪いところがあれば直せばいい。そうしたら元に戻れるし、俺ももうこんなに苛つかなくて済む。名案だと思った。
だけど雪穂は俺を苛つかせる天才なんだ。
「…委員長のとこ、行かないといけないから」
浮上していた気分が一気に下がる。そのセリフに続く言葉は想像しやすくて、言わせたくなくて俺は噛み付くみたいにキスをした。驚いているのがわかる。どうにか抵抗しようとしているのもわかったけど、雪穂は絶対に力で俺に勝てない。
逃げられない様に顎を掴んで細い腰を引き寄せる。一度口を離して少し雪穂の体から力が抜けたのを感じてまた塞ぐ。いつもと違う香りが僅かにするのはきっとメイクのせいで、でもその香りも雪穂の体温が上がるといつもの匂いに上書きされる。
柔らかな唇を割って、もっと奥へと熱を捩じ込んだ。雪穂の体が震えて、鼻にかかった甘えている様な声にもならない吐息が鼓膜を震わせる。
女よりも低くて男の声だってわかるのに、でも何よりも興奮する。
俺のものだって、なんの疑いもなく思った。
だけど雪穂はそうじゃない。理由も明かさずに俺から離れていった上に他の奴らに触らせて、写真まで撮らせた。そして何より本当に俺しか知らなかったかわいさを他のやつらになんの抵抗もなく見せびらかした。この意識の違いがどうしようもなく苦しい。だってこんなに可愛い姿は俺だけの物だったのに、どうして。
「そんなかわいい格好、俺以外の前でしないでよ」
早く「わかった」って言って欲しかった。だって雪穂は押しに弱いし、優しいから、きっと俺がこう言えばまた拗ねたみたいな顔して前みたいに戻ってくれるって思ってた。
「桐生は僕をどうしたいの」
冷水を頭の上から掛けられた気がした。氷みたいな、俺の聞いた事のない声だった。
どうしたい…? 言われた言葉の意味がわからなくて顔を上げるとそこには声と同じくらい冷たい目をした雪穂がいた。そこに夏祭りの時やそれから少しの間触れ合った時みたいな甘い熱はなくて俺はそこでようやく焦燥感に駆られた。
でもまたあの時みたいに俺の喉は張り付いて声が出なくて、初めて雪穂を認識した時の意思の強い声と怒りに震える目が俺を貫いた。
「僕はお前のオモチャじゃない」
どん、と強く胸を押された。
するりと雪穂は俺の腕の中から抜け出した。扉が開く音と雪穂が去っていく足音が聞こえる。俺はただ呆然と雪穂が出ていった扉を見ることしか出来なかった。怒らせた、そして全身で拒絶された。それまで感じていた苛つきなんてもう微塵も残っていなかった。あるのは激しい喪失感と、またやってしまったという後悔。雪穂の「オモチャじゃない」その声が頭の中をリフレインする。
「……」
おもちゃじゃない、なんてどの口が言えたんだろう。俺は確かにそう思っていた。お気に入りのおもちゃが人に見つかったのが気に入らない感じなんだろうって自分を納得させていたし、それ以外に感情の選択が無かった。
だけど実際に雪穂の口から言われると自分でも信じられない程心が傷付いているのがわかる。許されるなら追い縋って、謝って、許して欲しいとまで思った時、過去の自分を思い出して俺は目を見開いた。
(「ねえ待って! ごめんなさい、謝るから! 謝るから別れるなんて言わないでよぉ!」)
かつて恋愛関係だった女が浮気か何かして面倒臭いと思って振った時だ。女は泣き喚きながら俺に縋って来て、それが心底面倒臭かった。
けど俺の今の状況は、多分その女と酷似している。繋ぎ止めたくてこっちを見て欲しくて必死になっている。ああでも、それじゃまるで田中が言った通りじゃないか。
