僕は翌日から学校で先輩に会わないように身を隠し、生活していた。

通学時間をずらし、移動教室では最善の注意を払う。

いささか窮屈だが、先輩と顔を合わせる気まずさを考えると随分とマシのことのように思えた。

「落合、どうした? なんだか今日は忙しいないな」

「ちょっとね」

心配そうにこちらを伺う加藤に、僕はへらっと笑う。

昨日は結局、あの後すぐにバスが来て、お互い乗り込んだあとは一言も話さずに帰路に着いた。

しかし、今日再び先輩に会ったならば、どんな顔をすればいいのか僕には分からず、極力会いたくなかった。

「そう言えば今日、一度も直人先輩みてないな」

加藤の一言にドキリと胸が飛び跳ねる。

「へ、そ、そうかな」

まさか意図的に避けてますとはいえず、白々しく答えると、加藤は大きく頷いた。

「そうだよ! 落合といるとき、たいてい直人先輩現れんじゃん」

「……それは、偶然だろ。移動教室でたまたま通りかかったとかで」

「いーや、あれはお前に会いに来てたね」

「そんなわざわざ……」

「お前直人先輩に好かれてるからなー」

「好かれてる、」

このタイミングで昨日先輩にキスされたことを思い出してしまい、僕はその想像を振り払うよう被りを振った。

「そんなことないだろ……!」

しかし、その苦労むなしく、加藤は豪語する。

「あるって! だって俺、びっくりしたもん。 直人先輩がお前と話してるのをはじめてみた時。すげー楽しそうでさ。ほら、あの人、基本一人だから」

「え?」

何を言ってるんだ、加藤は。

直人先輩は、いつだって人に囲まれている人気者だ。

物事の中心で、みんなの憧れで、なんでもできるスーパーヒーロー。

「先輩は一人なんかじゃないだろ。僕なんかいなくても、慕ってくれる人がたくさん、」

「そっか、落合、お前知らなかったんだな」

加藤は少し困ったように眉を下げて続けた。

「俺さ、直人先輩のクラスに委員会で知り合った仲のいい先輩がいてさ、ときどき先輩のクラスに行くことがあったんだけど__」

気がつけば僕はあんなに会うのを嫌がっていた先輩のクラスへ自ら足をむけていた。




__直人先輩って、あの顔にあのスペックでたしかに女子の人気者なんだけど、"みんなの直人先輩"って感じで神格化されてて、誰もクラスメイトとして接してないって言うか、近いようで遠い距離感なんだよ。

男子は当然、直人先輩が周りからちやほやされてるのみてるわけで、クラスの女子からは直人先輩と比べられてコケにされたりするわで、誰も直人先輩と関わろうとはしない。

学年が違うとさ、それこそ行事とかでキラキラしてる姿しか見えないから分かりづらいと思うけど、あの人、実は結構孤独な人なんだ__


僕は加藤の言ったことがにわかには信じられなかった。

嘘だ、嘘だ、嘘だ。違う、先輩はそんな訳ないと、繰り返し思う。

だから先輩のクラスに向かったのだって、加藤の話が違うことを自分の目で確認して納得するためだった。

あぁ、そんなのは所詮ただの噂だったと。

でも__

クラスの輪の中で笑っている先輩を頭に思い描き、後ろのドアを開ける。

「先輩」

掠れた情けない声が漏れた。

その声は誰にも届かないまま、雑踏に消え、僕はぎゅっと拳を握った。

「っ、」


誰だ、あれ。

窓際の後ろから二番目の席、たくさんの人に囲まれて笑っているべき先輩は、一人、頬杖をついてつまらなそうに教室にいた。


僕は走った。


一目散に走った。


知らない、僕はあの人を知らない。


見えなくなれば、遠ざかれば、それはなかったことになる気がして、僕はきた道をひたすら走る。



__だから、お前が普通に接してくれるの、直人先輩相当嬉しかったんじゃねぇの?

加藤の言葉が、先ほどの映像に輪郭をもたせ僕をなじって、

あぁ、僕は今まで何をみていたんだろうと思った。

自身の心臓を制服越しにぎゅっとつかむ。

完璧で、隙がなくて、なんでもできる、僕のヒーロー。

僕がみていたのは所詮自分にとって都合の良い幻想だった。

あれも、これも、どれも__

それなのに僕はいつも自分の保身ばかりで、

知ろうとしなかった、

見ようとしなかった、

憧れという歪んだフィルターを押し付けて先輩に課していた?


最低だ。


先輩はずっとずっと前からあそこで一人だった。