話を聞きたいと言ったオレに、綾瀬はしばらく悩んでいたみたいだったけど、しばらくしてからこう言った。

「九条……オレが何言っても、軽蔑しない?」

 そんなことを聞かれるのがそもそも心外だと、思ってしまう。

「するわけないだろ」
「何を、言っても?」
「綾瀬が、何してても、何考えてても、どんなこと言っても、絶対軽蔑なんかしない」

 本気でそう思うので、まっすぐ見つめながら言うと、綾瀬は泣きそうに顔を歪めた。そのまま立てた膝を抱えると、そこに顔を突っ伏してしまった。

「……今、やめて。そういうの」
「綾瀬?」
「オレ、弱ってるから……泣くよ」

 泣く、というキーワードから、浮かぶのは、あの光景で。……胸が痛くなる。

「……信じたからな。軽蔑しないって。何言っても、今まで通りでいてくれる……?」
「当たり前」 
「……じゃ、言う……」

 そう言ってもまだ、しばらく沈黙。

「……この話、ほんとに、初めて、人に話すから……ばらしたら、出どころ、九条だからね……」
「ばらさないって。信じろよ」

 どんだけ、すごい話をするつもりなんだろうと思うほどに確認してから、綾瀬は、息をついた。

「……孝紀なんだけど」
「うん」

 また少し沈黙。オレの方が緊張する。綾瀬は、思い切ったように、口を開いた。

「たぶん、オレの……初恋の相手なんだ」
「……あ、うん…………ん?」

 孝紀=サッカーの相手=昔のチームメイト=男= 初恋……?
「……そこ、止まんないで」
「あ、ごめん」

 思わず謝ったオレに、綾瀬はふと微笑む。もう、言ってしまったということで、少し吹っ切れたみたいだった。

「よく分かんないけど、大好きだったんだよ。それまで生きてた中で、一番」
「……」
「……それに、気づいたのが中二の時でさ」
「……」
「オレ、小さい頃からずっとサッカーやってて、六年からクラブチームに入ったの。三軍からあって、オレは二軍でさ。一軍に入れたらいつかはプロに……とか考えてて」
「その二軍で、会ったの?」
「うん。一緒に頑張ろって言って……良い奴で……すごく仲良くて。すごい、カッコイイ奴だったわけ」
「ん……」
「でもオレね、中一くらいから、足が痛くなることが多くて、ひどいと走れなくなってさ。病院行ったけど……成長と練習がかみあってないっていうか……」
「うん……」
「まだ成長過程の時に、無理な運動は良くないって。平気な奴らもいるけど、オレはダメでさ。走りすぎって言われて、無理するとすぐ炎症が起きちまうの。でもさ二軍の練習時間も長いし、家に帰っても自主練とかやってたし。それをしないと、一軍なんて無理っていう世界でさ」
「……ん」
「しばらく頑張ったけど、練習も見学ばかりになって……結局諦めることにしたんだけど」

 そのまま綾瀬が黙る。
 オレは、中二か、と頭の中で呟く。
 あの泣いてた頃なのかなと思っていると、綾瀬が息をついて、続きを話し始めた。

「そん時ね、孝紀に辞めることを伝えて……そしたらさ……お前の分まで頑張るからって、言われて。そしたら……なんかすごく、切なくなって。もう一緒に練習できないんだと思って。学校も違うから会えないし、もっと一緒にいたかったなって、思って……」
「……」
「好きだったのかなって思った。……恋、だったのかは今もよく分かんないんだけど……」
「……ん」
「でも、もう一緒にいられないし……好きだとしても、叶うわけがないし。サッカーも諦めて、孝紀のことも諦めて……覚えてる限り、すごく久しぶりに泣いちゃったんだよね……」

 ……ああ。やっぱり。
 オレが、綾瀬を見た日は、それか。

「孝紀とは、それきり会ってなかった……結局サッカーもさ、クラブチームほど練習がきつくなければ、足の痛みも大丈夫で、学校の部活でサッカーは続けられたし……もう完全に吹っ切ったと思ってたんだけど」
「……」
「こないだ電話きて……明日試合で会うのかと、思ったらもう、何か、すごくモヤモヤしてきて……」
「……」
「なんか眠れなくて……そんなんで倒れたら、しょうがないよな……迷惑かけてごめん」

