第4話
「さむ……」
11月も半ばとなれば、さすがに肌寒い。
せっかく出した秋冬も、冬服のニットの中に紛れるが早そうだ。
「おはよ」
カウンターに置いた彼の写真の前の花の水を入れ替える。朝いちばんの珈琲もちょっとだけ、小さなカップに入れてあげた。
「どう?今日もいい香りでしょ」
彼が亡くなって4年。この街に来て1年が経つ。
思い出がだんだん色あせていく気がして、最初は彼と一緒にいた家を動けなかった。
でも、私が変わらなくても、彼と過ごした街が、空気が変わっていって。
それが辛くて、家を出た。周りが彼のいた景色を勝手に消していくから、自分から出ていかないとおかしくなりそうだった。
マスターの店で働くことができたのも、縁だったと思う。
珈琲は彼の方が詳しくて、彼がいつも淹れてくれた。飲みたくても、淹れ方がわからなくて。
マスターのお店で飲んでみたのが始まりだった。
「美味しい」
ちゃんと入れられた珈琲は、私が適当に作るインスタントとは違って深みがあって、まろやかで。
それと同時に気づいた。彼の珈琲を、忘れそうだということに。
私だけは、忘れないつもりだったのに。何も知らないんだから覚えてるはずがなかった。
だからマスターに頼んで弟子入りして、珈琲の淹れ方を学び始めた。
最初は忘れたくなくて、彼の味を再現したかったからだけど、徐々に彼の珈琲よりマスターの珈琲の方が美味しいと気づいた。
当たり前だ。プロなんだから。
彼の珈琲は私の中の思い出の中で、だいぶ美化されてるんだなと気づいた時、彼のことも美化されてるとわかった。
マスターは好きな人に入れてもらった珈琲は格別美味しかったんじゃないかなと言ったけれど、真正面から言われて、あれ?どうだろうと悩む自分に笑った。
そうそうあんなところも、こんなところも大嫌いで、大好きだった。
何よりも変わっていくのは、街でも空気でもなくて、私だったんだ。
喫茶店は珈琲だけってわけじゃない。軽食やデザートなんかも作ったりする。
明日のお菓子は前日に作って、翌日にカットしてお出しする。
チーズケーキやガトーショコラ、バターケーキなんかだ。
プリンも仕込んで冷やして置いておく。
夜の営業がある日は、特に多く作らないといけない。
今でも十分人気なマスターの喫茶店に、夜の営業を進めたのは私だった。
「これ、美味しすぎませんか」
「えっそお?」
マスターが作ったお酒と肴が、あんまりおいしかったものだから。
「週1回でもいいからやってみませんか?」
私だけが味を知っているのがもったいなくて。
負担があまりかからない週1回で始まった夜の喫茶店は大盛況だった。
甘いお菓子に、美味しい夜食に、お酒と珈琲は何とも合う。
「明日の分の仕込み終わりました」
御客さんの注文を聞きながら、全てのケーキを焼き終えて、洗い物をしながらマスターに報告する。
お客さんの客足も少し落ち着いたころだった。
「まかない食べる?作ろうか?」
「いいんですか?」
最近まかないを自分で作るようになっていたから、マスターのまかないは久しぶりだ。
「ハンバーグの肉だね余ってたなぁ」
「手伝います」
小さなハンバーグを丸めて焼いて、残っていたグラタン用のホワイトシチューを絡めてオーブンでじっくり焼いてくれる。
「はい。ハンバーググラタン」
「いただきます…!」
ほくほくコンソメ風のホワイトソースに、ハンバーグとトマトソースが絡まって美味しい。
グラタンっていいなぁ……。なんでも応用効くし、あったかいし、最近寒くなってきたし。
「そうだ」
家に帰るまでに果物屋さんによって、イチジクと缶詰の洋ナシ、ブルーベリーを買って帰る。
『今日は私の家に集合で。晩御飯は食べてきてね』メッセージを送って、21時ごろに、2人がお風呂を終えてやってくる。
「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
「公佳の家って久しぶりだねー」
