テスト前の一週間。
部活も停止期間になるし、委員活動も無い。授業が終わったら即帰って勉強しろということだ。図書室にも来られないし残念、と思っていたら、綾瀬が勉強について愚痴り始めた。
突然思いついて、一緒に勉強する? と、言った。
図書委員が無いと綾瀬とは会わない。最近ずっと関わってたから、ちょっと寂しいなと思っていたから、乗ってくれたらいいなと思ってそう言った。そしたら思った以上に食いついてきてくれて、「え。いいの?」と瞳をキラキラさせ始めた。
「良くなきゃ言わないよ」
オレが言うと、綾瀬は。
「だってその提案さ、九条にとったら何のメリットもないじゃん?」
そんなことを言う。
メリットとか言われると、確かに考えるけど、オレ的には、綾瀬と一緒に勉強できることが嬉しいって思ってしまう。さすがに、それは言えない。少し困っていると、変な意味で察してしまったのか。
「オレ、教えてもらう気満々だし。邪魔にしかならないと思う」
そんな風に言ってくる。
「教えてもらう気満々」とか、ほんと面白いな、綾瀬。いくらでも教えてあげたくなってしまう。
「人に教えると、より理解できるし。邪魔になんかならないよ」
思わず笑ってしまいながら、そう言うと。
「そんなこと言っちゃうと、オレ、ほんとに行っちゃうけど」
「だから良いってば」
何度も良いと伝えるのだけど、少し遠慮してるみたい。その時の会話で、綾瀬が隣の市に住んでいたこと、引っ越してきたことを知った。
やっぱりそんなに遠くない所に住んでたんだ。だからあのグラウンドにも来てたんだな。でも普段の生活圏内は違うから、全然会わなかった、と……。
「……なるほどね」
妙に納得してると、綾瀬が少し不思議そうに見てくる。
「……ほんとに勉強に行ってもいいの?」
「うん。いいよ」
なんか言い方、可愛いなあとか。こんなにカッコいい奴に向かって、オレは何を言ってるんだろうと思いながら頷くと、本当に嬉しそうに笑う。
何度も確認みたいに聞かれたけど、全部即答でいいよと言ってたら、綾瀬がうちに勉強しに来ることに決まった。
スパルタでやるよ? と言ったのは、自分も引き締めるためだった。すごく浮かれそうで、落ち着こうと思ったから。
「すみませーん」
カウンターの前から呼ばれると、「オレ行ってくる」と素早く立ち上がって「はいはい」と綾瀬が言いながら、カウンターの中に入っていく。
女の子三人組。あれって、綾瀬に会いにきてるんじゃないのかなと思うような感じで、キャッキャッとはしゃいでる。それにものすごく普通に対応してる綾瀬。まあ。ほんとに、よくモテる奴。そりゃそうだろうけど。
あのルックスなのに、気さくで優しくて素直で明るくて。……悪いとこ、あるのかな?
話してても、いつも前向きだし、まっすぐだから気持ち良いし。さっき勉強、愚痴ってたけど……思い出すと微笑んでしまう。
愚痴ってても、嫌な感じがまるで無くて、ずっとキラキラしたものを振りまいてる。オレが生きてきて関わってきた中では、綾瀬がダントツ、キラキラしてる。外見も中身も。
小五で会ってほんの短い間で、オレにめちゃくちゃ良い影響をくれた。中二のあの姿は、ずっと気になってたけど、まあ今となっては、思春期だしそんな風に落ち込むことだってあるよな、と思う程度。
……とは言っても、あの時の綾瀬を思い出すと、何もできなかった自分への負の感情が湧き上がるから、オレは勝手に落ち込むんだけど……。
綾瀬が、何でか分かんないけど、オレを廊下で見つけると寄ってくるようになってから、オレの周りに綾瀬ファンが増えてるけど、まあ分かる。
カウンター越しに三人の女子に囲まれてるのをなんとなく見ていたら、ふとオレに気づいた綾瀬が、オレに向けてにっこりしてから、また三人に話しかけられて視線を戻す。
「……」
綾瀬のことをずっと眺めていたくなってしまうのは、拗らせてた想いがおかしくなってるんだろうか。とも思うけど、でもまあ誰でもそうかな。なんとなく目を引かれて、なんとなく見てしまう魅力があると思う。
……オレだけじゃないよな。
「春に懐いてる」という、優真の言葉がふと浮かぶけど。急に読書にはまってるから、本の話でどこまで読んだとか読み終わったとか言ってくる時もあるし。会話は、ほんと何でもないようなものが多い。
