推しぬいゴーストシェフ

 その事件が起きたのは、寒さが本格的になったある日の、夕方だった。

沙也葉(さやは)、大変!」

 瞳子(とうこ)が沙也葉の部屋のドアを激しめにノックすると、慌てた様子の沙也葉が顔を出した。

「どうしたの?」
「ヒノちとリュぴが喧嘩してるの!」
「……え?」

 沙也葉はうながされるまま、瞳子と一緒に一階へ下りた。

 ダイニングテーブルの上で、ヒノちとリュぴが向かい合わせになって睨み合っている。

「何があったの?」
「これ……リュぴが取り寄せちゃったみたいで」

 瞳子は骨つき肉の塊を差し出した。両手にずしりとくる大きさである。重さにして、約五キロ。

「え、これ何」
「生ハムの原木(げんぼく)

 沙也葉はぽかんと口を開けた。

「……は?」

 瞳子は笑いそうになりながら、必死に神妙な顔を作った。

「買ったの? リュぴが?」
「うん。通販でぽちったみたい」
「それ、支払いは瞳子のクレカだよね。いくら?」
「二万円ちょっと……」
「はぁあ!?」

 沙也葉はリュぴに手を伸ばし、一緒に勢い良く土下座した。

「申し訳ない! わたくしの教育が至らず……!」
「や、お金のことは大丈夫だよ」
「でも」
「あのね」

 瞳子は小さなノートを沙也葉の前に置いた。
 沙也葉は表紙の文字を読み上げた。

「きゅうりょうめいさい?」
「沙也葉の下宿代から、リュぴがご飯作った時に、千五百円。それが二万一千円分溜まってたの」

 沙也葉はあんぐりと口を開けた。

「そっか、お給料……そっか」

 沙也葉はリュぴをまじまじと見た。

「それで生ハムの原木?」
「『うまいものをたべさせたかった』ですって。ヒノちは『ちゃんととうこにそうだんしないと』って怒っちゃって。まあ、びっくりしたし、置き場所のこともあるしね」
「あは、何それ……あはは!」

 沙也葉は笑い出した。瞳子も我慢できなくなって笑い出す。

「生ハムの原木って! 何やってんの」
「リュウなら買いそうでしょ」
「でも、二万だよ!? それにでかすぎない!?」
「二年くらい持つらしいから、コスパはいいんじゃないかな」
「そっかー、二年……それなら二万もあり……か?」

 二人でげらげら笑い転げ、生ハム記念日にしようと記念写真を撮った。

「リュぴの生ハム料理、楽しみだね」
「うん、最高に楽しみ」

 生ハムの原木は、キッチンのカウンターに置かれた専用の台に威風堂々と設置された。