「あ」

 もみくちゃにされて乱れた髪を不満げに直す、こー。
 そんなこーを目で追っていると、視線とぶつかった。瞬間、声を上げたこーだったけど、その1つの音以上の「見られてた」と言う意味が含まれているように感じた。

「…玲! 田中! ちゃんと得点入れろよ」

 なぜなら、肌がほんのり色付いたからだ。

「うん、わか…」
「おー!  こた、早くポジション戻れよー」

 僕の返事が言い終わる前に、隣から大きな声が飛び出る。
 その声の主は、僕と一緒に名前を呼ばれた田中だ。

「田中こそ、得点係りサボんなよ!」

 くちびるをへの字にしたこーは田中に言い返すと、そのまま早足でコートに戻っていった。

「ーー…いやだから、ここで無言の圧やめてもらえます?」
「なにそれ」
「え、なに。無意識? それはそれで恐いんですけど」
「勝手に(おび)えないでもらえます?」

 田中の思考回路はさておき、やたらと口先だけは本当によく回ると思う。
 くちびるを引きつらせる田中を横目に、僕は得点ボードの数字を変える。

「つーか、そんなに周りを牽制(けんせい)するぐらいならネコ被らなければいいのに」
「ネコ?」
「はいはい。被ってないんですよね」

 僕は田中が小さな声「面倒くせぇ」とこぼしたのを聞き逃さなかったが、いちいち指摘することはこちらも面倒(・・)なのでスルーする。

「まー。俺なんかが言う前に、優秀な辻村なら気づいていると思うけど。最近、こたはアンタに対して感じの悪い対応したとかなんとかボヤいてましたよ」
「うん、そうだね。気づいているけど」

 田中の言葉通り、なにをいまさらと思った。そして、納得する。田中と僕は普段、こーを通した付き合いはあるが、こうして2人で話すと言うことはほぼなかった。
 だから今日の田中には、やたらからんでくるなと言う印象を感じていた。

「さいですか。ほんと、嫌味なヤツだな」

 ガシガシと頭を()いた田中はまた「はぁ」と大きなため息をついた。

「んじゃ、手加減つーの? こたがジメジメしてると調子狂うんですけど」
「へぇ?」
「だーからっ! 変な意味はないっつーの。アンタだって、こたと”仲良しこよし”でいたいんじゃないんですか?」

 ピッと笛が鳴って、また試合がはじまる。

「仲良しこよし…面白い表現するね」
「すみませんねぇ。俺が言うまでもなく、辻村はその理由だって気づいてるんだろ?」
「そうだね。こーは素直でわかりやすいからね」

 田中の言葉を聞き流しながら、再び楽しそうに走り回るこーを目線で追う。

「…身近にいる隣にアンタみたいな存在がいりゃ、どんな人間だって劣等感(れっとうかん)(いだ)くって」
「ありがとう」
「だからほめてねぇよ。辻村なら、そういうの感じさせないようにしたり、フォローできると思うけど、なんでやらないのか、俺にはさっぱりわからん」

 自分の足にひじをついて、僕と同じように目線をコートに向けはじめた田中。
 僕との会話を諦めているような素振りを見せつつも、田中は言葉通り、わからないのだろう。かと言って、目の前の僕たちのことを”わからない”ままスルーできない。
 失礼な男ではあるが、こーにとって仲が良い友人であるので答えてあげることにする。それに田中の場合、言わないでいるより、言ってしまった方がこちらも扱いやすくなると言う考えもあった。

「どんな感情であっても、こーはもっと僕を意識すれば良いと思う」
「・・・は?」

 一瞬動きを止めた田中はギギギっと錆びたペダルのようにぎこちなくこちらに顔を向けてきた。
 その顔には、意味がわからないと書いてある。僕はしかたなく、田中にわかりやすく説明してあげる。

「こーの頭の中にある僕の割合が多い方が良いからね」
「は? いや。言葉の意味がわからなかったわけでなく」

 僕のわかりやすくした説明を聞いた田中は、そう言葉区切って、ごくりとノドを鳴らして口を開く。

「感情、でかすぎだろ」
「ありがとう」

 田中はガクッと頭を落とし、疲れ切ったような声を出した。

「だから…ほめてねぇよ…」

 こーの考えていることは大体わかっている。
 田中の言うとおり、僕に劣等感を抱いていること。そして、劣等感と言うネガティブな感情をもっている自分に対しても嫌気がさしてしまっていること。
 そう言う、こーの純朴さが僕の感情を掻き立てる。
 たぶん、こーは僕が幼い頃のことーー”約束”忘れていると思っている。

 僕がこーのことで忘れることなんてないのに。

 こーはあの時の言葉に大事にしていることは分かっているけど、僕にはこーのその言葉よりも、その後のこーの行動に強い衝撃を覚えていた。

 『オレがまもってやる!』

 そう宣言した通り、こーは僕のことを守ってくれた。
 僕はこーに甘えた。
 当時の僕は、ぶつけられる様々な言葉に対して、うまく言葉を返すことができなかったし、新しい環境に慣れるのに必死だった。1つでも、考えることを減らせるなら減らしたかった。
 そうして、新しい環境に順応していった僕は、こーに対してお人好しと言う印象をもったし、そのまま利用しようと思った。

 でも、ある時。僕に対してやっかみをもった上級生がからんできた。1つ、2つ上ではなく、低学年と最上級生というぐらい年がはなれていたと思う。体格がまったく違っていて、武術を学んでいない僕でも「無理だ」とわかるぐらいに。そうなると、子供同士でおさまる話ではないと自然と理解するのは当然で、僕は大人(せんせい)に相談しようと考えていた。
 けれど、こーは違った。
 どう見ても勝てもしない上級生(あいて)に対しても、変わらずに挑んだ。そして、傷だらけになりながらも僕を守った。こーのプライドのために補足するなら勝利をおさめている。こっちが心配になるぐらい傷だらけだったのに、こーは「玲がケガしなくてよかった」と笑った。
 
 その時、僕は利用できると思って近くにいたこーのことを、そうではない感情が含まれていたことに気づいた。
 見た目で子供はもちろん、大人にも居心地の悪い感情をもたれていることに薄々感じて、嫌気がさしていた。
 でも、こーは下心とか関係なく、本当に「守る」という純粋な気持ちだったこと。その真っ直ぐな感情に僕は強く惹かれていたのだと。

「お前()(こじ)らせてて面倒くせよ」
「それはどうも、ありがとう」
「だから…ほめてねぇ…」