 ごめん、には、即座に首を振った。謝られるようなことじゃない。 
「綾瀬は今も、そいつのこと、好きなのか?」

 そう聞くと、すぐに、小さく首を振った。

「……初恋、かなと思ってるくらいだから……嫌いじゃないけど。あれから会ってないし、連絡もとってなかったから。そんな、好きとかそんな強い気持ちは無い……あと、オレ……」
「……?」

 不意に、視線を落として、表情に影を落とした綾瀬の言葉を待っていると。 
「……人を好きになるって、よく分からなくて」

 そう言って、俯いてしまった。

「孝紀のことも、ほんとにそうだったのかも分かんない。オレ、女の子を好きになったことはないし……かといって、男がすごく好きかと言われたら、そんなこともなくて……しかもその後は、そういう気持ち、男友達に持たないようにしようって思ってたし……」
「……」 
「皆、好きだけど……誰も、特別に好きになれないっていうか……」
「……」

 答えられずにいると、不意に綾瀬がオレを見上げた。無理に笑ってるみたいな顔をするから、胸が痛む。

「……オレ、欠けてる、みたいなの、そこらへんの気持ち……」
「……」
「なんか、欠陥品だよなっていう、自覚があるから……多分オレ、必要以上に人と付き合うのかも。皆とすごく話したり、優しくしたりしてるのかもしれない」

 綾瀬が、小さな声でそんなことを言う。聞いていたら、無性に腹が立ってきた。

「……ふ、ざけんな」
「え?」

 綾瀬が不思議そうにオレを見つめた。その顔を真正面から見つめて、オレはもう一度言った。

「ふざけんな」

 思うままにそう言って、びっくりした顔をしている綾瀬を引き寄せて、抱きしめてしまった。

「く、じょう……?」
「欠陥品とか、二度と、言うなよ」
「……」
「完璧な奴なんていないし――――……完璧じゃないから、一緒にいて、補うんだろ」
「――――……」
「それに、そもそも、綾瀬が言ってるそこは、欠けてるわけじゃないだろ」

 さらにぎゅっと抱きしめると、綾瀬がオレの制服、背中の辺りを握りしめたのを感じる。嫌がられてはいないと判断して、そのまま続ける。

「好きなら好きでいいじゃんか。ほんとはそいつが好きだったけど、ただ男だからセーブしただけだろ?」
「……」 
「欠けてるわけじゃない。……認めればいいじゃん。ちゃんと好きだったから泣いたんだろ」

 綾瀬が顔を上げて、すぐ真下からオレを見上げてくる。その瞳をまっすぐに受け止めた。

「……ちゃんと、好きになれるよ。欠けてなんか、無い。欠けてると思い込んで、それでも人と絡んでる綾瀬のことだって、すごいと思ったよ。……皆、綾瀬のこと、好きだよ。優しくて、まっすぐで」

 もう、ただ思いつくままに、言葉を紡いでいく。 
「オレだって、綾瀬のことがずっと昔から、好きだった。だから……」
「……」
「オレの大好きな綾瀬に、絶対二度と、欠陥品なんて……」

 もう途中から、何を、言ってるのかもよく分からない。
 でも、思ってることを、必死で伝えていく間に、腕の中からびっくりしたみたいに見上げてくる綾瀬の顔が、泣きそうな顔から、だんだんと緩んでいくのが分かった。
 いつもみたいなキラキラした笑顔に戻そうと、オレは必死だった。

「絶対もう、そんなこと思うなよ? 思った瞬間にオレに話せよ。打ち消してやるから」

 言い切って、もう一度、ぎゅー、と抱きしめた。

「……」

 少しして。腕の中の体が、笑いながら揺れた。

「九条……何言ってたか、ちゃんと、分かってる?」
「……え?」

 ……正直、思うまま伝えすぎて、はっきりは覚えていない。
 必死すぎて何を言っているか分からなくなるなんて、初めてかも。

「……なに、ずっと昔から好きだったって。謎なんだけど」

 クスクス笑う綾瀬。笑われてはいるけれど、分かる。今の言葉のどれかが、綾瀬に、届いた。ふわっと、いつも通りの笑顔。さっきまでの、つらそうな影は、もう無くなっていた。それが嬉しくて、オレも自然と笑みが零れた。

「……オレ、ずっと昔から綾瀬のこと知ってた」

 妙な言い訳をして意地を張って、絶対に言わないと思っていたことが、ぽろっと口から素直に零れた。

「……? どっかで会った?」
「ん」
「……どこで?」

 全然思い出せないらしく、オレの顔をみて、戸惑ったように、揺れる。