美術室に入り、そのままばたんと閉めたドアを背に、しゃがみこんだ。
 今日はもう誰も残っていなくて、一人でちょうどよかった。
 ヤバい。
 ……嫉妬で燃えることがあるなら、さっき、燃え上がって炭と化してた、と思う。
 カッコよかったと聞いてはいたけれど、確かにほんとに目立つイケメンで、どう見ても、綾瀬に好意があって。
 試合中、敵チームなのに、なにやら声をかけて、綾瀬に、触れる。
 肩をぽんと叩いたり、最後に近づいてきた時は、綾瀬の髪を撫でたりした。
 綾瀬が泣いてる時に、一人にしたくせに。……そう思ってしまった。
 綾瀬のあの、隠し事のできないまっすぐな瞳に見られて、綾瀬の好意を知らなかったなんて、絶対言わせない。中二だからって、綾瀬の好意くらい、分かったはずだ。絶対知ってたはずだ。
 もし、気持ちに気づかないほどの鈍感野郎なら、迷惑だから、さらに綾瀬に近づくなと思う。
 サッカーもやめて、あいつと会えなくなる、あの日。あんなにきれいな夕日の下で、吸い込まれて行ってしまいそうな、あんな綾瀬を作ったのは、あいつだ。
 なのに、無神経に触れて、無神経に、遊ぼうと言った。限界。焦れて(じれて)、さっきの態度になってしまった。綾瀬はオレのだから。そう宣言したかったけど……それは、出来なかった。だって、オレのものでは、ないから。
 綾瀬は否定したいのかもしれないけれど……果てしなくむかつくけれど、おそらく、間違いなく、初恋の相手。
 触れられて誘われて、喜んでるのかもしれないと、思いながらも、嫉妬で、我慢できなかった。

「……オレ……ヤバいな……」

 はあ、と、深いため息をつく。それからしばらくの間、そのまま自分の気持ちを整理していた。
 これは、友達を思う気持ちなのか。いろいろ力をくれた、恩人を思う、気持ちか。
 それとも、そういう意味で好きなのか。今までもずっと頭の片隅で考えていた気がする。
 言葉にしてはいけない気がしていたけど。
 ……さっきのは、明らかに、嫉妬だ。
 綾瀬は、オレのだ、なんて、そんなおかしセリフが先走りそうになった。

「綾瀬……」

 そういう風に考えないようにしていただけで、横顔を描いたあの日から、オレの中にはずっと綾瀬がいた。
 泣いてるのを見てからも。高校で再会してからも。
 話せない間も、一緒にいるようになってからも。
 何度も何度も、新しい綾瀬を知るたびに、好きな気持ちが強くなって……もうこんなの、まるで、何度も、恋をしてるみたいで。
 息をついて、立ち上が、窓際に寄った。
 グラウンドの真ん中にはサッカー部の姿はもう無い。片付け中かな……そう思った瞬間、小さくノックの音がして、ドアがそっと開いた。

「九条……入っていい?」
「いいよ。もうオレ一人だから」
「オレも。サッカー部も解散した」

 中に入ってきた綾瀬は、鞄を入り口のところに置いて、そのまま窓際まで歩いてきた。

「そっか、お疲れ」
「……ありがと、さっき」

 照れたように笑う綾瀬を見つめて、オレは少し肩を竦めて見せた。

「少し言い過ぎたかも……大丈夫だった?」

 綾瀬は、うん、と頷いてから、微笑んだ。

「なんかすごく、嬉しかったから、大丈夫」
「……なら良かった」
「昨日から、ずっと、嬉しい」
「……そっか」

 綾瀬が一瞬黙ってから、
「…………オレも、九条のことが、好きだよ。一緒に、いたい」

 まっすぐな、瞳。

「どういう、意味……?」
「……全部、ひっくるめて」

 昨日のオレと、同じ言葉で告げてから、綾瀬はクスクス笑った。

「九条……あの、もう少しこのままの、好き、でいい?」

 変な質問だけど。
 ……何が言いたいかは、オレには痛いほど分かった。

「いいよ。……ゆっくりで、いいよね?」
「……ん」
「オレ、一番好きなのは分かってる」
「……うん。オレも」 
 ふ、と微笑み合う。多分、同じ気持ちなんだと思う。そんな気がする。お互いが好き。でもまだ、これが恋かどうかの確信が持てないというのか。このままでも、すごく幸せな気もするというのか。

「……綾瀬、今だけ。手、貸してくれる?」
「手?」

 綾瀬が手を差し出してくる。それを、きゅ、と繋いだ。

「……何か繋ぎたくて。……良い?」

 綾瀬が、少し恥ずかしそうにしながら、クス、と笑って。手を握り返してくる。

「夕日。綺麗だね……茜色、てこんな感じかなあ……」
「うん」
「……オレが河原で泣いてた時も、こんな感じの空だった」

 そう言われて、あの時の空を思い浮かべる。確かに、こんな感じだったなと思った時、綾瀬がオレを見上げた。

「さっき、カッコよかった。九条」
「……嫉妬だから。カッコ良くないよ」
「カッコよかったよ」 
 二人で顔を見合わせて、笑い合う。

「あのさ、綾瀬」
「うん?」
「……また、人物画のコンクールがあるんだけど……」
「うん」
「……オレ、綾瀬を描きたい」

 そう言いながら、手をきゅ、と握ると、まじまじと、見つめられる。

「女の子の方が、いいんじゃないの……? 絵のモデルって」
「……決まってないよ。……オレ、ずっと、綾瀬を描きたかった」

 そう言ったら、綾瀬は、ぱちぱちと瞬きを繰り返して、答えに困ってるみたいだった。

「あ、もちろん絵のモデルとか、嫌だったら無理しなくていいんだけど……」
「やる」
「……いいの?」
「ん……九条に見られて描かれるの恥ずかしいなと思ったんだけど……でも、描いてほしいって思う」
「ほんとにいい?」
「うん。カッコよく描いてよ?」

 にこ、と笑うのが、可愛い。

「当たり前」
「……モデルって、どれくらいすればいいの? サッカーが無い日だけで平気?」
「去年、白石を描いた時は、週一で、なんとか描いたよ」
「……サッカー部のない日なら、いつでもいい。週二でも。それ以上でも」

 笑顔で、そう答えてくれる。

「ありがとう」

 そう言うと、綾瀬は、すごく嬉しそうに微笑んだ。初めて繋いだ手を離さずに夕日を見ながら、とりとめもめなく、話をした。