第1話
食欲の秋。そう言われるほど、1年の中で最も食欲が掻き立てられる季節。
街には、芋、栗、南瓜があしらわれた、時に甘く、時に辛く、そんな美味しいものが溢れ始める。
「今日も栗10キロ剝いたんだけど……」
どんより、手と腰の痛みを訴えるのは開店10周年を迎えるパン屋で働く、樹里。
「手作りってすごいよね。ウチは載せるクリームには既製品使ってるもん」
可哀そうにと同情しながら、スマホをいじるのはお酒もコーヒーも出す夜の老舗の喫茶店で修業中、公佳。
「まあ栗の渋皮煮って、手間かかるけど、やっぱ手作りは調整できるからいいよね」
顔にパックを貼りながら、隣でストレッチをするパティスリーで働く私、結衣。
「ほらほら樹里も体伸ばして!腰痛めると後が辛いよ」
「うーーん、もう伸ばすところもないよぉ。私は湿布でいい……。公佳湿布取ってぇ」
「どこ?ここの引き出し?もうちょっと片付けなよ」
隣3軒に住んでいる私と樹里と公佳は、たまにこうやって夜に集る。
定休日前だったり、時間があったときだったり、まあその時の気分ってやつだ。
パン屋やケーキ屋、カフェの定休日はかぶりがちなのも理由だろう。
私たちが住んでいる街は、美味しいお店がそれなりに並び、そこそこに栄えている。
和風から欧風まで、それぞれ自慢の顔を持つお店に、お客さんたちは癒しとゆとりを求めて足を運ぶ。
朝が早かったり、夜が遅かったり。
そんな私たちがお店の徒歩圏内、風呂、トイレ別、ワンルームを選んだのは、ある意味必然とも言える。
私の働くケーキ屋は、新進気鋭のシェフがオープンさせた店らしく、忙しいったらありゃしない。
まあケーキ屋なんて、どこも『忙しい』に尽きるんだろうけど、秋はまさに戦争の始まり。
夏に少し遠のいていた客足が、秋になると一気に戻ってきて、洗礼を受けている最中だ。
私たちは朝から、前日に仕込んだタルトやパイなんかをひたすら焼いて、荒熱のとれた土台に、作ったクリームを塗り、秋の味覚を綺麗に乗せる。ケーキの種類によって、盛り付けは、多ければいいものもあるし、多ければいいってもんじゃないものもある。
要は、バランスが大事だ。
例えば、モンブランのクリームは多ければ多いほど喜ばれるが、土台になるメレンゲやタルトと釣りあいがとれる量にしなければ、最後は少しだけ食べすぎたように感じてしまう。
口の中に幸福感が広がるのに、フォークを進めていくほど、その幸福が終わることに寂しさを感じたことはないだろうか。
『ああ。あと少しだけ、食べたかった』
これがスイーツを楽しませることができる絶妙なバランスだと思う。
ロスを最小限にしようとも考えるが、売り切れは許されない。
せっかくやってきたお客さんをがっかりさせてしまわないように、私たちは追加でパイを温め始める。
クリスマスに向けて、本格的な冬の仕込みも、少しずつ始める秋は、とにかく忙しい。
だからどうしても、『完全手作り』というのは難しい。
もちろんスポンジやクッキー、タルトやムースなんかは手作りだが、まさに秋を彩る芋、栗、南瓜。