ただ、目立つんだよね。
綾瀬がオレに寄ってくると、何か自然と皆が綾瀬を見る気がする。だから余計、ここ最近急に「仲いいんだ」という目で見られるようになった。
オレたちの図書室の当番は七月までだから、それ以降はまた綾瀬との接点は無くなる。その時も今みたいにいられるのかは分からない。明らかに「用」はなくなる。「用」が無くなった時にも仲が良いなら、本当に仲が良いって言えるんだろうけど、今は少し違う気がする。
「ただいま」
「おかえり」
すとん、と、前に座った綾瀬に、笑ってしまう。
「なんか、綾瀬と話す後輩の女の子たちってさ」
「ん」
「アイドルか何かと話してるみたいな態度だよね」
「……そう?」
「すごいテンション高い」
「……ああ、まあ、テンションは高い、かなあ? でも女の子っていつもそんなもんじゃない?」
いや、普通はあんなにキャピキャピはしてないはず。
ああ、そっか。「綾瀬の前の女の子」はいつもそうなのかな。そう思い当たって、クスッと笑ってしまう。
「ん?」
「いや。何でもない」
そういうのに気づかない綾瀬が、なんかイイから。言わないで良いや。
「綾瀬、来週から、うちに来る?」
「良いなら行く」
「じゃあさ、前回のテスト、持ってきて?」
「え? 何で?」
一瞬で、すっごく嫌そう。
「何が苦手で間違ってるのか見たいから。問題は持ってるから、解答用紙、五教科全部」
苦笑いしながらオレが言うと、綾瀬は、うう、と唸ってる。
「捨ててないからどっかに埋まってると思うけど……見せなきゃダメ?」
「ん。持ってきて」
「うう……すごいやだ……」
ぶつぶつ言いながら唸っていたけれど、そのうち諦めたみたいで、分かった、と言った。
「週末探しとく」
ふ、と息を付きながら少し仏頂面で言って、オレをまっすぐ見つめてくるので、笑ってしまいながら「前回どんだけなの」と言うと。
「……実はよく覚えてない」
そう言って肩を竦めてるので、またクスクス笑ってしまった。
◇ ◇
そして、月曜。綾瀬が家に初めて来る日。
オレのクラスの方が早く終わったので、クラスの窓際で外を見ながら綾瀬を待っていたら、後ろから綾瀬の声がした。
「九条、おまたせ。なんか今日ホームルームが長くて。ごめん」
オレのクラスを見回して、「もうほとんど帰ってるじゃん。すごく早かった?」と聞いてくる。
「担任がさっさと帰って勉強しろって言ってたから、結構皆すぐ帰ってったよ」
「そっか。待たせてごめん」
「大丈夫だよ。帰ろ?」
「ん」
鞄を手に取って、綾瀬と並んで歩き出す。
「前のテスト、ちゃんと持ってきた?」
「うん」
「どうだった? 何点くらい?」
「ん……七十~八十点台って感じ。あ、でも社会が六十六だった」
「ふーん……国語とか英語は?」
「八十弱くらい? 数学と理科は七十点台」
「それだと、成績って、三? 四?」
「混ざってる感じだったような……」
「そんな悪くないじゃん」
そう言うと、綾瀬は「そう?」とオレを見上げてくる。
「二を四にするのって、基礎がないからちょっと大変だけど、三を四にするのは少し頑張ればいけると思うよ」
「オレ、基礎、ある?」
「七十点取れてれば大体出来てるでしょ」
「そっかー」
なんか嬉しそう。
「社会六十点台って……勉強した?」
「……」
「社会って、基礎って感じは薄いじゃん。その範囲を覚えるかどうかだから、それで六十点台ってことは……」
「……他のに時間を奪われて、社会は、一夜漬けというか……四時間漬け、というか」
苦笑いの綾瀬に、オレもちょっと笑ってしまう。
昇降口について、靴を履き替えながら、ふ、と綾瀬がオレを振り返った。
「お腹空いた。何か買ってって良い?」
「おやつは用意したよ」
「ん?」
「友達が勉強しに来るって言ったから、母さんが置いてったけど」
「えーでも、これから毎日だと悪いし、持ってく。ていうか、今日はシュークリームが食べたくて」
ふふ、と笑う綾瀬に、そっか、と笑ってしまう。
「あんまり食べると、眠くなるよ?」
「大丈夫、オレ昨日めっちゃ寝たから」
「昨日は勉強しなかった?」
「昼間はしたよ? でも今日、九条に見て貰ってからやろうと思って」
あははー、と明るく笑う綾瀬。
「そっか。じゃあコンビニ寄ろっか」
「うん」
ぱっと笑顔の綾瀬に、自然と顔が綻んだ。