綾瀬に初めて会ったのは、小学五年生の終わり頃。絵画教室で何度か来た、川沿いの土手の階段に腰かけて、オレは風景の絵を描いていた。
河原にある広いグラウンドにはいつも小学生がいっぱいいた。絵を描きながら、なんとなく目に入ってくるその中に、一際元気で、声も大きくて、すごく目立つ奴がいた。
その頃のオレは、絵を描くのが全然楽しくなくなっていた。でも、何度も賞を取ってしまっていたから、絵画教室の先生や両親に期待されていて、やめることもできずにいた。
描いても描いても、思うように描けなくて、何でオレは絵なんか描かなきゃいけないんだろうとまで思っていた。気分転換になるかと思って、何回も土手に来て座ってはいたけれど、ちっとも絵は進まなかった。
そんなある時、大きく蹴られたボールが、オレのいる階段の近くまで転がってきた。それを追いかけてきたのは、超目立つ一番元気な奴。話しかけるつもりはなかったけれど、ぼんやりとその姿を見ていた。走り方、カッコイイ奴だよな。すごく速いし。サッカーの何が楽しいのかはよく分からないけれど、見てると、楽しそうだとは思う。
いいなあ、毎日すごく楽しそうで。そんなことを思っていたら、近くに来てボールを手に取ったそいつが、ふとオレを見上げた。え? と、かなりドキッとした。
「なんか、最近よくそこにいるよね?」
突然話しかけられて、しかもよく来ていることを知られていたことに驚いた。
「まあ。……いるけど」
何だろ? 邪魔ってことかな?
「なあ、絵、描いてんの? 見ていい?」
明るく笑いながら、階段を上ってくる。
「え……」
咄嗟に答えられないオレに、ぴたっと止まる。
「見ていい? ダメ?」
「いい、けど……」
なぜだか断れなくてそう言うと、「やった」と、嬉しそうに笑って、オレのところまで上がってきて隣に腰かけた。ボールを膝の上にのせたまま、ひょい、と覗き込んでくる。
「ここの川、描いてるんだね」
「うん、まあ」
「へー。うまいな。オレ、絵、ダメだから」
あははは、と無邪気に笑う。
「母さんがさ、教室に飾ってある絵を見て、オレのが一番ユニークだったって。……ユニークってなんだって感じ。ひどくない?」
楽しそうに話して、オレをまっすぐに見つめてくる。思わず、笑ってしまった。その後も次々かけられる言葉。知らない奴と、こんな風に楽しく話せるって、自分的にはあんまり無い。話しかけられて数分で、こいつってすごいなぁと、感心してしまっていた。
「しゅん、なにしてんだよ?」
一緒にサッカーをしていた仲間が、「しゅん」と呼び掛けて来た。
「オレちょっと休憩!」
「しゅん」は、そう言いながら立ち上がると、抱えていたサッカーボールを、仲間に向けて蹴飛ばした。
「やってて!」
言うと、仲間がボールを受け取って走り去っていくのを確認してから、またオレの隣に座った。もうちょっと、隣にいてくれるってこと、だよな。オレは少し嬉しくなりながら、隣にいるニコニコ笑顔を、不思議な気持ちで見つめた。
「な、座って絵ばっかり描いてると疲れない? 一緒にサッカーしない?」
「ごめん。得意じゃないから」
「ふーん、そっか。じゃあ、お前は絵が得意なの? 絵を描くのが一番好き?」
まっすぐな瞳。こんなにまっすぐに人の目を見て話す奴っていない気がする。
「絵画教室で、才能があるって褒められて……親も乗り気でさ」
「ふーん?」
不思議そうな声を出して、少し沈黙。
「なに?」
「あのさ、そうじゃなくてさ。お前は? 絵が好きなの? 嫌いなの?」
ずばり、そう聞かれてしまった。オレの言葉に純粋に感じた疑問を、ただ言っただけなんだろうとは分かっていたけど。
好きなの? と聞かれて、好きとは言わず、褒められるとか親が乗り気とか、人のことばかり。大事な所から無意識に逃げて答えたのに、ずばり引き戻されてしまった。
特に深い考えなしに、でも、ど真ん中に突っ込んでくるタイプだ。
「オレは……」
「うん」
「最近は、好きじゃない、かも」
「そうなんだ。ふーん。そっか」
そう言って、「しゅん」は、首を傾げた。少しして、言われたのは。
「じゃ、描かなきゃいいじゃん」
まっすぐな、言葉。自分が考えないようにしていたことを、初対面なのに、ずばずば突き付けてくる。
「でも……今度コンクールもあるし、出さなきゃいけないし」
「なんで出さなきゃいけないの? いいじゃん、描きたくないなら休めば」
「……」
「まあ、オレ、絵のこととか、全然分かんないけど。でも、今、嫌なら休めばいいじゃん。ダメなの?」
ダメなわけではないかもしれない。でも……。答えられなくなったオレを、「しゅん」は、じっと見つめた。
「こういうさ、風景みたいなのを描かなきゃいけないの?」
「今まで風景しか描いてない」
それを聞いた「しゅん」は、いいことを思いついたとばかりに、ぱっと明るく笑った。
「気分転換にオレのこと描いてみる?」
「え?」
「どう?」
「オレ、人、描いたことないんだけど……」
「じゃあ余計いいじゃん! 描くなら、オレ、ちゃんと、サッカー、抜けてくるけど?」
「うまく描けないと思うよ?」
「絶対オレよりはうまいって。というか、別に下手でもいいし」
「――描いてみようかな」
勢いとキラキラの笑顔に負けて、オレが言うと、さらにぱっと明るく笑う。
「じゃ抜けてくる! 待ってて!」
飛び切りの笑顔で言うと、一緒にサッカーをしていた仲間の所に走っていって、少しして戻って来た。
そしてオレは、風景しかないスケッチブックに、初めて人を描き始めた。まっすぐこちらを見られていると恥ずかしいので、横顔を描かせてもらうことにした。