それから大分時が流れて、「しゅん」を描くことも無くなっていた、中学二年の終わり頃のある日。下校時の夕焼けが虹色みたいな紫で、とても綺麗だった。

 家に鞄を置いてそのまま、久しぶりに河原まで歩いた。「しゅん」と会った時に座っていた階段に行こうと思ったら、先客がいるのが遠くから見えた。狭い階段なので隣に並ぶ気はしなくて、仕方なく空くまで待つことにして、少し手前で止まった。
 そこに座りたいんだけど……どいてくんないかな。ちら、と、座ってる人に目を向けた瞬間。心臓が止まるかと思った。

「しゅん」だ。

 覚えてる姿よりは当然成長してるけど。絶対そうだ。間違えるわけがない、そう思った。どうしよう。話しかける? なんて言う? 絶対忘れてるよな。どうしようか。せっかく、会えたのに。

 何て話しかけるか、一瞬で何パターンも考えていたけれど。ふと、なんだか様子がおかしいことに気付いた。
 話しかけるのは諦めて、少し離れた所に腰かけた。夕日を見る振りをしながら、「しゅん」を見られる位置に。
 ぼんやりと夕日を見ている「しゅん」。どんどん時間が経って、茜色に変わった夕日の中。ふっと消えてしまいそうに見える。記憶にあった明るいキラキラの笑顔の「しゅん」とは別人みたいだった。
 本当に消えてしまいそう。戸惑いしか無い。オレの中には明るい「しゅん」しかいないから。

「しゅん」はずっと、動かない。だんだん薄暗くなっていく中、ますます消えてしまいそうな気がする。ずっと空を見上げていた「しゅん」は不意に動いて、手の甲で顔を拭う仕草を見せた。
 え。……泣いてる?
 そのまま、「しゅん」は俯いた。長い間、そのまま。動かない「しゅん」が心配で胸が痛い。
 でもこんな時に、知らない奴に話しかけられたくないだろうと思うので、近寄ることはできない。だけど心配すぎて、どうしようかと思った時。不意に「しゅん」が、両頬を両手で抑えて。もう一度、涙を拭うような仕草。そして、ゆっくり立ち上がると、まっすぐ空を見上げている。目を逸らしたら、消えてしまいそうな気がして、ずっと見守っていた。そのうち、「しゅん」はゆっくりと階段を上ると、そこに止めていた自転車に乗って消えて行った。
 五年生の時の面影は残っていた。というか、それがさらに、カッコよくなっていて、多分明るく笑えば、前のままなんだろうけど。
 本当に、消えてしまいそうだった。なのに、何もしてあげられなかった。オレは、一番つらかった時、助けてもらったのに。そんな後悔ばかりが、胸を焼いた。

 それからは、また会えない日々。店や駅や公園で会うこともない。生活圏が全然違うのか、すれ違うことすら無い。あの日、綺麗すぎる夕日に包まれた「しゅん」の姿を、また何回か絵に描いた。描くたびに、何もできなかった自分を責める気持ちが湧き上がってつらいけど、描かずにはいられなかった。
 今も、泣いてるんだろうか。何があったんだろう。
 昔サッカーをしていたグラウンドに一人で来て、あんな夕日の中で静かに泣くなんて。
 近くにいられたら。友達だったら。一人で泣かせたりしないのに。何もできなくても。許されるなら傍にいるのに。
 小五の時に一度会ってその後まったく会えなくても、「しゅん」はサッカーを頑張っていて、仲間に囲まれてキラキラの笑顔でいるんだと想像していた。心の中で応援しているだけで、幸せだった。でも、中二で、あんな姿を見てからは、一人で泣いてる姿ばかりが思い浮かんできて。思い出すと苦しかった。