生の素材を使うこともあるが、お菓子用に作られているペーストや味付けがされてるダイスカットなんかを使うことの方が多い。
私のいるパティスリーでも、手間をかけているところはあるが、そういうところで譲歩はしている。
手間をかけることが許されるのは、樹里のパン屋さんで売っている『渋皮栗のクリームデニッシュ』のように、お店手作りの栗の渋皮煮が丸ごと乗せた、本当にこだわりたい看板商品だ。
だからこそ、売れるし、美味しい。
もちろん一から全て作ってるお店もあるが、全てというのは難しい。
誰かのための美味しいを支えているのが、まさに私たち作り手なのだ。
そして、今日は腰が疲れたから動きたくないという樹里の家に来ているのだけど……。
「でねっ?今日は、その形の崩れた渋皮煮。もらってきちゃいましたー!」
じゃーんと小さなタッパーを宝物のように見せる樹里に、私と公佳もどよめきだつ。
「そんな手間暇かけられた結晶を……⁉」
「いただいちゃってよかったの?いろいろ使い道あるのに……」
「いいのいいの!前々から欲しいなーいいなーって言ってて、オーナーがご褒美にって余ったのくれたから」
「だから今日はいつもよりも、私を褒めて敬って!」
「偉い偉い」「いい子いい子」「皮むき名人」
ドヤっと、寝ころんだ樹里の頭ではなく、今日一日がんばった腰を、私と公佳は順番子にさすって褒める。
「じゃあ今日はこれ使ってクレープでも作ろうか」
台所を使わせてもらうねと樹里に許可をもらい、ボウルに泡だて器、ゴムベラ。
強力粉や牛乳なんかを取り出す。
「しょっぱいのもなんか食べたいよぉ…。冷蔵庫にお母さんからもらったキャベツあるんだけど、なんか使ってほしい」
「あ、じゃあ私、家から『いがぶりっこ』とってくる。それでタルタルにしない?」
「いいねぇ」
カップで粉と牛乳を計りながら、生地を作る。30分休ませる間に、公佳が持ってきた『いがぶりっこ』をゆで卵とタルタルにして、樹里が生クリームと渋皮煮をごしごし混ぜる。
温めたフライパンに、軽くバターを引き、一枚。
また一枚とクレープを焼いて、樹里が甘いもの。公佳がしょっぱいものを作ってくれる。
「最後に栗をちりばめて……。はいできたー!」
樹里が持ってきてくれた渋皮煮とクリームを混ぜて、上から乗せてアーモンドとピスタチオをかけた甘いクレープ。
公佳が『いがぶりっこ』と卵をタルタルにして、塩もみしたキャベツをぎゅっと混ぜ込んだしょっぱいクレープ。
「美味しそ―。乾杯しよー!」
それぞれ好きな飲み物を手に、ポップでレトロな樹里の家にある丸いちゃぶ台を一緒に囲む。
「うっまっっっ」
「栗のアイスにブランデーは優勝すぎる」
「公佳の言う通りにしてよかったね。そういえば、また販売のお局様に嫌味言われてさぁ……」
「もう結衣ってそれ、気に入られてない?」
「人気者だよね」
お酒だったり、ジュースだったり、ノンアルだったり、それぞれ好きな飲み物を手に取ってグタグタ喋る。
美味しいものが好きだし、美味しいものを食べたい。
毎日忙しい中でも、ほんのちょっぴりご褒美が欲しい。
そして、……どうせカロリーを取るなら美味しいものを!
