◇ ◇

 その翌日から九条の家で勉強を教えてもらう日々。
 九条はほんとに頭が良くて、教え方も優しくて、的確。
 オレはせっかく九条に教わってるしと、自分の家でも、今までにないくらいちゃんと勉強した。
 期末テストを受けている最中に、まったく分からないという問題がほとんど無いっていうのがすごすぎる、と、めちゃくちゃ思いながら、期末試験も終わった。
 そしてまた、委員会と部活も再開。
 その間にテストも返ってきたけれど、結果は上々。
 ほんと九条ってすごいなぁ。一人でどんなに勉強しても、絶対こうはならない気がする。
 分からない問題があった時、その場ですぐ教えてもらえるのって、すごい勉強になるんだと知った。
 期末が終わってからの夏休みまでの二週間も、本当に慌ただしく、あっという間に過ぎていった。
 そして、今日が最後の図書委員の日。
 夏休み読書感想文の宿題のために本を借りに来る人が多くて、九条とあまり話せなかった。
 でも、オレは心に決めていた。
 言うんだ。これからも、会いたいなって。
 図書委員は終わっちゃうけど、本選んでほしいし、話もしたいって。
 そんなの、友達に言うのは変かなって思ったけど、言わないとオレたちって、自然と離れてしまうと思うから。
 クラスも部活も、仲の良い奴もかぶらないってなると、もうそれだけでも会う理由や必然性がほとんどない。
 だんだん終了時間の十七時に近づいてくると、図書室にいた生徒が皆帰って行って、最後は、オレたちだけになった。

「……あのさ、九条」
「ん?」
「あの……」

 言いかけたその時だった。
 がら、とドアが開いて入ってきたのは、白石で、オレは思わず、言葉を止めた。

「あれ? 白石どうしたの?」
「うん。春海くんに一緒に本を選んでほしくて。夏休みに読みたいんだけど、良い本ないかなあ?」
「良いけど……どんな系統の本がいい?」
「春海くんのお薦め、ある?」
「んー……そうだなぁ」

 九条は図書室に視線を流しながら考えてる。

「一緒に選んでほしいなーと思って、終わる時間まで待ってたの」

 白石がそう言う。ふーん? と九条は、分かってるんだか分からないような、返事をしてるけど。
 ああなんか、ここにいたら邪魔だよな……と思った。

「……九条、ごめん」
「ん?」
「オレ、用事があるからさ。先帰る」
「え?」

 九条が驚いた顔で、オレを振り返った。

「待って、綾瀬。あ、さっき何か言おうとしてなかった?」
「いい。大したことじゃないし」
「そうなの?」
「じゃあね」

 言いたかったけど。
 ……なんとなく、白石の前で言うことじゃない気がする。きゅと唇を噛んで言葉を飲み込むと、窓際の鞄を手に取った。

「綾瀬、少し待ってて、一緒にかえ……」
「お疲れ。これでやっと当番から解放されるね」

 そう言ったら、九条が言いかけてた言葉を止めて、オレをじっと見つめた。

「……ん、まあ……」

 九条が止まった後、曖昧に頷いた。
 ……なんかオレ今、余計なこと、言ったかな。
 何が余計かも分からないけど、九条の反応を見ていたらそう思った。でも。

「綾瀬くんお疲れ様。またね」

 白石の言葉に、それ以上は何も言葉が出なくて。じゃあね、と図書室を後にした。
 ……白石と並んでると、ほんとにお似合いに見えて。自分の気持ちすらも、はっきり分からないのに、すごくモヤモヤするし。
 あの場に、とても普通の顔をしていられなかったオレは、もう帰るしかなかった。
 なんだかいろいろ振り切るように、家まで猛ダッシュで帰って、早くにベッドに潜り込んだ。