「しゅん」は、元々は前向きな考え方だろうし、あの時はきっと特別な何かがあって一時落ち込んだだけで、きっともう今頃は泣いていたことも忘れて、笑っているのかもしれない。そう、思おうとしたし、実際そうだろうなとも、思えたのに。
 あんな姿を見てしまったせいで。どうしても、忘れられなかった。
 その後は高校受験もあったし、絵も続けていたし、とにかく忙しさの中で「しゅん」はまた少しずつ薄らいでいった。思い出として残ってはいたけれど、思い出すと、この上なく苦い気持ちになるから、あえて思い出さないようにしていた。

 そして、無事に受験を終えた、高校の入学式の朝。名前順に整列していた時、同じクラスの列に並んでいる、ある一人に目が留まった。
 咄嗟に「しゅん」に似てると思った。
 笑顔も、最初に会った時のキラキラしたまま。見れば見るほど間違いないと思った。泣いていた時の、消えてしまいそうな雰囲気は欠片もなかった。
 クラスに戻った時に、名前が「綾瀬 俊」というのを確認。「しゅん」て、「俊」なんだ。最初に思ったのは、それだった。
 奇跡のような偶然に喜んだけれど、綾瀬は、当然まったく覚えてなかった。……まあ当たり前。あれは四年も前のほんの一時。
 オレはまっすぐな言葉に散々心を動かされて、感謝もしてるし、すごく会いたかった。その後泣いていたのも、忘れられない大事件だったから、強烈に覚えていたけれど、対して綾瀬の方は、少し話したオレに似顔絵を描いてもらっただけ。覚えているわけがない。
 でも、なんだか長年の想いが強すぎて。気づくわけのない綾瀬が、当たり前に気づかないのが、どうしても引っかかって、少しだけ避けてしまったのかもしれない。

 普通に話しかけて、「昔河原で綾瀬の絵を描いたことがあるんだよ」と言えば、もしかしたらそのことは覚えていたかもしれない。突然知らない奴に絵を描かれるなんて、めったにないことだろうし。でも、なんとなくそれが出来なかった。
 オレと綾瀬は大分タイプも違う。綾瀬の周りには運動部の元気なタイプの男女が常にいる感じ。毎日、明るい笑顔をみるから、ずっと心配していた気持ちはすぐ消え去った。元気な笑顔を見てるだけで十分だと思った。だから、話さなくても耐えられたのかもしれない。去年、綾瀬と話さなかったのを理由づけするならそんな感じ。

 まわりに派手な奴らがいながらも、綾瀬は、ほんとに誰とでも話す、気さくで明るい奴だったから、多分クラスで綾瀬と話さないのってオレくらいかも、と思っていた。結局、話さずに一年間が終わり、二年になってクラスも別れた。もうこのまま絡むことはないんだろうなと、そう思っていた。

 だから、委員会をすっかり忘れていたあの日。綾瀬が美術部の部室に呼びに来た時は、本当に驚いた。まっすぐに見つめてくる瞳は変わっていなくて、五年ぶりにそれを受け止めた瞬間。どきっと心臓が動いた。
 もう、綾瀬に執着はしてないと思っていたのに。一年間、自分の中で妙な言い訳をしながら、頑なにそれを貫いたのに。一緒に委員会の教室まで急いでいる間も、委員会で隣に座っている間も、なんとなくヤバいなと思っていた。

 それなのに、なんと、一緒に図書室の当番をすることになってしまった。
 その時の気分といったら。嬉しいような、自分の心臓がやばすぎて、無理だとしか思えないような、複雑すぎる気持ち。

 もはや、どうしたらいいか分からないまま、週二回の綾瀬との時間が、始まった。
 綾瀬はやっぱり綾瀬で、ずっとキラキラして見える。普通に今一緒に過ごしているのが信じられないくらいなのに。

 一緒に二人でご飯? かなり躊躇する。思わず、答えを先延ばしにしてしまった。
 綾瀬、オレと二人でご飯って、何か楽しいのかな? 聞けなかったけど、聞きたかったのは、それだった。