1週間働きづめで帰ってくる平日に余裕はないに等しい。
明日を頑張るためにご飯を食べて布団に入る。
だから、次の日が休日の夜は、私たちが一番自由になれる瞬間だった。
外で食べることもあるが、毎週外食だと出費もかさむ。
だから3人こうして集まって、それぞれが持ち寄った食材でその日の美味しいものを作って食べる。
手間はそこまでかからない、簡単だけど美味しいものを、だ。
そして、よかったこと、イヤだったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと。
みーんなまとめて、この夜に話し込んで、発散させて、明日の休日をそれぞれ楽しむ準備をする。
「今週もおつかれさま!」
「うちらはよく頑張ったー」
「偉すぎる」
何度目かわからない乾杯の合図を最後に、空になったお皿をきれいに洗って片づける。
「おやすみ」「おやすみなさい」「またね」
眠い目をこすり、それぞれのベッドに帰っていく。
お腹はいっぱい。さぁ、次は何を食べようか。
食欲の秋。そう言われるほど、1年の中で最も食欲が掻き立てられる季節。
街には、芋、栗、南瓜があしらわれた、時に甘く、時に辛く、そんな美味しいものが溢れ始める。
「今日も栗10キロ剝いたんだけど……」
どんより、手と腰の痛みを訴えるのは開店10周年を迎えるパン屋で働く、樹里。
「手作りってすごいよね。ウチは載せるクリームには既製品使ってるもん」
可哀そうにと同情しながら、スマホをいじるのはお酒もコーヒーも出す夜の老舗の喫茶店で修業中、公佳。
「まあ栗の渋皮煮って、手間かかるけど、やっぱ手作りは調整できるからいいよね」
顔にパックを貼りながら、隣でストレッチをするパティスリーで働く私、結衣。
「ほらほら樹里も体伸ばして!腰痛めると後が辛いよ」
「うーーん、もう伸ばすところもないよぉ。私は湿布でいい……。公佳湿布取ってぇ」
「どこ?ここの引き出し?もうちょっと片付けなよ」
隣3軒に住んでいる私と樹里と公佳は、たまにこうやって夜に集る。
定休日前だったり、時間があったときだったり、まあその時の気分ってやつだ。
パン屋やケーキ屋、カフェの定休日はかぶりがちなのも理由だろう。
私たちが住んでいる街は、美味しいお店がそれなりに並び、そこそこに栄えている。
和風から欧風まで、それぞれ自慢の顔を持つお店に、お客さんたちは癒しとゆとりを求めて足を運ぶ。
朝が早かったり、夜が遅かったり。
そんな私たちがお店の徒歩圏内、風呂、トイレ別、ワンルームを選んだのは、ある意味必然とも言える。
私の働くケーキ屋は、新進気鋭のシェフがオープンさせた店らしく、忙しいったらありゃしない。
まあケーキ屋なんて、どこも『忙しい』に尽きるんだろうけど、秋はまさに戦争の始まり。
夏に少し遠のいていた客足が、秋になると一気に戻ってきて、洗礼を受けている最中だ。
私たちは朝から、前日に仕込んだタルトやパイなんかをひたすら焼いて、荒熱のとれた土台に、作ったクリームを塗り、秋の味覚を綺麗に乗せる。ケーキの種類によって、盛り付けは、多ければいいものもあるし、多ければいいってもんじゃないものもある。
要は、バランスが大事だ。
例えば、モンブランのクリームは多ければ多いほど喜ばれるが、土台になるメレンゲやタルトと釣りあいがとれる量にしなければ、最後は少しだけ食べすぎたように感じてしまう。
口の中に幸福感が広がるのに、フォークを進めていくほど、その幸福が終わることに寂しさを感じたことはないだろうか。
『ああ。あと少しだけ、食べたかった』
これがスイーツを楽しませることができる絶妙なバランスだと思う。
ロスを最小限にしようとも考えるが、売り切れは許されない。
せっかくやってきたお客さんをがっかりさせてしまわないように、私たちは追加でパイを温め始める。
クリスマスに向けて、本格的な冬の仕込みも、少しずつ始める秋は、とにかく忙しい。
だからどうしても、『完全手作り』というのは難しい。
もちろんスポンジやクッキー、タルトやムースなんかは手作りだが、まさに秋を彩る芋、栗、南瓜。