 ◇ ◇

 翌日は終業式だった。
 授業も無いし、昼も無しの三時間下校。
 皆が夏休みに浮足立ってる雰囲気。
 すごく楽しい筈のそんな日に、オレはなんだか気分が最悪。
 ホームルームで、前の方の席に座っている白石の姿が目に入ると、また昨日と同じモヤモヤが胸に沸き起こる。これは何なんだろう。とにかく、なんだか嫌な気分だっていうのは分かるんだけど。どうしていいかが、よく分からない。
 しかも、休み時間に廊下を理央と歩いていたら、九条にばったり会ってしまった。……会ってしまったなんて思うの、初めて。それでも頑張って「おはよ」と、普通に挨拶をすることには、成功した。

「綾瀬、昨日……」
「ごめんね、先帰っちゃって」
「……いいけどさ。綾瀬、夏休みってさ」

 そう言われてオレは即座に「部活が超忙しいんだよ。な、理央」と理央に振った。理央は、ん? とオレを見てから、「ああ、まあ、そうだね」と答えてくれる。

「去年みたいに皆でプールとか行こうね」
「うん。まあ……いいけど。九条は? 夏休みどうしてんの?」

 何か思ってるのか、いつもはオレが九条と話してると面白そうに聞いてるだけの理央が、今日はそんな風に、直接聞いてる。

「オレはコンクールが秋にあるから、美術室に結構入り浸りかも」
「でも別に遊べたりはするんだろ?」
「どうだろ、去年も結構ずっと……」

 そう言った時、理央が面白そうに笑った。

「ああ、今年は超モテちゃってるから、女子と遊んでたりしそう?」
「は? そんなこと無いよ」

 九条が何言ってんの、という顔で答えたけれど。なんだかオレは、昨日の白石との光景がよみがえって。
 ……ここにいたくないと思ってしまった。

「理央、トイレ、早く行こ」
「俊? 待てよー? じゃな、九条」

 理央が九条と別れて、追いついてくる。隣に並んだ理央に、あのさあ、と言われる。

「……喧嘩でもしたの?」
「してないよ」
「なら、俊、態度悪かったと思うよ」
「…………」
「俊はさ。普段忘れてるけど、かなりイケメンなんだからさぁ。冷たい顔してると、結構冷たく見えるんだよ。分かってる?」
「……知らない」
「九条、びっくりしてたんじゃないのかなあ……いいの?」
「……いい」

 そう言うと、理央はため息をついた。

「なんか知らんけど……あんなに懐いてたのに、後悔するようなこと、すんなよー?」
「……しないし、別に……」

 ……今すでに、してるけど。
 でも、オレのこのよく分からない感情を、九条にぶつけるわけにもいかないし。
 もう、すごく落ち込んだまま三時間目迄を過ごして下校して、夏休みが、始まった。

 そんな別れ方をした九条に、オレから連絡ができるはずもない。
 夏休みが部活で忙しかったのはほんと。
 たまの休みは、サッカー部の皆とプールに行ったり、ご飯食べに行ったり。去年と同じ感じで、あっという間に夏休みは過ぎていく。
 サッカーをしてると見える、美術室の九条の影。オレは、目を背けて、過ごした。
 沈み込みそうな心を少し救ってくれたのは、九条に教えてもらった読書だった。部活帰りに図書館に寄って、色んな本を借りた。昔からある恋愛小説とかも、借りてみて、いろいろ読んでみた。
 自分の中で「好き」という気持ちで引っかかるのは中学の時の思い出。
 切ない思いのまま、忘れると決めた。
 あれは、恋だったんだろうか。今となっては確かめようもないし、確かめたくもない。
 でも、あれがある限り、オレは前に進めない気がする。……どうしたらいいんだろ。
 九条なら、何か言ってくれるかな。オレが前に進めるような何か。頭、いいもんな。
 色んなこと、すごく、考えられる奴だし。優しいし。あったかいし。

 ……九条は、白石と、過ごしてたのかな。夏。
 楽しんでた、かな。意地を張らないで、友達として遊んでもらったらよかったのかな。
 途中、部活の時に何度か理央に、美術室行ってきたら? と言われたけど。用事ないし、と断って。
 会いたいなと、ずっと思っていたのに、一度も会いに行かなかった。

 夏休みは結局、一度も、連絡を取らずに、終わってしまった。