樹里がとことこ、結衣がうきうき入ってくる。
「最近は樹里の家で、こたつがあったからね……」
「あーね」
「こたつの魔力すごいよね」
私と結衣の家にはこたつがないので、ついつい樹里の家になっていた。
「次は私の家にしよう!実はプロジェクター買ったんだぁ~」
結衣がえへんと張り切ると、私と樹里に衝撃が走った。
「それは……!鑑賞会ができるわね」
「大画面でホラー映画みよーよー!」
「いやSFファンタジー……。サスペンスも捨てがたいわ」
対立する公佳と私を、結衣がおかしそうに笑う。
「順番に全部見ようよ。この後ウチに見に来る?」
「いいの⁉」
「ちょうど映画見たいと思ってたから~。そのまま泊ってもいいし」
「結衣がいいなら」
「おじゃましまーす!」
オーブンの音がなって、焼いていたことを思い出す。
「あ、忘れてた」
ぱたぱたとキッチンに向かい、ミトンをはめて、よいしょとオーブンからお皿を出す。
「うん。いい色」
イチジク、洋ナシ、ブルーベリーがトッピングされたフルーツグラタンだ。
樹里と結衣から歓喜の声があがる。
「美味しそう…!」
「私フルーツグラタンって初めて食べる」
「クラフティと迷ったんだけど、熱々が食べたくて。これならあったまって美味しいかなって」
熱々のお皿を火傷しないように、もう一枚お皿をかぶせて、テーブルに持っていく。
「いただきます!」
「あったかいし、とろとろだー!」
「加熱したイチジクってめっちゃ美味しくなるね」
ほくほくしながら、ふーふーして食べてると、お皿はあっという間に空っぽになった。
喋る間もなく、食べ終わるくらいに美味しかったようだ。
「片付けも終わったし、ウチ行こうか」
「うん」
部屋から出る時に電気を消すと、写真の彼と少しだけ目があう。
大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。
でもね、今も楽しいから。安心して。
「公佳~?」
「今行く」
「さむ……」
11月も半ばとなれば、さすがに肌寒い。
せっかく出した秋冬も、冬服のニットの中に紛れるが早そうだ。
「おはよ」
カウンターに置いた彼の写真の前の花の水を入れ替える。朝いちばんの珈琲もちょっとだけ、小さなカップに入れてあげた。
「どう?今日もいい香りでしょ」
彼が亡くなって4年。この街に来て1年が経つ。
思い出がだんだん色あせていく気がして、最初は彼と一緒にいた家を動けなかった。
でも、私が変わらなくても、彼と過ごした街が、空気が変わっていって。
それが辛くて、家を出た。周りが彼のいた景色を勝手に消していくから、自分から出ていかないとおかしくなりそうだった。
マスターの店で働くことができたのも、縁だったと思う。
珈琲は彼の方が詳しくて、彼がいつも淹れてくれた。飲みたくても、淹れ方がわからなくて。
マスターのお店で飲んでみたのが始まりだった。
「美味しい」
ちゃんと入れられた珈琲は、私が適当に作るインスタントとは違って深みがあって、まろやかで。
それと同時に気づいた。彼の珈琲を、忘れそうだということに。
私だけは、忘れないつもりだったのに。何も知らないんだから覚えてるはずがなかった。
だからマスターに頼んで弟子入りして、珈琲の淹れ方を学び始めた。
最初は忘れたくなくて、彼の味を再現したかったからだけど、徐々に彼の珈琲よりマスターの珈琲の方が美味しいと気づいた。
当たり前だ。プロなんだから。
彼の珈琲は私の中の思い出の中で、だいぶ美化されてるんだなと気づいた時、彼のことも美化されてるとわかった。
マスターは好きな人に入れてもらった珈琲は格別美味しかったんじゃないかなと言ったけれど、真正面から言われて、あれ?どうだろうと悩む自分に笑った。
そうそうあんなところも、こんなところも大嫌いで、大好きだった。
何よりも変わっていくのは、街でも空気でもなくて、私だったんだ。
喫茶店は珈琲だけってわけじゃない。軽食やデザートなんかも作ったりする。