生の素材を使うこともあるが、お菓子用に作られているペーストや味付けがされてるダイスカットなんかを使うことの方が多い。
私のいるパティスリーでも、手間をかけているところはあるが、そういうところで譲歩はしている。
手間をかけることが許されるのは、樹里のパン屋さんで売っている『渋皮栗のクリームデニッシュ』のように、お店手作りの栗の渋皮煮が丸ごと乗せた、本当にこだわりたい看板商品だ。
だからこそ、売れるし、美味しい。
もちろん一から全て作ってるお店もあるが、全てというのは難しい。
誰かのための美味しいを支えているのが、まさに私たち作り手なのだ。
そして、今日は腰が疲れたから動きたくないという樹里の家に来ているのだけど……。
「でねっ?今日は、その形の崩れた渋皮煮。もらってきちゃいましたー!」
じゃーんと小さなタッパーを宝物のように見せる樹里に、私と公佳もどよめきだつ。
「そんな手間暇かけられた結晶を……⁉」
「いただいちゃってよかったの?いろいろ使い道あるのに……」
「いいのいいの!前々から欲しいなーいいなーって言ってて、オーナーがご褒美にって余ったのくれたから」
「だから今日はいつもよりも、私を褒めて敬って!」
「偉い偉い」「いい子いい子」「皮むき名人」
ドヤっと、寝ころんだ樹里の頭ではなく、今日一日がんばった腰を、私と公佳は順番子にさすって褒める。
「じゃあ今日はこれ使ってクレープでも作ろうか」
台所を使わせてもらうねと樹里に許可をもらい、ボウルに泡だて器、ゴムベラ。
強力粉や牛乳なんかを取り出す。
「しょっぱいのもなんか食べたいよぉ…。冷蔵庫にお母さんからもらったキャベツあるんだけど、なんか使ってほしい」
「あ、じゃあ私、家から『いがぶりっこ』とってくる。それでタルタルにしない?」
「いいねぇ」
カップで粉と牛乳を計りながら、生地を作る。30分休ませる間に、公佳が持ってきた『いがぶりっこ』をゆで卵とタルタルにして、樹里が生クリームと渋皮煮をごしごし混ぜる。
温めたフライパンに、軽くバターを引き、一枚。
また一枚とクレープを焼いて、樹里が甘いもの。公佳がしょっぱいものを作ってくれる。
「最後に栗をちりばめて……。はいできたー!」
樹里が持ってきてくれた渋皮煮とクリームを混ぜて、上から乗せてアーモンドとピスタチオをかけた甘いクレープ。
公佳が『いがぶりっこ』と卵をタルタルにして、塩もみしたキャベツをぎゅっと混ぜ込んだしょっぱいクレープ。
「美味しそ―。乾杯しよー!」
それぞれ好きな飲み物を手に、ポップでレトロな樹里の家にある丸いちゃぶ台を一緒に囲む。
「うっまっっっ」
「栗のアイスにブランデーは優勝すぎる」
「公佳の言う通りにしてよかったね。そういえば、また販売のお局様に嫌味言われてさぁ……」
「もう結衣ってそれ、気に入られてない?」
「人気者だよね」
お酒だったり、ジュースだったり、ノンアルだったり、それぞれ好きな飲み物を手に取ってグタグタ喋る。
美味しいものが好きだし、美味しいものを食べたい。
毎日忙しい中でも、ほんのちょっぴりご褒美が欲しい。
そして、……どうせカロリーを取るなら美味しいものを!
1週間働きづめで帰ってくる平日に余裕はないに等しい。
明日を頑張るためにご飯を食べて布団に入る。
だから、次の日が休日の夜は、私たちが一番自由になれる瞬間だった。
外で食べることもあるが、毎週外食だと出費もかさむ。
だから3人こうして集まって、それぞれが持ち寄った食材でその日の美味しいものを作って食べる。
手間はそこまでかからない、簡単だけど美味しいものを、だ。
そして、よかったこと、イヤだったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと。
みーんなまとめて、この夜に話し込んで、発散させて、明日の休日をそれぞれ楽しむ準備をする。
「今週もおつかれさま!」
「うちらはよく頑張ったー」
「偉すぎる」
何度目かわからない乾杯の合図を最後に、空になったお皿をきれいに洗って片づける。
「おやすみ」「おやすみなさい」「またね」
眠い目をこすり、それぞれのベッドに帰っていく。
お腹はいっぱい。さぁ、次は何を食べようか。