「走ってこなくてもいいのに」
「うん、でも……あ、今まだ誰もいないんだ?」
「そ」
「そっか、じゃあもう少しゆっくり来てもよかったね」

 苦笑いの綾瀬に「お疲れ」と言いながら、手に持っていた最後の返却本を棚に戻した。

「これで返却も終わり。少し休んで?」
「あ、ごめん、一人でさせて」
「大丈夫だよ」

 綾瀬は、ありがと、と笑ってから、誰もいない図書室を見回して、ふー、と息をついた。

「じゃあ、こないだの続き、読んでいい?」
「もちろん、いいよ」

 カウンターの横の棚に置いていた読みかけの本を手に取って、綾瀬は窓際の机に座った。

「九条も読もうよ」
「ん」

 適当に本を選んで、綾瀬の前の席に腰かける。しばらくの間、黙って本を読んだ後、ふと綾瀬が顔を上げた。

「なあ、九条?」
「ん?」
「九条が薦めてくれる本って、みんな面白い」

 そんな言葉に、内心とても嬉しくなってしまうが、めちゃくちゃ喜んだ顔をするのもどうかと思って、何気なく、綾瀬を見つめ返す。

「まだ最初だから、わりと有名な本を薦めてるだけだよ」

 そう返すと、綾瀬は首を振って、笑った。

「それだってさあ、こんだけ本がある中で、選んでくれてるんだろ? やっぱりすごい」
「気に入ってくれてるなら、良かった」
「うん。本って、面白いんだな。もっと読んでくればよかった」

 そんなことを言いながら、また静かに読み始める。テンションの上がりにくいオレを、こんなに嬉しくさせるとか。すごいなと思ってしまう。

「――……」

 本の文字をたどるために伏せられた瞳と、長い睫毛を、なんとなく見つめてしまう。
 ほんと綺麗な顔。……昔も、可愛い顔はしてたけど。
 綺麗に成長したなあ。性格も、まっすぐなところは変わらず。よくここまで、ルックスも中身も、綺麗なまま成長できたなぁと感心してしまう。
 しばらく本を読んでから、ふと顔を上げた。何人か来室しているが、今日はまだ貸し出しカウンターに人が来ない。図書室は奥に長くて、何人か座っているのは見えるけれど、皆静かなので、まるで綾瀬と二人きりのように静かな空間だった。
 綾瀬とこんな風に過ごすとか……嘘みたいだな。
 初めて会った小学五年の時の綾瀬の、キラキラした笑顔が、目の前の顔にふっと重なる。再会できるとは思わなかったし、再会してからも、こんな風に過ごせるようになるなんて思わなかった。

「お願いしまーす」

 貸し出しカウンターの方から、女子の声。

「あ、オレ行ってくる」

 そう言って立ち上がり、綾瀬が急ぎ足でカウンターの中に入ると、待っていた女子二人が、綾瀬だということに気付いたのか、きゃあきゃあ言い始める。

「綾瀬先輩、ですよね?」
「うん、そーだよ」

 ほんと人気あるよな。女の子たち、嬉しそう。慣れっこなのか、綾瀬は普段通りだけど。

「じゃあ一週間後までに返しに来てね」

 ピッピッとバーコードリーダーを操作する音と共に、綾瀬の声がする。

「先輩、図書委員なんですね」
「うん、そう」
「意外ですねっ」
「どーいう意味?」

 ツッコむ綾瀬に、女の子たちの笑う声。

「なんでもないですよ、先輩がいてくれて嬉しいです」

 そんな言葉に、綾瀬は笑いながら、「意外、だけどね?」と言った。するとまた、キャッキャッと笑う女子たち。少しの間、楽しそうに話して、その子たちは図書室を出て行った。バーコードリーダーを元の位置に置いて、綾瀬が戻ってきた。

「操作、もう大丈夫そうだね」
「うん。九条先生の教え方が良かったから」

 頷いてそう言いながら、綾瀬はオレの前に腰かけた。

「図書委員、意外ってまた言われたよ」

 綾瀬は、クスクス笑ってる。

「今の子たち、知らない子でしょ?」
「うん、初めて見た」
「知らない子と、よくあんなに楽しそうに話せるね。ほんと、すごいと思う」

 思ったままを口にすると、綾瀬は一瞬黙って、それから、ぷっと笑った。

「綾瀬先輩って呼んでたからオレのことは知ってたしさ。話したって言っても、世間話だし」
「それでもオレには無理だなと思って。すごいよ」
「そう? ……でも九条はそれでいいじゃん」
「それでって?」
「別に、色んな人と軽く話せるから偉いわけじゃないし。九条は、適当に話すんじゃなくて、すごくちゃんと話してくれるし、それで良いと思う」

 こっちが嬉しくなるようなことを、自然な口調でさらっと言う、綾瀬。

「綾瀬のそういうとこ、ほんとイイよね」
「そういうとこって……色んな人と話せるとこ?」
「まあそれもだけど……それだけじゃなくて。今みたいに、それでいいじゃんとか言ってくれるところ」

 そう言ったら、綾瀬は、少し首を傾げた。

「こういうこと、今初めて言ったのに。そんな風に、イイとか言っちゃう?」

 綾瀬はクスクス笑ってる。

「うん。……綾瀬のすごく良いとこだよね」
「はは。ありがと。なんか照れるけど」

 そんな会話をして、また本を読み始めた。
 ……ほんと、すごいよな。昔会った時と、変わらない。明るくて、太陽みたいな笑顔と、前向きな言葉。