「…俺、雪穂の事好きなの…?」
大罪を犯している様な、そんな気分だった。
雪穂に告白された日から、つまり文化祭が終わってからいくらか経過した。
紅葉していた葉はどんどん散って行き息を吸えば鼻の奥がツンとするような冷たい空気が混ざり始め、冬になろうとしていた。
告白されたあの日から俺はおかしくなっていた。
「桐生さーん、一年のかわい子ちゃんがお呼びですけど〜?」
「…無理。本当に無理、田中代わりに行ってきて」
「お前ねー、勇気振り絞って来てくれた子にそれはダメよ。告白ってすげえしんどいもんなんだからさ」
ぐうの音も出ない正論パンチに俺は立ち上がって扉の前で待つ女子の前に行った。緊張して頬を赤らめた子が俺のことを上目遣いに見つめて聞き取れるか危ういラインの声量で「ありがとうございます」なんて言うから俺は「はあ」なんて気の無い返事を返した。
それから連れて行かれるままに空き教室に入って、案の定告白される。田中の言う通り来るもの拒まず去る者追わずだった俺が告白を断る様になり、その子は泣きながら走って出て行った。
……やっぱり面倒臭い。心からそう思う。
人の泣き顔を見るのは好きじゃないから告白されたら誰とでも付き合っていた。だけど大体振られるのはいつだって俺の方で、理由は「私のこと好きじゃないでしょ」って言うのがダントツで多い。自分なりに大事にしてきたつもりだったけど、どうやら彼女たちにとっては違うらしかった。
「…はぁ」
溜息を吐いて教室に戻ろうとすると扉から田中が顔を覗かせているのが見えて額に青筋が浮かぶ。明らかに機嫌か急降下して俺を見て田中はゲラゲラと楽しそうに笑いながら中に入って来た。
「人の告白を見るのも悪趣味だろ」
「残念ちゃんと終わってから様子見に来ました〜。にしても最近多いなお前目当ての告白」
「本当に迷惑」
「まあ隙作ってるお前も悪いわな。あんだけ全身でフられましたオーラ出してたらそりゃワンチャン狙いの女豹ちゃんたちが寄って来ますって」
「……そもそも付き合ってなかったし」
辛うじて絞り出した声は自分でも驚く程掠れていてそれがあまりに情けなくて教室に戻る足を止めて適当な椅子に腰掛けた。深い溜息と一緒に思い出すのは告白してきた雪穂の顔だ。もう夢に見るくらいには衝撃的な記憶。
ただでさえ文化祭準備期間前から一杯一杯だったのに、今ではもう頭の中は雪穂の事だらけだ。ただそうなってしまっている自分が嫌で必死にスポーツとか勉強で気を紛らわせようとするけど、同じクラスにいる限り完全に思い出さない様にするなんて事は不可能だ。
今も少し田中にイジられただけでこの様だ。本当に俺はおかしくなってしまった。
「…だろうなぁ」
田中が扉の方へ向かう気配がした。このまま出て行くのかと思ったがそうでは無く、扉から顔を覗かせて左右を確認してから扉を閉めた。その一連の動作の意味が分からず眉を寄せた俺を見ていつになく真剣な顔をした田中が俺の隣の椅子を引っ張って座る。
「なに、どうしたの」
「ネコちゃんの正体斉藤クンだろ」
「……は」
呼吸を忘れるくらいの衝撃に反応が遅れる。それで田中は確信したと言わんばかりに息を吐いて背凭れに体を預けた。
「やっぱりなぁ。うん、じゃあお前がそんなになるのも納得だわ」
「ちが」
「取り繕うのが遅い。まあ安心しろよ、絶対俺しか知らねえから」
田中はノリは軽いけれどこういう所はちゃんとしているやつだと知っているから俺は無意識に止めていた息を吐き出して同じように背凭れに体を預ける。少しの間俺達の間に会話は無かった。でもこの沈黙を俺は嫌だとか気まずいとは思わず、むしろ少し気持ちが軽くなった気さえしていた。