明日のお菓子は前日に作って、翌日にカットしてお出しする。
チーズケーキやガトーショコラ、バターケーキなんかだ。
プリンも仕込んで冷やして置いておく。
夜の営業がある日は、特に多く作らないといけない。
今でも十分人気なマスターの喫茶店に、夜の営業を進めたのは私だった。
「これ、美味しすぎませんか」
「えっそお?」
マスターが作ったお酒と肴が、あんまりおいしかったものだから。
「週1回でもいいからやってみませんか?」
私だけが味を知っているのがもったいなくて。
負担があまりかからない週1回で始まった夜の喫茶店は大盛況だった。
甘いお菓子に、美味しい夜食に、お酒と珈琲は何とも合う。
「明日の分の仕込み終わりました」
御客さんの注文を聞きながら、全てのケーキを焼き終えて、洗い物をしながらマスターに報告する。
お客さんの客足も少し落ち着いたころだった。
「まかない食べる?作ろうか?」
「いいんですか?」
最近まかないを自分で作るようになっていたから、マスターのまかないは久しぶりだ。
「ハンバーグの肉だね余ってたなぁ」
「手伝います」
小さなハンバーグを丸めて焼いて、残っていたグラタン用のホワイトシチューを絡めてオーブンでじっくり焼いてくれる。
「はい。ハンバーググラタン」
「いただきます…!」
ほくほくコンソメ風のホワイトソースに、ハンバーグとトマトソースが絡まって美味しい。
グラタンっていいなぁ……。なんでも応用効くし、あったかいし、最近寒くなってきたし。
「そうだ」
家に帰るまでに果物屋さんによって、イチジクと缶詰の洋ナシ、ブルーベリーを買って帰る。
『今日は私の家に集合で。晩御飯は食べてきてね』メッセージを送って、21時ごろに、2人がお風呂を終えてやってくる。
「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
「公佳の家って久しぶりだねー」
樹里がとことこ、結衣がうきうき入ってくる。
「最近は樹里の家で、こたつがあったからね……」
「あーね」
「こたつの魔力すごいよね」
私と結衣の家にはこたつがないので、ついつい樹里の家になっていた。
「次は私の家にしよう!実はプロジェクター買ったんだぁ~」
結衣がえへんと張り切ると、私と樹里に衝撃が走った。
「それは……!鑑賞会ができるわね」
「大画面でホラー映画みよーよー!」
「いやSFファンタジー……。サスペンスも捨てがたいわ」
対立する公佳と私を、結衣がおかしそうに笑う。
「順番に全部見ようよ。この後ウチに見に来る?」
「いいの⁉」
「ちょうど映画見たいと思ってたから~。そのまま泊ってもいいし」
「結衣がいいなら」
「おじゃましまーす!」
オーブンの音がなって、焼いていたことを思い出す。
「あ、忘れてた」
ぱたぱたとキッチンに向かい、ミトンをはめて、よいしょとオーブンからお皿を出す。
「うん。いい色」
イチジク、洋ナシ、ブルーベリーがトッピングされたフルーツグラタンだ。
樹里と結衣から歓喜の声があがる。
「美味しそう…!」
「私フルーツグラタンって初めて食べる」
「クラフティと迷ったんだけど、熱々が食べたくて。これならあったまって美味しいかなって」
熱々のお皿を火傷しないように、もう一枚お皿をかぶせて、テーブルに持っていく。
「いただきます!」
「あったかいし、とろとろだー!」
「加熱したイチジクってめっちゃ美味しくなるね」
ほくほくしながら、ふーふーして食べてると、お皿はあっという間に空っぽになった。
喋る間もなく、食べ終わるくらいに美味しかったようだ。
「片付けも終わったし、ウチ行こうか」
「うん」
部屋から出る時に電気を消すと、写真の彼と少しだけ目があう。
大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。
でもね、今も楽しいから。安心して。
「公佳~?」
「今行く」