寒さが緩み、暖かくなる頃。

「また実家行くの?」
「うん、模様替えを手伝って欲しいって」

 沙也葉は、最近ちょこちょこと実家に帰っている。
 この前は機種変したスマホの設定、その前は庭の手入れの手伝い。

「お母さん、淋しいのかな」
「暖かくなってきたから、雑用のやる気出してるだけだよ」

 沙也葉の実家までは徒歩十分程度。便利屋として呼びつけるにも気軽なのだろう。

「瞳子は確定申告?」
「うん。沙也葉が下宿代いっぱいくれるから、申告対象だよー、めんどいよー」
「あはは、頑張って」

 沙也葉は笑いながら出て行った。

 沙也葉には泣き言を言ったが、もともと仕事でやっていた分野である。必要物を把握してちょこちょこまとめていたおかげで、思ったより早く終わった。

「『とうこさんゆうしゅう』って? やだなーヒノち、そんなに褒めるなよー」

 ぬいとの生活にもすっかり慣れ、最近は沙也葉がいなくてもナチュラルに会話してしまっている。

「もう提出しに行っちゃおうかな。なぁに、リュぴ? 『ためらうな、こころのままにいけ!』って? ゴーバイの名台詞言われたら、行くしかないじゃん~」

 瞳子はゴーバイラルの主題歌を鼻歌で歌いながら、出かける準備をした。

 自転車で税務署に向かっていると、向かい側から歩いてくるカップルが見えた。

「ん?」

 女の方は、沙也葉に似ている。……というか、沙也葉だ。

 沙也葉が、若い男と並んで歩いている。男は背が高く、結構なイケメンだ。
 瞳子は思わず自転車を止め、街路樹に身を隠した。

 偶然会った知り合いにしては、やけに親しげな空気だ。それに今いる場所は、沙也葉の実家とは反対方向である。

 沙也葉は男の肩を叩き、脇腹をつついた。
 男も沙也葉の腕や背中をつつき返し、笑ってじゃれ合っている。
 二人は二階建ての民家の前で立ち止まり、男は手慣れた様子で玄関の鍵を開けた。
 ドアを開いて沙也葉の背に手を回し、招き入れる。

 瞳子は呆然とした。


***


 帰宅した沙也葉は、いつもと変わらない様子だった。

「お母さん、元気だった?」
「うん、元気だったよ」
「今日は部屋の模様替えだっけ?」
「うん、炬燵をしまったり、絨毯を変えたり」

 沙也葉は荷物を置きながら、カウンターの上に置いたガラスボウルの中で寝かせてあるピザ生地に目を止めた。

「あっ、もしかして今日はリュぴの手作りピザ? あれ好きなんだ」

 男の話が出る様子はない。

 あれは誰なんだろう。恋人だろうか。
 そもそも、今日は本当に実家に行ったんだろうか。

 聞けば済む話だ。見たよ、あの人誰? って。

 でも、その簡単な言葉が出てこない。

 ……別に、沙也葉に恋人ができてもいいし、それが沙也葉の幸せなら応援したい。

 ただ、もしそうなら、今の生活はどうなるのだろう。

 幸せすぎて忘れていたが、この生活の期限は一年。それが終わったら、沙也葉は別の人との未来に踏み出し、私は一人になるのだろうか。

 何だか怖くて、確かめることができなかった。


***


 今日は、パソコンの操作がわからなくて呼ばれたと言って、沙也葉は実家へ出掛けている。

 買い物に行くつもりで家を出た瞳子は、いつの間にか自転車を沙也葉の実家方向へと向けていた。

 沙也葉の実家のガレージには自家用車がなく、シンとしていた。留守の気配にドキリとする。
 沙也葉の言葉が本当なら、沙也葉とその母は、家でパソコンを触っているはずだ。

 瞳子はスマホを取り出し、沙也葉に電話をかけた。

『はい』

 沙也葉が電話に出た。

「今何してた? 話して大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。何?』
「アイス買っておこうと思うんだけど、何がいい?」
『そうだなぁ、チョコミントバーとかいいかも』
「わかった」

 瞳子は耳を澄ませたが、特に電話向こうの物音は聞こえない。

「……今は実家にいるの?」
『うん。あと一時間くらいしたら帰るよ』

 通話を切った瞳子は、我慢できずに沙也葉の実家のインターホンを鳴らした。

 応答は、なかった。