思い出すだろうか。……絵を見て、思い出してくれるだろうか。

 オレはポケットからスマホを取り出して、誰にも見られないように下の下のフォルダに隠してある写真をたどる。中学でスマホを初めて持った時、最初に描いた綾瀬の絵を写真に撮って保存した。煮詰まりそうな時は、いつも眺めて助けてもらってきた。
 自分にとっては大事なその絵を、綾瀬は、覚えてくれているだろうか。
 忘れてても仕方ないと思いながら、忘れられていたら悲しいし、今までは見せようなんて思わなかった。でも、綾瀬が覚えていなくても、話せばいいかとなぜか急に思えて、その絵の写真を、綾瀬に差し出した。

「よく見てみて?」

 画面を見て、綾瀬は首を傾げる。

「……オレ? ……じゃないか、男の子か……って、オレ……?」

 手を唇に当てて、眉を寄せて。

「……待って、なんか見たこと……」

 数秒後。はっとした顔をして、急に、オレをまっすぐ見上げた。

「……土手の階段で……絵、描いてた奴……?」

 綾瀬の口から、そう漏れた瞬間。オレは、綾瀬をまた抱きしめてしまった。

「う、わ……」
「綾瀬……」

 綾瀬はめちゃくちゃ驚いてるけど。
 だって、すごく、嬉しかった。

「九条ってば……」
「覚えててくれたんだ」
「……覚えてるよ、話したこととかも、結構覚えてる。絵描くの楽しくないのに、仏頂面して、絵描いてた、変な奴」

 綾瀬は、クスクス笑う。

「なかなかいないし、あれ、五年の終わり頃だから普通に記憶も残ってるよ。オレ、あの日が、あそこでサッカーできる最後の日だったからさ。何日か前から、そこで変な顔して絵描いてる奴に、最後に声かけたんだもん」
「……」
「だから、すごく覚えてるよ。覚えてるけど……あれ、九条だったんだ……」
「うん。オレだった」
「座って絵を描いてる奴と話したのは覚えるけど、顔とかは覚えてなくて、全然分かんなかった……九条は、オレのこと、いつ分かったの?」
「入学式で並んでる時に、気付いた」
「え、じゃあなんで、話しかけてくれなかったの?」
「……だって、綾瀬、全然覚えてないから」
「あのことは覚えてたけど、あの子と九条が繋がらなかったんだよ。仕方ないじゃん?」
「……それも、分かってたよ。オレは綾瀬の顔を見ながら絵を描いたし、だから覚えてるけど……横顔を描かせてもらったから、その間、綾瀬はこっち見てもなかったし」
「あ、そうだ。横顔だもんね」
「……分かってたけど、なんていうか……中途半端に関わるなら、関わらないほうがいいと、思った、のかも……」

 そっか、と綾瀬は呟いて、少ししてから、はっとした顔でオレを見上げた。

「ってことは、九条とオレが、去年話さなかったのって、やっぱり、九条が避けてたってことになるじゃんか」
「……あー、まー、そう……かな」
「九条、けろっと嘘ついたなー?」

 むー、と睨まれるけど、もう苦笑いしか浮かばない。 
「別にすごく避けてたんじゃないんだよ。席が近ければ話しただろうし、無視する気なんかなかったよ。……でも、びっくりするくらい接点がなくて、そのまま一年過ぎちゃったってのが正しいかなあ……」
「……っっ」
「まあ積極的に話しかけにはいかなかったけど……オレのこと全然覚えてない、綾瀬みたいなキラキラした奴に、オレがそんなこだわってるみたいなこと、言えるわけないでしょ?」
「っ……にしたって……」
「……ごめん」
「……でも、オレ、去年も九条と話したかったのに。一年、無駄にした気がするし」
「…………」

 ……神様。
 ……何だっていうんだ。ほんと。……なんで、こんなに可愛いの、綾瀬。
 胸が、ぎゅっと掴まれたみたいで。思うままにするなら、抱きしめて、離したくないとか、思ってしまう。

「綾瀬……もうひとつ言っとくね」
「ん。何?」
「その後、オレ、一回だけ、綾瀬のことを見た」
「え、いつ?」
「さっきの話の……綾瀬が泣いたのって、あの階段でだろ」
「え」
「夕日がすごくキレイな日。階段に、一人でいただろ」
「……」

 数秒後。綾瀬は、かあっと赤くなって、ばっと、顔を抑えた。

「え、なに。み、見られてたってこと?」
「……見た」
「嘘だろ、なんで?」
「……綾瀬に会いたかったんだよ。綾瀬のおかげで吹っ切れてコンクールも賞取れて楽しく絵描いてるって伝えたくてさ。それであそこに通うのが癖になってた。綾瀬がどっかのチームに入ってもう来ないって、聞いてからも、何回も行ってたから」
「……」
「だからあの時も、オレにとっては何回も行ってたうちの一回なんだよ。もうあの後、綾瀬のことが心配でさ……」
「……なんか、すごい、恥ずかしすぎ……」

 困ったように俯いてる綾瀬の腕に触れて、オレを見るように促す。

「……てことでさ。オレは、綾瀬に助けてもらって、今、ここにいるから。だから、綾瀬がつらい時は、オレが全部助ける」
「……つか、九条のセリフが、さっきから、ずっと、恥ずかしいんだけど……」
「本心だよ」
「~~~~……」
「分かったろ。オレが、綾瀬を軽蔑することなんか絶対ないって言った意味。あの頃からずっと綾瀬に感謝して生きてきたから。この絵も嫌なことがあった時に見ると綾瀬とのこと思い出して元気になるから、スマホに持ってたし」
「……」
「……これでもう隠し事はないよ」

 まだびっくりしたままの顔を見て、ふ、と笑ってしまう。
 全部言えて、すっきりした。絵を見て、思い出してくれて……そもそも会話とかも、覚えてくれているなんて。

「綾瀬も、もう隠し事、しないでよ?」

 綾瀬はオレをまっすぐに見上げて。それから、うん、と頷いて、にっこり笑った。

「でもさ、九条」
「ん?」
「……あんま、好き好き、言わないで」
「……ん? そんなこと言った?」
「昔から好き、とか、オレの大好きな綾瀬に、とか。言ってたじゃん」
「……あ」

 やばい。さっきは必死で。急にものすごく、恥ずかしくなってきた。

「……オレがもしほんとに、男が好きな人、だったら……」
「……ん?」
「んなことばっか言われてたら、勘違い、するかもだし……」
「……」

 勘違い? ……オレが、綾瀬を好きなのは、勘違いじゃなくて、絶対だけど。

「……綾瀬?」
「ん?」
「……オレは、生きてきた中で、綾瀬が一番好きだよ」
「……」
「ずっと昔から、綾瀬が一番、好き」
「……」
「勘違い、じゃない」
「……それって、LIKEのほう……?」
「……LIKEか……LOVEかって質問?」
「うん……」
「ひっくるめて、圧倒的に綾瀬が好きなんだけど」
「……良く分かんない、九条……」

 少し引き離されるけど、綾瀬は、ふ、と笑ってオレを見上げた。

「……でも……今は、それでいいや……ありがと。九条」
「……うん」

 ぎゅ、と抱きしめると、また引き離された。

「あの、ちょっとさ、抱きしめんの、癖になんないで」
「……分かった」
「恥ずかしすぎるから」
「分かった。どうしてもの時だけにする」
「……どうしてもっての時ってなに……」
「どうしてもの時、だよ」
「…………」

 ふ、と二人で見つめ合って、同時に笑みが零れた。