沙也葉(さやは)がお花と線香をあげている間に、瞳子(とうこ)はキッチンに立って出汁を取った。

 昆布と煮干しを鍋に入れて火にかけ、沸騰前に昆布を引き出して鯖節(さばぶし)をたっぷり加える。
 冷凍庫からうどんを出して解凍し、乾燥わかめを戻し、葱を刻む。水に卵を割り入れ、電子レンジへ。
 みりんと薄口醤油を煮切って出汁に合わせ、味を整えたらうどんを入れて温め、器に盛る。
 うどんの上に、戻したわかめと温泉卵と葱。そこへとろろ昆布をふわりとほぐして盛りつけた。

「はい、どうぞ」

 瞳子はダイニングテーブルに座った沙也葉の前にランチョンマットを敷き、うどんの器を置いた。
 温かな空気と一緒に、醤油と出汁の香りがふわりと広がる。

「……いいにおい」
「七味、使う?」

 器の前にお箸を並べ、ひょうたん型の七味入れを置く。

「ありがとう、でも一度使わないで食べてみる」

 沙也葉はいただきます、と手を合わせ、器を持ち上げてうどんつゆをすすった。
 味わいながら目を閉じ、ほ~っと深いため息をつく。

「おいしい……これ、ちゃんと出汁取ってるよね。瞳子、お料理好きなの?」

 瞳子は首をかしげた。
 料理は嫌いじゃないが、好きかどうか考えたことはなかった。
 一人になると途端に面倒になってしまうから、料理そのものが好きなわけではないのだろう。

「料理っていうより……おいしそうに食べる人が好き、かな」

 沙也葉は不意を突かれたように固まった。

「瞳子、ムゲフレやってるの!?」

 沙也葉は勢いこんで瞳子に迫った。瞳子は訳がわからず、目をぱちぱちさせる。

「え、むげふれ……って、何?」
「『夢幻(むげん)フレグランス』!」

 聞いたことは、あるような。

「ええと……ゲームだっけ? やってないけど」
「嘘……」

 沙也葉は額に手を当て、天を仰いだ。

「偶然だけで……? マジですか……」
「どうしたの」
「えっとね、ちょっと待って」

 沙也葉はスマホをポチポチと触り、画面を瞳子に見せた。

「これ、私の推し。『夢幻フレグランス』の『ヒノキ』」

 モスグリーンにペールオレンジのメッシュが入った少し癖のある短髪に、縁なしの眼鏡。穏やかそうな微笑みを湛えた、和装のキャラクターだ。

「瞳子と似てるとは思ってたんだけど」
「えぇ? どこが?」

 高身長のイケメンと、低身長のちんちくりん。
 共通点と言ったら、眼鏡くらいじゃないか。

「雰囲気。出してる空気っていうか……このうどんも、ヒノキが作りそうな感じ」
「へぇー……?」
「でね、ヒノキのストーリーの~……ここ!」

 沙也葉はストーリーイベント回想メニューから、該当部分を見せてくれた。

『料理っていうより……おいしそうに食べる人が好き、かな』

「うわ」
「ね? イントネーションまで一緒!」
「は、恥ずかしい……」
「なんで? 素敵だよ!」

 沙也葉は目をキラキラ輝かせた。

「このうどんも、ヒノキが作ってくれたって妄想が捗っ……」

 言いかけて、沙也葉はハッとした。

「あ。ごめんね。瞳子が作ってくれたものなのに」

 瞳子は笑って手を振った。

「いいのいいの。私は食べてる人が喜んでればそれでいいから、好きに妄想して」

 言いながらふと、母の写真に目が止まった。
 言葉が途切れた瞳子の視線を、沙也葉が追う。

「……お母さんにも、作ってあげてたの?」
「うん。何作ってもすごく喜んでくれて」

 下唇を噛んだ瞳子の手を、テーブルの上で沙也葉が握った。

「瞳子、幸せだったんだね」

 そうだ。
 お葬式に来た人はみんな、瞳子に大変だったねとか、お母さんは幸せだったねなどと言ってくれたけれど、

 私が幸せだったんだよ。

 それが

 なくなっちゃったんだ。

 沙也葉はテーブルの端のティッシュボックスを取り、瞳子の目の前に置いた。瞳子はティッシュに手を伸ばした。

「ごめん」
「いいよ」

 瞳子はティッシュの束を顔に当て、零れ落ちるものを吸わせながら嗚咽を漏らした。