第3話 

「山形食パン焼き立てでーす!」

がこん、がこんと次から次へと、型にショックを与えて食パンを網に乗せていく。
ホイロに入ってるのはあとフランスパンだけ。これを焼き上げれば今日の仕事はおしまいだ。

「立花さん調子いいですね」
「まあね。今日は早番だから!」

パン屋の朝は早い。だけど仕込み、窯、成形、サンド、販売という風に、各部門で別れているから、割と融通が利く。
仕込みが一番早くて、次に窯、その次が成形とサンド、販売。来る時間はバラバラだけど、朝が一番忙しい。

私、立花樹里の今日の担当は窯。前日に準備したパンをホイロで温め終わった順に焼いて、仕上げをしていく。
窯が一斉になる瞬間は大変だけど、一番おいしい焼き色を見逃しはしない。

前は雑貨屋で働いていた私が、パン屋で働き始めたのは、ある意味恋をしたからかもしれない。

お昼ご飯に偶然食べたパンがとっても美味しいくて、パン屋に通い詰めた。
そこのパンを作っている店長がカッコよくてカッコよくて。

性欲と食欲を同時に満たす麻薬みたいなものだったかも。
付き合いたいとは思わなかったのは、彼よりも彼が生み出すパンに惹かれてると早々にわかったからだった。

なんだ。私、パンの美しさに惚れたのか。

それがきっかけで、美味しいパン屋を探して、今の店に流れ着いた。
彼のパン屋で働こうとしなかったのは、多分恥ずかしかったから。

色気より食欲なのだと、相手から見たらわからないじゃないし、私は露骨なファンだった。
だからお店に転職すれば、まるで告白みたいと思われそうで。

「お先失礼しまーす」

早々に掃除を終わらせて、成形を手伝って、着替えて帰る。
こうやって仕事が分担されていると、割と早く帰れるのがパン屋のいいところだ。

公佳の喫茶店に寄っていこうかな。それともーー。
歩いて10分ほどの場所、公園の近くにあるパティスリーを窓から覗く。

やってるかな……。あ、ちょっと見える。厨房で何かを泡立ててる結衣の姿。
おお~力入ってる。すごい。頑張ってる。

こっそりお店に入って、今日のおやつに、クッキー数枚とプリンとチーズケーキを買う。
公佳にも分けてあげよう。お会計が終わると、一息ついた結衣が私に気づいて、笑顔を見せたので小さく手を振ってからお店を出た。

「邪魔してないよね?」
「してないよぉ。そんなこというとクッキーあげないよ」
「もう貰ったから返さない」

公佳の働く喫茶店で、あったかいカフェラテを出してもらう。
牛乳も珈琲もちょうどいい。

「結衣もすっかりなじんだよねー。まさか公佳が誘うとは思ってなかったけど」
私は友達になりたいと思ったが、人見知りの公佳がすぐに懐いたことに驚いていた。

「最初に恥ずかしいところ見られたら、どうでもよくなるでしょ」
その恥ずかしいところは、私が初見のお隣さんにアイスをねだったことを言ってるのか。


「せっかく早上がりなのにどこか行かないの?」
「今来てるじゃない!ここに来るのも私の癒しなの」
「まあいい店だからね」

そっけないけど自慢げな公佳が、遅めの昼食にナポリタンを出してくれる。ここのメニューはどれも美味しいから大好きだ。

「この後は本屋に行ってースーパーに行ってーそれから掃除でもしようかな」
「本屋行くなら今日発売の本買ってきてくれない?」
「いいよ!初回限定盤売ってるんだっけ?」
「お礼は必ずするから」

公佳の好きな絵本作家の新作で、ポーチがついてくるらしい。
本屋で目立つところにあった絵本が入った箱と自分の読みたい本を買って、スーパーにより家に帰る。

そろそろ寒くなってきたから、今日はスープにしようかな。
ううん、せっかくだからお腹空いたみんなが帰ってきて美味しいご飯にしたいかも。

一緒に飲むと言っても、いつも約束しているわけではない。
1人でそのまま寝たい夜も、1人でいたい夜もあるから。でも、今日はなんだかそうしたい気持ちだった。

家にあるトマト缶、鶏もも肉にヨーグルト、それから野菜あるもの全部。

「煮込むだけだし簡単だよね」

お米を研いで、タイマーをセット。鶏もも肉と野菜を焼いて、トマト缶やらコンソメやらいろいろぶち込んで煮込む間に掃除をする。
こういう休み前に、やるべきことを全部やって、自由な明日の休みを作る時間は嫌いじゃない。

