君が世界に絶望していたあの頃。

 君を笑顔にできるのは、私だけだったんだ。



***



「装填完了。発射!」

 瞳子(とうこ)は香典返しの注文ボタンを押した。

「あー、やっと休めるー」

 ノートパソコンを閉じて香典リストを放り出し、瞳子は和室の床に寝転んだ。ショートボブの黒髪が、規則正しい畳の目に重なって広がる。

 漂う線香の香りに視線を巡らすと、母の澄江(すみえ)が白い箱になって仏壇の前に鎮座しているのが見えた。あれほど戦ったガンも、きれいに焼けて消えてしまった。
 終わったんだ……母と生きていた、私の時間は。

 瞳子は眼鏡をおでこにずらし、視界がぼやけた目を擦った。

「お腹すいたな」

 気持ちを切り替えるように呟いた。

 もうすぐ午後二時を回りそうだ。
 冷蔵庫に食材がないわけではないと思う。しかし、何かを作る気力が湧かなかった。

 コンビニで、何かすぐ食べられるものを買おう。

 そう決めて身を起こし、スマホを掴んで玄関へ向かう。
 秋は深まって来たが、まだ日差しはキツそうだ。
 日傘を手に取り、靴を履いてドアを開けると、門の前に立っている人物と目が合った。

 栗色のセミロングの髪に、白い羽織りものとシックなワンピース。

「……沙也葉(さやは)?」

 名前を呼ぶと、弾けるようにあわあわと動きながら、久しぶりに見る顔がインターホン前から門の正面へ移動した。

「あの、急にごめんね。事前の連絡とか、しておくべきだったよね」

 これが漫画なら、頭の上に放射線状の汗マークが散らかっているに違いない。

「仕事の〆切明けにSNS見て、びっくりして」

 母の闘病は、あまり表に出していなかった。
 周囲からは突然の事態に映っただろう。

「私、都合とか聞かずに来ちゃって。今メッセージしようと、思ったんだけど」

 沙也葉は手の中でしきりにスマホを揉んでいる。そういう遠慮がちな小動物のような仕草が、変わっていなくて微笑ましい。

「わざわざ来てくれたの? 東京から?」

 沙也葉の表情は、なんだか泣きそうに見えた。

「そりゃ……だって、瞳子だもん」

 地元を離れて、もう何年も経つのに。

 瞳子は胸元がきゅっと温まるのを感じながら、門を開けた。

「あがって」
「出かけるところだったんじゃ……」

 沙也葉は申し訳なさそうに首をすくめている。

「あー、コンビニ行こうと思ってたんだけど」
「いいよ、行ってきて。なんなら付き合うし」

 瞳子は宙を睨んで、少し考えた。

「ね、お昼食べた?」
「あ……新幹線で、サンドイッチはつまんだけど」
「まだ食べられる?」

 沙也葉はこくりとうなずいた。

「じゃあお昼作るから、付き合って。自分のためだけにって、作る気力がわかなくて」

 瞳子は沙也葉の腕を取り、家の敷地へ引き込んだ。

「あ、待って待って」

 沙也葉は門の前に置いていた、大きな紙袋を持って戻ってきた。

「これ、御霊前に」

 ふわっと甘やかな花の香りが広がる。中には結構なサイズの百合のアレンジメントが入っていた。

「こんな、大きいの」

 持ち運びが大変だっただろう。
 それを自分の苦労を(いと)わず抱えてくるのが、どうにも沙也葉らしかった。