「……何で雪穂ってわかったの」
「体育館裏でペンキ塗ってた時、お前斉藤クンの写真見てブチギレてたから。後はまあ、その時の俺のカンを頼りにバレないように斉藤クンを観察して、よく見りゃネコちゃんと背格好似てるなぁって」
「怖」
「おい。…まあでも、正直びびってはいますよ俺は」
笑い混じりで呟く田中はまた少し間を置いてから俺を見る。
「お前はあれなの? 女装したクソかわいい斉藤クンにまんまとハニトラ掛けられた側なの? あの子あんな清楚な感じ出しといて実はめっちゃエロいとか? いや正直あのレベルの女装で来られたらくらっと来るのはわかるわ。俺も実際声聞くまで存在疑ってたもん。いやぁあれすごいね。まあそれで? ハニトラかけられた挙句こっ酷くフられたって感じなんですかね桐生クンは」
「うるさいよ田中」
てっきり非難なり軽蔑なりされるだろうと思っていけれど、そうだ田中はこういうやつだったと深く長く息を吐く。どうしたものかと眉間に皺を寄せるがいっそ吐き出してしまうかと田中の方を見た。
「俺が雪穂に女装させたんだよ」
「…え?」
「俺が雪穂に」
「2回も言わなくていいです〜! えー、まさかここに来て親友のえげつない性癖聞いちゃう感じ?」
「元はと言えば首突っ込んできたお前が悪い」
「最初に相談持ち掛けてきたのはお前じゃんか!」
そうして俺は田中に雪穂と仲良くなった経緯を話した。途中からとんでもなく表情豊かになっていたし、多分俺の性癖に引いてもいたけれどまあ田中だしいいかと思わせる力がこいつにはある。もう腹一杯ですと顔に書いてある田中を無視して雪穂から告白された所まで伝えると目を瞬かせていた。
「両想いじゃん付き合えよ」
「……お前さあ」
「この期に及んでまだ腰が引けてるんですか桐生ク〜ン」
「そうじゃなくて、男同士じゃん」
「は?」
心から理解出来ないという顔で田中が俺を見てくる。それに思わずたじろぐともう一度「はあ?」と凄まれた。
「はじめから男ってわかっておきながらデートするわキスするわ毎日おはようからおやすみまでやり取りするわ挙句の果てには嫉妬でとんでもない事までしといて普通ならまず最初にぶつかる壁に今になって体当たりしてんのお前」
「そ、それに俺雪穂のこと好きかどうかわかんないし」
「はあ〜?」
意味が分からないという視線から逃れる様に俺は顔を窓の方に向けた。冬が近づくと随分日の落ちるのが早くなったな、なんて現実逃避をしていれば低い声で田中に呼ばれて渋々顔の位置を元に戻す。
「このポンコツがよぉ…」
頭が痛いとばかりにこめかみを揉んでいた田中だったが少しして口を開く。
「…お前さ、自分以外の男があの子の隣にいたらどう思うよ。お前がしてきた事全部他の男があの子にやるんだよ。デートもキスもセックスも全部。そんで斉藤クンはそれにぜーんぶ喜んじゃうの。恋人なんだから当然だよなぁ」
言われて初めてその状況を俺は想像した。自分でもどうしてだって思うくらいその想像をして来なかった。だけど田中に誘導されて初めてその可能性をリアルに感じて想像を働かせてそして、耐えられないと思った。それはそうだ。文化祭の期間中でさえ耐えられなかったのに、それ以上なんて無理だ。雪穂が自分以外の前で笑うのだって本当は嫌なんだって、俺は今になって気が付いた。
「…想像して少しでも嫌な気分になったっていうならもうそれが答えだよ。桐生はポンコツだから優しい優しい親友が教えてやるけどな」
お前のそれはもう明らかな恋だよ。