「こっち気にしないで、動いても、いいよ」
「え、いいの?」
「うん、大丈夫」

 しばらく黙るけど。

「声は出してても、平気?」
「うん、いいよ」

 了解を出した瞬間、サッカーの仲間たちに、大声で叫んだ、
「かずと、ゆうやをとめろ!」
「しゅん、さぼってるくせにえらそうに言うな! 戻れよ!」
「まだむり!」
「じゃあ黙ってろよっ」
「あははっ」

 なんか、いいなあ。
 本当に楽しそうに笑うのを見て、そう思う。

「なあ、ちゃんと描けてる?」
「うん。描いてる」
「描けたら見て良い?」

 そんな風に聞かれて、え、と「しゅん」に目を向けた。

「そんなの当たり前じゃん。描かせてもらってるのに」
「そっか。んー、人に描いてもらうなんて、なかなか無いから、楽しみ」
「でもオレ初めて描くから、ほんとに下手だよ」

 そう言ったら、少し黙ってから。

「下手でもいいって言ってんじゃん」

 ふふ、と笑う。

「そういうのって、下手とかじゃなくない? 芸術だろ? よく分かんないけど」

 クスクス笑って「しゅん」は明るく言う。

「てかさ。オレ、こないだ旅行に行ったんだけど」
「うん……?」
「そこで、美術館に連れていかれたの」
「うん」
「飾ってある絵、皆、どへたくそだったぞ」
「……っ」

 どんな基準で見てるのか分からないけど、なんだかおかしい。

「有名な絵ばっかりだったらしいけど。全然意味分かんなかったし」

 けらけら笑ってる「しゅん」が面白すぎて、オレは吹き出してしまった。

「あ、笑った」

 嬉しそうに笑いながら、「しゅん」がそう言った。

「え?」

 聞き返すと。

「お前、しかめっ面で、絵描くからさ」
「……」
「笑いながら描いた方が、良くない? って、別に笑わせようとして言ったんじゃなくて、ほんとにどへたくそな絵ばっかりで、あれだったら、オレだって飾られてもいいんじゃないのって思ってさ。何であれが超高く売れるのか、全然分かんなかったよ?」
「絵はそれを認める偉い人がいると、価値が上がるからね」
「だから芸術ってそんなもんなんじゃないの? 自分が好きなの描けばいいじゃん」
「……ん」

 ああ、なんか、オレ、こいつ、好きかも。いいな、こいつと友達の奴ら。サッカーをなんとなく見てただけだって人気者なのはすぐ分かったけど。そばにいると、悩んでるのが馬鹿らしくなるって、すごい。
 久しぶりに、楽しく絵を描いた。似顔絵なんて初めてで、どう描いて良いのかは分からなかったけれど、「しゅん」の楽しそうな表情が描けるようにと頑張った。

「できた」
「え、マジで? 見せて?」
「ちょっと恥ずかしいけど」
「いいじゃん、見せて」

 わくわくした瞳に負けて、おずおずと見せると。

「わー。オレの横顔って、こんな?」
「うん……そう見える」
「いいじゃん、似顔絵! ほんとに初めて描いた?」
「うん、ちゃんと書いたの、初めて」
「絵ってよく分かんねえけど……この絵のオレ、楽しそうだから、嬉しい」

 ほんとにすごいな。どうすれば、こんなに素直に、こんなに明るく、人の心にどんどん入ってくる奴になれるんだろ。不思議。

「これの前に描いてある絵も見ていい?」
「ん……いいよ」

 ほんとは、最近の絵は人に見せたくなかったけど、キラキラした笑顔に、断ることは出来なかった。

「しゅん」は、ぱらぱらとスケッチブックをめくっていく。

「やっぱ、絵ってよく分かんねえけど」
「はは。そっか」

 笑って頷くと、「しゅん」は、ふふ、と笑って、オレを見た。

「お前の絵、優しいから、オレは好きだよ」

 そんな言葉とともにスケッチブックを返してくれた。オレは思わず、スケッチブックを抱きしめた。

「でもさ、楽しくないなら、少し休めば?」
「え?」
「オレね、サッカーが好きで、毎日死ぬほど練習してるけど……どうしても、嫌な時だけは、サボることにしてる。楽しく続けたいからさ」

 うーん、と背伸びをしてから。

「嫌なのに無理矢理やってると、嫌いになっちゃうかもしんないじゃん?」

 そう言って、「しゅん」は、笑った。

「そう、だね。ありがと」
「ん!」

 笑顔で頷いた「しゅん」が立ち上がった瞬間。

「しゅん、そろそろ戻れよ!」

 サッカーの仲間たちが呼び掛けてくる。

「分かった、今戻る!」

 大きな声で返して階段を少し下りた「しゅん」は途中で振り返ると、「じゃあな!」とキラキラの笑顔を残して、走り去っていった。

 それが、最初の出逢い。多分、時間的には、二十分とかそれくらいだった。でもすごく強烈で、オレにとっては何より大事な思い出。

 その後、絵の悩みは、嘘みたいに完全に、吹っ切れた。結局、絵を休むこともやめることも無く、コンクールに出す絵も描けた。モヤモヤを吹き飛ばすために河原に出る必要も無くなったけれど、時間があるとよくあの場所に行った。「しゅん」に会えたら、話したおかげで吹っ切れたこと、その後のコンクールで賞をとれたことを話したかった。
 けれど、サッカーをしてる子たちの中に「しゅん」はいなくて、何度そこに行っても、会うことは無かった。随分経ってから、勇気を出して、サッカーをしてる子たちの一人に「しゅん」のことを聞いてみた。サッカーのクラブチームに入って忙しいから、もう河原には来られない、ということだった。
 じゃあもう会えないんだ。そう思うと、なんだか胸の辺りが痛くて。あんな僅かな時間の「しゅん」が、いつまでも、忘れられなかった。

 その後、「しゅん」を描いたのがきっかけで、人物画も描くようになった。絵の教室で、モデルさんを描くことが多かったけれど、たまに「しゅん」の顔を想像で描いたりもした。大きくなったら、こんな感じかなぁとか思いながら。

 あの出会いで残ったのは、「しゅん」という名前と。忘れられない笑顔と、描いた一枚の絵だった。