翌日の土曜日。
昨日はあの後、ちゃんと食べて、ちゃんと早く眠れた。体調は、万全。
十時集合で学校について、準備運動とシュート練習などをしてから軽食をとる。
九条は午前中から美術室で絵を描いてたけど、午後になってからグラウンドを見下ろせる階段に来てくれた。それに気づいて、オレは九条のところに駆け寄った。
「九条、ご飯食べた?」
「うん、今美術部の皆と食べてきた。最後まで、試合見てるから」
「うん。ありがと」
練習試合は十四時開始。グラウンドの整備やラインの引き直しなどの試合準備をしていると、孝紀のいる相手校がやってきた。昨日まではあんなに憂鬱すぎた孝紀との再会が驚くほど普通にできて、自分でもびっくりした。視線が合っても笑顔で頷いて返せたくらい。九条がいてくれるから、というのが、すごく大きかった気がする。
試合前は、孝紀と個別に話すような時間はなくて、相手校のウォーミングアップを待って、試合開始。
孝紀は速いし、うまいし、さすが。でも、別にサッカーは、一人の競技じゃない。ギリギリの勝負で、一点ずつ。同点で試合が終わった。今回の勝負は、引き分け。試合終了して、九条に目を向けたら、九条は嬉しそうに笑って頷いてくれた。
挨拶をして、自分たちの陣地に戻ったところで強豪校に負けなかったってことで、皆大喜び。
相手校が帰る準備をしている中、オレたちはグラウンドの整備を始めた。グラウンドの端で片づけをしていたオレのところに、九条が来てくれた。
「九条!」
思わず、抱きついてしまった。
「同点だったよ。 負けなかったの、すげえ嬉しい」
「ん、ずっと見てた。やったな」
よしよし、と頭をポンポンされてしまったところで、はっと気づく。さっきまで皆と喜び合って抱き合ってたのに、九条とだとなんだかやたら、恥ずかしい。九条からそっと離れた所に、孝紀が駆け寄ってくるのが見えた。一瞬、緊張したのが、自分で分かった。
「俊!」
相変わらず、超目立つイケメンだなと、オレの名を呼んだ孝紀を見て、思う。
「お前、すごいうまくなってるじゃん」
くしゃくしゃと、オレの髪を撫でてくる。
……そうだ。こういうこと、する奴だったっけ。でも、九条の前ではしないでほしいととっさに思った。
「もったいないよな、一緒に続けられなかったのが、ほんと残念……」
「……うん、ありがと」
まっすぐ、孝紀を見上げる。
ほんとイケメン。あの頃もだったけど。モテるだろうな、これは。なんて思っていると。
「俊、今度久しぶりに遊ばないか?」
「え。……あーと……」
久しぶりに顔を見て話して、すぐ分かった。
あの頃はもしかしたらそうだったかもしれないけれど、今はもはや恋ではない。自分でもちゃんと分かって、ほっとした。だったら、友達として遊んでもいいのだろうか。
でも、頭を撫でられるのは、ちょっと……。
それに、九条に、孝紀と遊んでるって思われたくないと思う自分がいる。どう断ろうかな、と困っていたその時。九条の手が、オレの手首をつかんで、少し引いた。
「え?」
驚いてオレは九条を見上げた。九条はまっすぐ孝紀を見つめていた。
「あいにくだけど……綾瀬は今オレと遊ぶのが忙しいから、無理なんだ」
「九、条……?」
「あと、綾瀬の頭、撫でるの、もうオレの役目だから」
言いながら、九条が、オレを見下ろす。
何を、言ってくれちゃってるんだろう……。
続けて、さらに、オレを一歩、自分の方に引き寄せてから、孝紀に向かい合うと。
「お前、綾瀬の気持ち、知ってたろ? 悪いけど、もう、綾瀬に関わらないで」
言葉の調子は穏やかで。表情も笑顔。でも、有無を言わせない目線で、九条が言い切る。
「なに……」
見知らぬ九条の不意打ちに、続く言葉が出ない孝紀。
「……九条……」
オレが呼ぶと、九条はオレを見つめた。瞳が合うと、とくん、と胸が揺れる。
……あ、まずい、な。これ。
「俊、こいつ何……」
「え? ……あ、あの……友達……」
「友達って……」
どうしよ。九条に、すごくドキドキする。
九条がカッコよく見えて。孝紀の質問にもうまく対応できないまま、優しい九条の瞳を、見上げていると。
「……分かった。また……試合、あったら、今度は勝つから」
言った孝紀に、オレは、うん、とだけ頷いて、別れた。
その後ろ姿を見送ってから、九条は、オレの手首をそっと離して、急に不安げな顔でオレを見つめた。
「……オレ、余計なことしてない、よな?」
そんな風に聞いてきた九条に、ふ、と微笑んで頷くと、ほっとしたように、九条が微笑む。
とくん。
とくん。とくん。
心臓が、いつもと違う速さで、動いてる。見上げると、優しい瞳。さらに少し、鼓動が早くなる。
昨日、九条が何回も言ってくれた通り。
オレは、欠けては、いないのかもしれない。
欠けてないオレの、こんな想いが、九条に向かったら……それが、どうなるかは分からない、けど。
「綾瀬、オレ、美術室行くから。まだ片付けとかいろいろあるもんな?」
確かに、片付け中なので、そろそろ注意されそうな気がする。
「うん。……あとで、寄っていい?」
「もちろん。じゃな」
笑顔で、離れていく九条。
……髪型と、眼鏡を変えて。かっちりしすぎてた制服を少し、崩した。
それだけで完全にイケメン認定されて……大人しいんじゃなくて、落ち着いてるんだとかも、皆が知った。
カッコいい、頼りになる、という意見が増えて、いつの間にか男子も女子も、皆が、九条と話すようになった。周りの、九条を見る目が、どんどん変わっていった。まあそもそも、もっさりした髪形で、あの黒縁眼鏡をかけている時だって、何回も賞を取ってる「芸術家」みたいな好意的な目を向けられてたわけで。それが実は、結構なイケメンで、ふと気づけば、背も高くて。優しいし。落ち着いた話し方も、女子には人気だし。
いじらなきゃ良かったな。
前のままでも、オレ、好きだったし、なんて思う。でもそれは、自分勝手な思いなのだけど……。
「俊、九条、来てたんだな」
「うん……来てた」
「ほんと、仲良いな」
理央にクスクス笑われる。
「……仲いい、かな」
「仲いいでしょ。昨日だって、俊が倒れた時の九条、すげえ焦ってたし。大事なんだなってすげえ思ったんだよね」
「――――……」
そっか。嬉しいな、と思ってたら。
「……で。惚れた?」
「もう、何で理央はいっつもそれ言うんだよ」
「だってお前さ、すごくモテるのに誰とも付き合わないし。……最近は、九条へのこだわりが半端ないし?」
「……え、オレ、半端ない?」
「自覚ないの?」
「…………」
「……まー、なんにしても、オレは俊の味方だから」
「ん。……ありがと」
なんだかもはや、否定する気も起きず、礼だけ言って、話を終えた。