そして体育祭まで残り一か月を切った頃、校庭で団に分かれてそれぞれ集まる日が設けられた。
短距離走、大玉転がし、ボール運び、ダンスなど、いろいろな競技がある。
この学校の体育祭はかなり重視されてて、一時体育祭だけのために学校があるみたいな感じになる。去年もそうだったが、オレたちは一年だったし、特にオレは大玉転がしに出場してなんとなくで終わったしあんまり頑張った記憶はない。
まあ全体リレーで走ったのはものすごく遅かったと思うけど、別に特に誰にも期待されることもなく、なんとなくやり過ごしたはず。……というか、オレは、体育関係は今まで全てなんとなくでやり過ごしてきたし、頑張ろうとも、してこなかった。
選択制の、出たい競技に各自挙手して、それぞれ規定の人数で埋めていく。
綾瀬の指示は的確で、速やかに各自の競技が決まっていって、同時にダンスは全体競技なので、得意なメンバーをリーダーにする話も決まっていった。残りはリレーのことだけ。全体リレーは体育祭の最終競技。全校生徒が走る。一番盛り上がるし、順位で入る得点も高いので、大逆転で優勝、なんてことも起こりうる大事な種目だ。
各団、それぞれ持ち時間十五分で、走順を決めることになった。ちょうど丸くなって座ったのが綾瀬の近くだったので、よく話が聞こえた。綾瀬と佐原が、運動部の元キャプテンの三年たちと話している。
「一学期に体育で計った百メートルのタイムでまず、並べてみますか?」
「だな」
綾瀬の言葉に、三年たちが頷いた。
「トップは綾瀬が走れよ。団長がトップで一位だと、士気上がるし」
三年に言われて、綾瀬も頷く。
「じゃ、オレ、トップで。二番目、三番目も引き離したいんですけど……」
「じゃあ、吉田と石津でいいんじゃねーか」
「そしたら、アンカーは、もう、陸上部の短距離エースの堀越でいいですか? あとは、速めの奴、間と最後の方に入れて」
「そうだな、とりあえずそれで、一回目、走ろうか」
三年の先輩たちと、綾瀬の話がスムーズで、四つの団の中で、一番早く走順が決まった。
さすが。……スムーズ。
本当に、こういうの、向いてると思う。「あと十分で一回目やるぞー」と、先生たちの声が飛んでくる。
何とか順番に並んだ各団、配置について、第一回のリレーが始まった。
赤団の第一走者は、綾瀬。
先輩に「あんまり本気で走んなよ」とか言われてた。なぜかと言うと、「本気」は本番に取っておきたいからだそうな。それでも走り始めた綾瀬は、めちゃくちゃ速い。
速い奴って他にもたくさんいるんだけど、綾瀬はもう、誰よりも速そうに走る気がする。
あんな風に走れたら気持ちがいいだろうなと思うレベル。
オレがど真ん中辺りで配置されたのは、春のタイムが遅めだからだろうけど……。
どうなんだろう。筋トレと、綾瀬とのジョギングを始めてから、少しは走るのにも慣れて、今少しは速くなったような気がしているけど。とにかく、追い抜かれないように頑張ろう。
ドキドキしながら、バトンを受け取って走り出すと、多分、人生で一番軽く走れたような気がした。
相手が女子だったし遅かったのかもしれないけれど、人生で初めて、走って人を追い越すという体験をした。
多分周りの皆にしたら、追い越し追い越されを散々見ているし、オレが追い越したっていうことくらい、大したことじゃないんだろうけど……。走り終えたオレは、高揚感でいっぱいだった。
各団とも、バトンを落とすことが何回かあって、走りと言うよりそういうので順位が決まったような、第一回だった。赤団は三位。リレーが終わると、全校生徒での体育三時間が終了。皆、教室に戻り始めた。オレも、隣にいた優真と歩き出した時だった。
「九条!」
綾瀬の声だ、と思った瞬間、前から走ってきた綾瀬に、ぴょん、と抱きつかれた。
「ぅわ?」
なんだなんだ、と思ったら、すとんと降りた綾瀬の笑顔が目の前に。
「九条、追い越したじゃん! あの子結構速い子なんだよ! すごい」
さっきからオレは内心一人でとても嬉しかったけど、それをもう、こんなに満面の笑顔で来られると、可愛くてしょうがないとオレが思っても、もう仕方ないと思う。
「九条の走り順番、もっと考える。今日見たのでいろいろ作戦立てないと……」
何かメモってたみたいな紙を見ながら、綾瀬がまた嬉しそうにオレを見上げる。
「な、走り方って習ったことある?」
「走り方?」
「うん。速く走れる、走り方」
「ないよ」
「皆無いのかなあ? 陸上部くらいかな。走り方をちゃんとすれば、誰でもそれまでよりはかなり速くなるんだよね……」
んー、と考えてた綾瀬が、「大介!」と呼びながら佐原のところに走る。
「赤団、走り方教室開こう? あと、バトンパスの練習も、希望者参加で」
「え、いつやんの?」
「明日から二時間目後の休み時間に、毎日」
「了解、希望者ね。触れ回ろう」
そんな会話を聞きながら、なんとなく優真と顔を見合わせる。
「ほんと、なんか、強烈、な?」
クスクス笑う優真に、そうだね、と笑ってしまう。
翌日の休み時間から、練習が始まった。
初日は十数人、けれど、三日目には、かなりの人数が参加。
なんなら、こんな面倒くさいことを言ったら、普通は引かれそうなことだと思うのに、それをやるのが綾瀬だと、皆が集まってくる。本当にすごいなーと日々感心してしまう。
数日練習して、参加者全員のタイムを計ることになった。春に体育で取ったタイムと比べてみるらしい。
綾瀬も、陸上部の皆も、全然厳しくなくて、むしろこんなんで良いのかというような、楽しい雰囲気での練習。腕の振り方、脚の上げ方、姿勢と、視線の向き、そんなことを直していくだけ。それで、一体どれくらい早くなるんだろうと 半信半疑だったけれど。
「九条、ゴールで見てるから」
スタート地点のオレに、綾瀬がわざわざ走り寄ってきてそう言った。思わず苦笑い。
「そんなに見てなくていいよ」
「見てるって。ゴールで待ってるね」
言って、ゴール地点に向かって、走っていく。
綾瀬みたいに、あんな風に走れたら……軽やかで、見るからに、速い。
綾瀬との夕方のジョギングと、ここ数日の練習。綾瀬が走る姿は、目の奥に焼き付いている。
……あれが、見本。とりあえず、頑張ろう。
四人ずつ並んで走り出すと、なんだか体が軽い。
綾瀬の走る姿を追いかけるようなつもりで駆け抜けた。ゴールにいた綾瀬が、走り終えたオレを、驚いた顔で見つめた。
「え、今すごく速くなかった? 九条のタイムは?」
「十四秒六」
タイムを取ってた堀越も、驚いたように顔をあげた。
「マジで? すっごいな、九条」
わーい、とばかりに嬉しそうな笑顔で、綾瀬がとびついてきた。
「三秒縮めるってマジですごい!」
「前回が遅すぎたっていうのがあるけどね」
「そんなことないってば! てか、他の皆もタイム、大分縮んでるよね」
綾瀬の言葉に、タイムを計り終えた皆が、笑って返す。
「じゃあ後は、バトンパスの練習しよ!」
そんなこんなで、毎日は、とても慌ただしく過ぎて行った。