九条がバトンを受け取って、いきなり本気で走り出す。

「九条、速い!」

 誰かがそう叫んだ。三位の九条が二位との差をどんどん詰めていく。
 追い越せ……! 
 祈った瞬間、九条はいとも簡単に追い越して二位になった。周りがわっと歓声をあげる。抜かれた緑団も、巻き返せとばかりに声援を送る。けれど九条はすごく速かった。二位を引き離し一位に迫る。あと少しで抜くという所で、アンカーにバトンが渡った。ほぼ、同時。バトンを渡し終えた九条がトラックの中に立ち止まり、アンカーを見送りながらぐいと額の汗を拭ってる。
 九条……ああなんかもう……マジで、カッコイイな。
 ……って、オレ、あほか。そんなこといってる場合じゃ……。
 すぐに振り返る。赤の堀越が一位になった。
 そりゃそうだ。陸上部の短距離エースだ。ほぼ同時にバトンをもらったら、堀越が勝つに決まってる。

「堀越、行け!」

 叫ぶ。周りも、叫んでる。ゴールにどんどん近づいていって、堀越が白いテープを切った瞬間。空砲が鳴り響いた。続けてすぐに二位が駆け込む。三位、四位と駆け込んだ所で、空砲が鳴り響いた。

「ただ今の順位を発表します」

 間を置かず、放送が流れる。

「四位黄団! 三位青団! 二位 緑団! そして一位は、赤団です!」

 言われた瞬間、赤団の歓声。立ったままだった九条は、周りの皆に、もみくちゃにされている。

「俊!」

 飛びついてきた大介を抱きとめ、「やったな」と笑う。こちらもまた、皆でもみくちゃになりながら。また次の放送で整列して、走りながらの退場になった。

「ただ今得点を集計しています。生徒の皆さんは、水分補給をして、応援席でしばらくお待ちください」 
 またアナウンスが流れる。しばらく時間があると思って、ぐる、と見回す。九条を見つけて駆け寄った。

「九条!」
「っと……綾瀬」

 思わず、抱きついてしまった。

「九条、すごい! 多分、春の二倍くらいのスピード出てたと思う!」

 周りで笑いが起こった。大介と堀越も来て、九条にめちゃくちゃ笑顔。

「ほんと。よく追い越したなー! 俊もびっくりだよな!」

 大介の言葉に、ほんとすごい! とオレは返す。 
「お前、美術部やめて、陸上に来たら?」 
 堀越の冗談とも本気とも取れる言葉に、苦笑いして、「考えとく」と九条が言う。

 なんか……本当に、別人みたい。

 小五の時の九条、顔は正直覚えてない。目立たない感じ。絵を描くことに悩んでいたみたいで、はっきりしない返答。でも、周りの期待に応えようとしてる優しいとこ。そういうのは、話してて、なんとなく感じた。
 高一の時の九条は……多分少しはオレを避けていて、全然話していなかったせいもあるけど……そんなに思い出がない。でも、小五の時のイメージと、高一の時のイメージは、一緒。髪がもっさりで黒縁の眼鏡で、なんか顔立ち、分からなかったし。ずっと、九条のイメージは、おんなじ。物静か。優しい感じ。目立たない。

 それが……今目の前で笑う九条は、全然違う。もともと背は高いし脚も長いし。声も、静かだけれど良い声で、話し方も優しくて良い感じだった。でも、なんかもうここまで、カッコよく変わっちゃうと、記憶の中の九条は、どんどん薄れていく。
 もともと絵で有名な奴が、イメチェンして、完全イケメンの仲間入りをして。お世辞にも速いとは言えなかったのに、一人で筋トレして、一緒にジョギングして……あの大事な場面で一人追い越して振り切って、一位に並ぶとか。もう、劇的にカッコよすぎて。なんだろう。どんどん、別人になっていくみたいな感覚。周りの評価はもはや全然違う。

 オレといてくれた九条はいなくなっちゃうのかな、と、妙なことも浮かぶ。短い間にいろいろなことが頭をよぎっては消えていく。
 でも、確かなのは、ひとつだけ。九条を見てると、ドキドキするってこと。

 どうしよう。オレ。もう絶対……九条のことが、好きだ。

「……綾瀬?」

 九条が、不思議そうな顔で、オレをのぞき込んできた。

「……え?」
「どうした? 大丈夫……?」

 優しい、瞳。……胸が、痛い。
 やば。……かあっと赤くなった、と思う。 
「生徒の皆さん、着席してください。得点を発表します」

 そんな放送が流れた。
 助かった。顔をそらして、九条から離れようとした瞬間。ぐい、と腕を掴まれた。

「……綾瀬?」
「……っ……」
「なんでそんな顔して……」

 ますます熱くなる。九条と見つめ合う。何も答えられないで間が開いて。

「俊、着替えに行くぞ、早くー」

 大介の声がした。反射的に、九条の手を振りほどいて、振り返る。

「ごめん、仮装、行ってくる」
「綾瀬」

 すぐに呼び止められる。なんとか振り返って、九条と目を合わせた。

「あとで話そう、綾瀬」
「……ん……」

 小さく頷いて。九条から離れて、大介の元に駆け寄る。ドキドキした胸を押さえながら、黄・緑・青の団長副団長と揃って、皆で更衣室へと急ぐ。

「今んとこ、赤が勝ってるよな?」
「リレーの点がでかいもんな」
「綾瀬、速すぎだろ。あと、あいつ。九条」
「あいつ、去年のリレーん時、すげえ遅かったイメージあるんだけど」
「あ、オレも! 背が高いのに遅いと目立つよな。オレもそんなイメージある」 
「……九条、走り方知らなかっただけだから。トレーニングもしてたし」

 オレが言うと、皆、「でもあれで運動までできると、なんか完璧すぎて嫌かも」とか言って、大介が「やっかむなよ」と笑ってる。

「早く着替えようぜ、時間ねえし」

 各団別れて、仮装の衣装に着替え始める。

「……俊?」
「……え?」

 なんだか珍しく大介に、静かに呼びかけられて、じっと見つめ返すと、大介は苦笑。

「どした、ぼーっとしすぎだろ。リレー終わって力抜けたか?」
「あ。……ううん、大丈夫。着替えよ」
「んー、なあ俊、いっこ提案があるんだけど」
「ん?」
「オレが、そっち、着る」
「……え。マジで?」
「その方が盛り上がると思わん?」
「盛り上がるというか、悲鳴なんじゃ……」

 苦笑いで言うと、大介は笑いながら。

「いいから、はい、逆!」
「入るー? 破んないでよ?」
「大き目のフリーサイズだから、入る!」

 楽しそうな大介に、ふ、と笑いながら、衣装をチェンジした。