煮込んだ鍋にスパイスとルーを入れて混ぜた後、公佳と結衣にそれぞれメールを送る。

『晩ごはんを食べたい人は来てくださーい』

夜20時ごろ、最初に結衣が帰ってくる。

「おかえりー早かったね!」
「だって作ってくれてるって聞いたから、頑張ってはやく終わらせたの。みんなも定時で帰るぞ!って張り切ってね」
「そっか」
「わっ!こたつ出てる!」

いつものちゃぶ台にこたつ布団を重ねたことに、さっそく食いつく結衣。

「もう寒くなるから出しちゃった」
「こたついいよねぇ。考えた人は神様だよぉ」

ごろりんとあったまる結衣が、最初に比べてだいぶ気を許してくれるようになったなぁと嬉しくなる。

「あ、コレ帰りにお酒とかいろいろ買ってきた。樹里におすそ分け」
晩ごはんのお礼にと、私が好きなお菓子やらジュースやお酒が入ってる袋を渡される。


「ありがと~。じゃあ私もこれどうぞ」
「!」

ちゃぶ台の上に、赤く茶色いカレーと即席ラッシーを置いて、スプーンを添える。

「本格的なカレーが来た……!」
「おいしいよー」
「いただきます!!」

ナンでもいいけど、こういう疲れたあとには白米一択!

「美味しいっ……樹里がこの世の神だったのかもしれない」
「ほう。ようやくわかったかね」
「今度から樹里さまって呼ぶね」
「女神様じゃなくて?」
「っていうか今日お店来てくれたでしょ⁉ありがと~。実はムース作らせてもらってたんだ!」
「え!すごいじゃん」
「めっちゃ泡だて器、重かった~。ボウル持てるようにもっと筋肉付けないと」

頑張ってるねと話して、結衣が洗い物をして帰ろうとすると、すれ違いざまに公佳が帰ってくる。

「あれ?もう帰るの?」
「うん。今日は早めに寝るよ~」

満腹になったらしい結衣は眠いらしい。朝が一番早いから当たり前だ。

「じゃあこれあげる」

ごそごそとカバンから、小さな入浴剤を公佳が取り出す。

「オーナーにもらって自分でも買ってみたんだけど。すごい疲れとれるよ」
「ありがとう!」

早速使ってみるねと、結衣が笑顔で帰っていくと、公佳がいただきまーすと自分でお皿にルーをよそい始めた。

「え、温めるけど」
「樹里も疲れてるだろうから自分でやるよ」

お鍋もついでに洗うんでと、テキパキと片づけてくれる。

「さっき結衣からもらったお酒飲む?」
「いや、カレーを味わいたい。いただきます」

公佳はもぐもぐと淡々と、でも美味しそうに食べていく。
ちょっと時間はかかるけど、簡単で美味しい。作ってみてよかったなぁ。

「ごちそうさまでした。美味しかった」
「うんうん」
「何その生暖かい目」
「いやぁなんか食べてくれると嬉しくなるよね。食事って身体を作るものだからさ」
「さすが最年長はおかん目線だね」
「おかんじゃなくて、お姉さまでしょ⁉まだまだ若いから!はい。これ頼まれてたやつ」

初回限定盤の絵本をキラキラと輝く目で手にした公佳は、結衣と同じように私を神とあがめ始めたので、女神さまだよと訂正しておく。
それくらいいいいよね。だって今日は、ちょっといいお姉さんだったし。

「ありがとね。元気出た」

夜の喫茶店を週1で始めたばかりの樹里は張り切っていたし、新しいステップを任せてもらった結衣は嬉しそうだった。
でも、少しだけ。長すぎた夏に疲れていたように見えて。

新しいことを始める時は、いつだって気持ちは昂るけど、身体はついて行くのにいつも必死だ。
でも、歩みを止めたくない。そんな気持ちが私にも覚えがある。

疲れた時は辛い物!は、最近作った私のマイルールの1つだった。

カレーのお皿を片づけて、お礼に公佳が私にも入浴剤と、絵本の代金とお菓子をくれる。
もうお風呂には入ったから、これは明日使わせてもらおう。

今日買った本と残ったカレー。公佳と結衣からもらったお酒とお菓子が、明日の楽しみに加わる。

「みんなそろそろ寝たかなぁ」

2人のほんのちょっと笑顔にすることが、私を幸せな気持ちにしてくれることを、2人は知っているだろうか。